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KIRIRI38フォーレバー

2012年8月 結婚が決まって
2012年10月 母が末期ガン(肝門部胆管癌)と診断


2013年2月 結婚式→妊娠
2013年5月 母逝去
2013年10月出産予定


私の目でみても呼吸が今にも止まりそうな今日。

「最期を迎えるにあたって」

とかゆうファイルをまた見せられた今日。

いよいよかも知れない。


アンモニアの数値が上がっているが、一つだけ下げることが出来るアミノレバンという点滴があると初日に説明を受けた。
下げれば意識がハッキリするのだという。
代償として500mlの水分を点滴することになるので、浮腫む原因になる(腹水、胸水など)とのこと。

それを試すか試さないか答えを出す前に母の意識がなくなってしまった。


ここまで来て私はするかしないかの選択に迫られた。
主治医も師長もオススメはできないというけど、兄はもし可能性があるのなら、何かできるならと食い下がったためだ。

私には苦渋の決断だった。

ていうか決断出来なかった。

もし話せるようになればもちろん嬉しい、でもそのあと母が苦しい思いをするのは嫌だ。今のままでいいのか、なにか手立てがあるのならした方がいいのではないか。
考えることがぐるぐる回ってまた同じところに戻ってくるので、決めた。

このままでいよう。
きっと今がベストなんだ。





しーちゃん、カレーパン本当に美味しかったよ。ありがとう。


iPhoneからの投稿

昨日の容態は比較的安定してて、熱が上がれば冷やす程度でした。

夕方、ガラガラとモニターを引き連れて産婦人科の今度は先生が来てくれてお腹の映像を母に見てもらいました。

お顔ですよーおメメですよー太ももの骨ですよー
まではいいけど、母の気になる性別は
!!!!

まだ分かりませんでしたー汗

まだ17週ですもんねー…

肝心の母の目はしっかりモニターを凝視してました。
ムービーを撮ったので確認したら、母がまばたきしてたので泣いてしまいました。良かった見てもらえて。


今日も朝が来ました。

穏やかな一日になりますように。



1番したにエコー写真のせてみます。
カメラ目線です。


iPhoneからの投稿

photo:01


急変と言われてから5日も経過した…

緩和ケア病棟は終末医療といわれ、

基本的に積極的な治療が終わった方が残りを穏やかに過ごすところ。

でも母は10月に癌と診断されて積極的な治療を一つもしてもらっていない。

コレは私の後悔の一つに入るけど、それが結果的に良かったのでは!と思える気もするので、そう思うことにしています。


でも、今回の母の容態が悪化しても特に何もしてもらえない。

いつ亡くなってもおかしくないとしか言ってもらえない。
5日も経過したのに。

熱は上がったり下がったりだけど、酸素量も血圧も脈も安定しているのに。
呼吸の仕方が亡くなる前の呼吸の仕方だというところだけが危篤に当てはまっているのか。

緩和に来てたった2日で急変。
あの日のことを考えるだけでおかしくなりそう。(5/11のこと)


初日に肝臓の機能低下で意識障害は出るだろうと真っ先に言われたけど、まさかのたった2日で⁉

と兄と私も思っている。

でも何とかして欲しいと主治医に食いつく兄に私の気持ちがついていかなくなってしまった。
なにかしてまた母が苦しんだら嫌だと思う。でもこのままは嫌だ。どうしたらいいのか分からない。
このまま穏やかに過ごせたらとだけ願う。

少し疲れたのかなぁ…

私が諦めてはいけないのになぁ…

頭がまったくついていかないや。
少しリフレッシュしてみようかな。




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