星野幸子のブログ 「やっぱり水戸が好き」


ご支援を頂いた皆様へ

 この度の茨城県議会議員選挙におきましては、星野幸子に多大なご支援を賜りまして、誠にありがとうございました。
 しかしながら、皆様のご期待に応えることが出来ず、誠に申し訳ございませんでした。

 水戸に地盤も何もないゼロからの出発でございましたが、皆様から頂いた5874票は、純粋に星野幸子に共感し、期待をかけて下さった方々の票と実感しております。

 選挙期間中は、水戸市と城里町内を駆け巡りました。その中で、頭に被っていた手ぬぐいを取り、土の付いた手袋を外して握手に応じて下さる方、玄関先に正座をして話を聞いて下さる方、手の色が変わるくらいしっかりと握りしめ、「応援するから、頑張るんだよ」と力強く励ましてくださる方など、本当に色々な方お会いすることが出来ました。

 そして、茨城県だけでなくこの国の政治の在り方を考えさせられました。将来の不安だけでなく、今この時の不安をもぬぐい去れない現状を、何としても変えていかなければならないと強く感じた次第です。

 私は、皆さまから賜りましたこの票の重みをしっかりと受け止め、今後の社会活動に繋げて行きたいと考えております。

 どうぞ皆様、今後とも星野幸子にさらなるご高配を賜りますようお願い申し上げ、御礼のご挨拶とお詫びに代えさせて頂きます。

 本当にありがとうございました。


 平成22年12月吉日                       星野幸子    



 


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陸前高田へ


前のブログの続きです。
陸前高田の何もない状態のお写真は色々な報道機関から出ている通りの状況が広がっておりました。ガーン

津波で海に流され屋根だけが見えていますが、その中には、あるご家族が生活していた色々な思い出がつまっているのでしょう。
最後まで避難誘導を続けた消防団の消防車も悲惨な状態でそこにありました。消防団は地域の全くのボランティア活動です。それを思うと本当に頭が下がります。
道端に積まれたコンテナには、写真が入っていました。そのご家族が見つけやすいように他の方が見つけたお写真を置いているのですね。
何もかも一瞬にして津波は飲み込んでしまったのですね。しょぼん


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陸前高田市の高寿園という特別養護老人ホームを避難場所にしている方々への炊き出し支援も行いました。
その日は、横浜の妙心寺の信者の皆さま60名余りの方と1000人分の食事を用意してまいりました。
しかし、平日で子どもやお勤め(職場がある方は本当によかったですね)の方は不在でしたので、実際には250人ぐらいの方のお食事を提供し、同じ場所に野営している神奈川県警の方々に生姜焼きとステーキを提供し、夕方戻ってくる子どもたちのために、持っていった全てのお肉を焼いて置いて行きました。ステーキ750枚分は大変でした。私は、味噌汁とお汁粉担当でした。お汁粉はご高齢の方々に大変好評でした。
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高田高校の生徒がボランティアにやってきました。一緒に写真を撮りました。若い人たちが元気よくお年寄りの方々の話を聞いたりしている姿を見ると、嬉しい思いがします。素直な若者でこの地の未来は君たちにかかっていると思うと、心からエールを送りたくなりました。ある男子学生が腕につけていたボランティアシールを私にくれました。早速腕にはって、ちょっとポーズをチョキ音譜
長くなりましたので、続きは次回へ・・・虹

6月3日の被災地支援


皆様、大変ご無沙汰いたしております。星野幸子です。

そろそろ、このブログを閉めて、私のもう一つのブログに統合しようと考えています。

しかし、今回は、先週訪れた釜石と陸前高田の支援の様子をアップします。

最初に、釜石港によりました。釜石港に向かう商店街は壊滅状態のまま。きれいな早朝の穏やかな海とは対照的に湊は壊れたままで、近くにいた漁師さんに話を伺うと、いろんな現状が見えてきました。
ある党の議員が、漁ができるようにと他の漁協から舟を譲り受けようとしたが、漁の種類によって使う舟の形やエンジンの大きさが違い、結局釜石に持ってきても使いものにならなかったとのこと。「自分の舟のエンジンがやられてしまったが、同じ形のエンジンを探しているがなかなか見つからない」とおっしゃっていました。一日も早く海に出られれば、わずかでも現金収入を得られる。仕事がしたい、海しかない、という言葉にやるせなさを感じました。グレープフルーツを一箱差し上げました。
何気なく会話することで、今被災地の人が欲しいものがわかるのですね。


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釜石の本門仏立宗のお寺、慈念寺に支援物資を届け、その後、本堂に安置された犠牲者の方のご遺骨に手を合わせました。
その後、沖だいの湊に回って、陸前高田市へ入りました。
続きは、後ほど。

やっとブログが書ける気分になりました

この度の地震で尊い命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。
そして、被災された皆様が一日も早く、復興に向けて歩みだせることを心から祈ると同時に、心に受けた衝撃と悲しみをゆっくりと癒し、ご回復されることをお祈り申し上げます。

私自身、被災者として1週間過ごした経験は、これからの私に何らかの意識の変化をもたらすことでしょう。

2011.3.11の東日本大震災(この名称に決まったみたいです)は、地震、津波という天災に、原発の人災が加わり茨城県北部は、地震の被害だけでなく原発の放射線はもちろん風評被害に苛まれています。
この人災は私も含め、電力資源を無尽蔵に使う事に疑問を抱かなかった日本人が自ら引き起こしたことと言えるかもしれません。一電力会社の問題ではありません。東海村を擁する茨城県民として国のエネルギー政策の転換点としてこの311を後世に刻まれる日となるべく、考えて行きたいと思います。

ボランティアが必要なのは、今だけではありません。今、目の前のこと、今を生きることに精一杯なところから、少しずつ新しい日常に戻った時、被災者の方々に大切な人を失った喪失感が大きくのしかかって参ります。そうした方々のグリーフケアが必要な時がくることでしょう。もし、私が少しでもお役に立てるのであれば、遺族の方々の話に耳を傾け聞いて差し上げるボランティアをしたいと考えております。
弔う事もなく葬られた人々に、小さな葬儀をする、それも、ボランティアの一つかと考えております。

自分ができることをやっていきましょう。
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