昭和天皇とマッカーサーが並んで撮った写真を見た人は多いだろう。

見たことのない人は、(写真 昭和天皇とマッカーサー)で検索してみれば沢山出てくる。


人間は初対面の時に相手の目を見て、その人物を知れ、ということは非常に大事である。

特に為政者や武士、軍人にとっては、それが初手である。

また、上級者になれば、初手を合わせる前に、気で相手を測り、上座下座を悟るものである。

そうでなければ、戦乱を何度も潜り抜けることができない。


宮本武蔵は、それが出来たから、無用な争いは避け、勝てる相手には勝負し、難なく勝っている。 っと、五輪書には書いてないが。

だれでも、

公表するモノには本音を書かないものであり、行間を読むしかない。


日本の戦国の世にもそのような侍はゴロゴロいた。

だから、感服している敵に塩を送ることもあったのだ。

そうでなければ、なぜ自分を不利に、相手を有利にするようなバカなことをするものか。

たとえ敵でも、相手のほうが上であろうが、下であろうが、礼儀を尽くすのが武士の名誉である。

なんでもかんでも勝てばよいなんてものは、野蛮人のすることであって、高貴な人間が下賤な手を打ったのでは、孫末代までの恥で、御先祖の誉れを汚すものである。


さて、本題に戻ろう、と思うが、賢明なあなたは、もう私が何を言いたいか察しているでしょう。

で、

改めて、問題の写真をよく見てもらいたい。


あ、その前に、インターネットでも書籍でも、この写真が撮られる前後の経緯を書いたものは多数あるが、両者が初手を合した時の心を書いたものは無いようだ。

しかし、

戦国時代とは異なり、両者とも初対面の前にある程度相手のことは調べ、知っている。

この二人を比べれば、腕力を別にして、毛並みも教育も教養も段違いである。

だいたい、腕力なんぞというものはオリンピック程度で役に立つ野蛮な技であり、20世紀も後半になれば、知的な人間の誇るものではない。

つまり、この二人の出会いをわかりやすく例えれば、幕末の新門辰五郎と明治天皇以上の差、なのだ。


だが、しかし、マックもバカでもアルツハイマーでもないれっきとした現役の軍人であるから、初手で感じる、解る。

天皇は言うに及ばず、悠揚迫らざるところであるが、仮にも相手は連合国のボスであるから、天下に恥を晒したのじゃ可哀そうだ、と当然思っただろう。

変態親父のオレでさえ、罵倒するのは簡単でも、衆人環視の中では、相手のメンツってことは考える、という常識は持ち合わせている。


そ、そこでだ、

もう一度、写真を、なるべく大きな奴を見てもらいたい。

じぃーーっくり、よく見てから、以下を読んでほしい、、、、、


どう?


マックとしては、どうせ、いのちごいにくるんだろう、へん!

ってな気持ちで待っていたろう、、、、


巷間よく言われるように、昭和天皇は直立不動、か?

他の昭和天皇の写真にもあるように、公式の写真を撮るときは陛下は常に直立です。

しかし、不動、とはどのような姿勢か、思い直して、くどい様だが今一度写真を見てほしい。

そう、解ったでしょう?

不動の姿勢の時とは違って、陛下の両方の手先がまっすぐではない。

別にリュウマチを患っているわけじゃない。

そ、リラックスしているのです。


マックは一見して悟った。この人は命乞いに来たのではない、と。

そして、思ったろう。

しまった!正装すべきだった。

だが、時すでに遅しだ。


リラックスしている陛下と、うろたえる心を繕うマック。

それが、この写真なのだ。


さらに追い打ち。

今度はマックをよく見てほしい。

両手を腰のやや後ろに当てて、天皇側の左腕は体に近く、反対側の腕は体からモチット離れており、これは相手に失礼にならないようにする時の姿勢だ。

さらに決定的なのは、マックの姿勢が天皇と反対側に傾いている。

背景の柱などと見比べてほしい。

これは、本人も終生気が付いていなかっただろうが、相手に気押(ケオ)されている、気圧されている(どっちが正しい?)時に、こういう姿勢になる。


はたして陛下がどこまで意識してたか、無意識でか、知らないが、結果はこういうことなのだ。


ともかく、ド強い奴は、相手がよくわからないうちに、何だか知らないうちに勝負を付けてしまうのだ。


許斐氏利、國井善弥、植芝盛平などが良い例だ。

やたら段平を振り回したり、抜く手を見せたりするような弁慶や武蔵などは二流だな。


日本の外交も、上記三者の水準を目指してほしい、と思う。

これが、今日の本題です。


さて、話は終わりに近づいた。

そのあと、

二人で会談した時には、マックが矢鱈しゃべったらしいが、だいたい普通は命乞いに来たほうがしゃべるんだろうが、事態はそういうことじゃなく、マックとしては態勢挽回を図ろうとしたのだろう。


誰だか、忘れたが、西郷隆盛にサシで会い、滔々と論じて、西郷に言ってやった!っと意気揚々と引き揚げてきた帰り道でよくよく考えてみたら、何だか西郷に丸め込まれた様な気になった、なんて話が有ったな。


だが、しかし、マックの弁舌もむなしく、


半時間余、会談が終わって出てきた二人がどういう状況だったかは、多くの書き物に書かれているので、ここに駄弁を弄する必要はあるまい。



今回の参考資料は沢山あるが、実名で書いてあるので各々自分で調べてね。

http://www5f.biglobe.ne.jp/kingmiya/

http://ameblo.jp/kingmiyachan/

以上


先日、都内で開業している精神科医の話を聞く機会が有りました。

主として自己の精神をうまく制御できない“神経症“の患者の治療についての話でした。

 (そんなもん、聞いて何になるんじゃ?)


色んな事例の話の中で、

 「最近の職業の特徴として、知的専門職とマニュアル職の両極に別れつつある傾向が顕著であり、従来は高学歴で恵まれているとされてきた知的専門職の患者が増えつつある。マニュアル職は大体決められた範囲で決まったような仕事をこなしていればよい仕事で給与も安く昇給もあまり望めない。一方、従来の専門職は、たとえば私のように精神科医、という職についてしまえば生涯まあまあそれなりの収入が安定して望めたモノですが、これがそうではなくなってきた」

 (ほう、ほう、なるほど、、、、)


 「私のような専門医でも、年に何度かの講習会とか学会などに参加して、その参加証をもらい、新しい知識を得、時には報告書も提出しなければ、専門度の高い精神科医としての看板を維持していくことができなくなった。これは、公務員の上級職も似たようなもので、従来は上級職として中央官庁に就任すれば目立つ不始末でもない限り定年近くまで在籍し、定年間近かには天下り、渡りが常識だったが、これもそう安閑としては居られなくなった結果、エリートコースを歩いてきた立派な人が、私どものところへカウンセリングを受けにくるようになった」

 (へぇ、早く生まれてよかったぁ、(*⌒▽⌒*)


このように一見恵まれた人が精神科医の門をたたくのは、30年以上(?)前からアメリカで流行り出し、当初のころは恥ずかしいこととされ、あまり他人には話せないことだったのだが、今では知的職業をしてる人にとって精神科医を訪ねることは恥ではなく、日常的に友人間でも話をするくらいに普通になり、何でもアメリカ型追従の日本でも段々似たような状況になりつつある、ということだ。

要するに知的職業への専門的、精神的、肉体的な要求度が高くなり、それに対して旧来の教育を受けてきた人には耐えられなくなってきているのだが、それに対する解決策が、カウンセリングだけでは病人を作ってから治すようなもので、予防策にはならない。

 (予防なんて出来るのかねぇ?)


実は私は高校時代(1960年ごろ、古いなぁ、、、)からあることがきっかけで、アメリカで流行ることは、日本でも必ず後追いする、と予測していた。 しかも後追いするモノの大半はアメリカの悪い部分であることも解っていたし、避けられないと思っていた。 そして、上記のアメリカのカウンセリング流行りの話を聞いたとき、日本も遠からずそうなると思っていた。

予測が当たるということは一般的に楽しいことだが、こればかりは周りに面白くおかしい人間が少なくなるということで、生きてる楽しみが減るので、何とか避けたいと思うのだが、、、、、

 (で、どうした、ホイ)


アメリカの後追いが避けられた数少ない例は、日本では刀狩りが数百年前に何度か行われ、さらに明治になって廃刀令が施行されたことと、もう一つ、麻薬の蔓延がまだ徐々に拡大しているとはいえアメリカに較べれば軽微ということぐらいだ。 だが今では、そして今後も、日本の社会の多方面でアメリカ追随になっていることは私が納得してるだけでなく、周知の事実であり、多くの人々はそれをおおむね是認している。

 (やだねぇ、誰だい、是認しているのは、、、)


しかし、追随しないで、日本の特異的悪性症として、鬱、引き籠もり、痴呆症、知的障害児、、精神疾患などの増大であり、これらはすべて家庭ないし社会の産物であるということをはっきり把握しておく必要がある。 最近聞いた話だが孤独死の80%以上は男性であり、特に定年後の一人暮らしの人は近隣・行政などとの接触を嫌い、孤独な生活を望み、その結果が孤独死、死体の長期放置という悲惨な結果になる、ということらしい。

 (かく言う私も、1人暮らしなのだが、、、、で、どうする?)


最近になって重症化しているのは、上記のような各種多様な社会性というか、普通の人間関係を維持できない広い意味での精神疾患、必ずしも病名を確定できない範囲を含むところがむずかしいところ、の人たちが年齢を問わす増大しつつある。 それで、これについての予防策を色んな人に話し掛けてみても、明確な答えはおろか真剣に考えようとする人は皆無だった。

 (それよりも、もっと大事な話が沢山あるだろうが、、だな、)


ま、そんなことは差し当たりコッチャへ置いて。

これらは実は日本だけでなく、大なり小なり、特に先進国の世界全体に共通するものであろう、と思う。 というのは、20世紀後半からの社会の変化が速すぎて、多くの人が社会的不適応、つまり精神的変化が追随できていない、というのが私の結論である。

極端な例では、電化製品の量産工場などを後進国に作り、朝から晩まで単純な組み立て作業を若い人たちにやらせると、精神的に異常をきたすというのだ。 私のような野蛮人に言わせれば、異常をきたすほうが正常な精神だと思うのだが。

ま、これもコッチャへ置いて。

 (あまり、散らかすなよ、)


私が就職したころ、(また、古い話かよ、、、、)は引っ越しといったって荷物なんかなぁ~~~にも無かったが、それから幾星霜、時移り世は変わり、後進国に至るまで、家庭の中にナンジャカンジャと色んなものを送り込むようになった結果、わずか3、40年で生活空間が全く変わってしまったのだ。

 (そうかねぇ、年寄りの愚痴のように聞こえるがねぇ)


これだけ世の中が変わったのだから、家庭、学校、社会での人間教育の基本を変えていかなければならないのだが、英語の早期教育とか幼稚園・保育園の一体化などという簡単なことでさえ、20年、30年掛かっても実現しないのが、民主主義という立派な制度の下での実情だ。

 (まったくだ、民主主義なんかドブへ捨ててしまえ)


だが、我ら庶民はそんな悠長なことをまっていたのでは、世界の激流の中で溺れてしまうのは目に見えている。 それても、世の中にはナカナカ溺れないで勇躍泳いでいる人たちもいるのだ。

 (へぇ、ほんとかなぁ?嫌な奴だなぁ、おめぇのことか?)


かなり話は飛躍するが、そこから学んだ事で、私が以前からアッチャコッチャで提唱している、現代の日本社会に欠けている教育の補完手段の一つをここに書いておこう。

 (やっと、本題かい、パチ、パチ、パチ、、、)


それは、あっけない話だが、徹底議論だ。

近ごろの流行りでは、議論というとディベート(注記)ということになるが、ここで言うのは、二者対立で勝敗を競うのではなく、一つの命題に対して多数の解決策を提案し、否定するのではなく最善の解決策を構築、創り上げていくために参加者全員が知力を傾けて協力することである。

学生や20~30代の人に聞いても、徹底議論、なんてことはおよそ縁が無いようである。 世界的なビジネススクールで学んだ人の意見では、授業内容もさることながら、参加者、つまり個々の学生の質も高いが、それよりも良かったのは彼ら同士の徹底議論がもっとも勉強になったとも聞いている。

つまり、教授の話よりも友達同士の話の方が良かったってんだな。

 (全世界のビジネススクール閉鎖!)


いつもチャランポランな話をしている人にとって、課題を限定し答を構築していくという作業はかなりコタエル作業である。だから大事なのでもあるのだが、何事もシンドイ作業を避けてはいけない。頭脳作業も運動も同じで楽なほうへ逃げていたのでは何も生み出さない。

ある意味で、これは脳を拘束して無理強いする訓練でもある。

日本では立派な社会人になるほど議論を避ける傾向はあるし、議論しているうちに論点がドンドンずれて流れて、何も成果を生まない場合がほとんどである。 これは議論の仕方の経験、訓練が足らないからであり、論点を煮詰める議論の仕方の教育が必要であるが、どうも現在の日本ではそういう場が皆無らしい。

 (ふむ、何だかシンドイ話になってきた、もう読むの止めようか、、、)


あとは、ハショッテ、

 (そ、もう、ハショッテくれ)


ま、練習題は面白いモノを選んだほうが楽しい。


取り組み方の例

課題 : 隣同士のオヤジとババアがいがみ合って時々夜までうるさい

・オヤジの言い分、ババアの言い分は何か

・いつも同じ問題か、日によって違うのか

・日によって違えば、問題を一、二に限定する

・二人の性格上、折り合う余地はあるのか、無ければどうする?

・夜は何時までに静かになればよいか、週一なら許容するか

・いがみ合いの場所を提供するか

・声が小さければいつまでもやらせて置くか

・立会人は有料か無料か、有料なら誰が出す?

・解決策の期限はいつ(最低2時間、数日でも、、、)か

・二人で決闘(血闘?)させるのもありか

・解決策が無い、という結論を出しても良いか

などなど、課題、参加者に色々縛りを設けることにより、思考範囲を絞るというかシャリコウベに刺激を与えることになる。 また、この議論仕方は自分の意見と対立意見も取り込んで一つの最善策、一つでなくてもいいが慣れないうちは絞らないと散漫になるだろう、にもっていくのがディベートとの違いだ。

「あ、それ、もらい!」 とか言って、盗ったほうが勝ち、とか、合気道みたいなところが面白い。

大事なことは、指南役を設け、指南役は議論に参加しないことはもちろんのこと良い結果を引き出せなかったら、一杯奢る、とか負担を掛ける、のも面白い。数日続ける場合は指南役は同じ人とする。

コツはどこで課題から逸脱したかの判定、指南だが、至難か(笑)? 友たち、職場関係、飲み屋で出会った人、とかで楽しいゲーム感覚で練習すること。慣れれば仕事に無意識のうちに使えるよ。

 (ほんとうかなぁ、、、、?)

楽しくなきゃ人生じゃない。だからユダヤ人は冗談が好きだし、こういう遊び議論が好きらしいよ。

 (は、はぁ、そいつらだな、しぶとく泳いでいるのは、、、)


練習課題なんか何でもいい。

・職場の変態課長

・同窓会で自慢話する奴

・町内の野良猫をオスばっかりにする

・ゴミを荒らす烏を焼き鳥にする

・東京の都心に野鳥を増やす

・美人のガニ股を無くす

・議論参加者の一人を市・区議会議員にする

・みやちゃんをつるしあげる

などなど、楽しい練習が大事、イチローもそう言ってた。


注記 : ディベート 自分で調べてくれぃ、


で、今回の参考資料はなし、

http://www5f.biglobe.ne.jp/kingmiya/

http://ameblo.jp/kingmiyachan/

以上

 (ZZZZzzzzz。。。。。...........(´^?∀^?`*)

世の中を知りたいとか、人生で成功したいとか、人生の目的とは? などと生ぬるい話をしだす生真面目な人や、迷い人に時々、私が言う言葉が、「この世は偽善と腕力が支配している」です。


仏陀(=ゴータマ・シッダッタ)がこの世に現れてグズグズ言ったのが2千数百年前、イエス・キリストが2千年前、モハメッドから1400年、それからどうなったか。

ずっと、宗教を前面に立てた戦争が続いたではないか。 もちろん、宗教を表にした裏に、人間の欲望が働いていたのは言うまでもないが、聖人は極悪人に利用され続けてきたのは紛れもない事実だ。


聖人と言われた、孔子なんぞは生前からボロクソに言われていたではないか。

この世の聖人のたわ言なんぞは糞食らえだ!

だから、

聖人の名のもとに多くの無垢な人々が苦しんだ、死んだ。

戦争が無くとも、平時でさえ、宗教で救われる人よりも、聖人や宗教から見放された人のほうが多いのも論をまたない。


この三聖人・預言者が居なかったほうが世界が平和だったのではないか?と私は思う時がある。

ま、

仮説をジクジクと考えてもしょうがないが。


偽善と腕力の笠の下に居ないければ人々は幸せになれない。だから人々は群れ集うのだ。 私も色々と相談を受けるときには、必要に応じて、弱者は協力・連帯しなさい、それが強者に勝つ唯一の方法です、と言ってる。

もちろん、

支配者を手玉に取る上等な詐欺師のトリック、という手もあるが、それはとても素人には手に負えない。


冒頭の話に戻ろう。


世の中を知りたければ偽善者と支配者を知れ、人生で成功をしたければ偽善者で支配者になれ、人生の目的は偽善者と支配者が一番よく知っている。

最近の例で言えば、

リーマン・ブラザーズ、GM、日本航空に立派な経営者が居た、という話が出てきたか?

これらは、たまたま、話題になったので、色々と内幕が暴露されただけで、他の大企業、大組織などは目くそ鼻くそ、大同小異、似たり寄ったり、なのだ。

あの、リーマン、GMなどの破産の切っ掛けになった(言い訳だが、)、サブプライムシステムは、元気矍鑠(かくしゃく)として現在でも継続してるではないか。

偽善知と牛耳る力のある人間は笑いが止まらないのだ。


もっとも、そんなに稼いでも、この21世紀の世界では金の使い道が無いのだが、妄想爆走している人間にはそれがわからない。



しかぁーーーし、

あなたは、「世の中には、立派な経営者、指導者も沢山居るではないか、」 と言うだろう。

そのとおり! あなたは正しい! 沢山居る。



だが、

私の言っているのは、この世を牛耳っている人間のことを言っているのだ。


ブッシュ(坊や)も任期末には、「イラクに侵攻したのは間違いだった、、」、と言っているし、オバマもイラク、アフガンから撤退したいと思っているが、出来ない。


誰が支配者だ?


私のブログは、長い! と非難を浴びているので、、、、、この辺で、


ここまで読んでくれば、あなたはどんな人生をおくればよいか、だいたい解るでしょう?


この続きはいづれ書かなきゃならない。

被害者が多すぎるから、、、、、、


神々の力も及ばないほど、


参考

中国の典籍 : 「老子」、「戦国策」、「易経」 など、

映画 : スティング、十戒、ゴッドファーザー、七人の侍

ワシのHP http://www5f.biglobe.ne.jp/kingmiya/

メルアド  miyachan@mvj.biglobe.ne.jp


















詐欺が最大となるかどうか、大いに疑問のあるところだ、というのは、詐欺の定義が難しいし、産業分類の仕方で、大小の並びが変わるし、第一に世界的に詐欺に関する統計が無い、。


だが、しかし、

21世紀になっても巨大産業として成長しつつあるのは間違いない。


最近の“素敵”な例としては、

http://www.telegraph.co.uk/finance/financetopics/bernard-madoff/5687250/Bernard-Madoff-facing-150-year-sentence.html

Bernard Madoff sentenced to 150 years for 'massive' fraud

がある。

なにしろ、被害額が6兆円を超えるというのだから、立派!と言える。

そして懲役150年!というところが並じゃない。

しかも、

被害者の口座数が1300余だというのだから、1人当たりいくらだ?

オレみたいな人間は被害者の候補にも到底なりえない、ほどの金満世界の話なのだ。

で、

被害者の中には飛びきりの金持ちは含まれていない、ってんだから、なんだか浮世離れした話ではある。


それは、ともかく、詐欺が巨大産業化しつつあるのは間違いない、というネタとして持ち出したのだが、。


話は日本に帰って、

も、チット現実的な話題にしよう。


バブル経済華やかな20年ぐらい前(1980年代)までは、遥々(ハルバル)ヨーロッパから日本の金融機関を狙ってきた国際詐欺師も居まして大歓迎されました(儲かったっていう意味、、、)が、当時は詐欺師の美味しいカモは日本には、いくらでも居たので、あまり目立つ庶民被害は少なかった(比較的、ねぇ、)が。


槿花一朝の夢破れて(キンカイッチョウノユメヤブレテ=朝顔のようにはかない夢)、詐欺師たちにとっては、余りにも巨大化した集団を養うには上客の数が足りない、ってんで数を頼りの庶民に当たりを付け始めたのが、ここ10数年なのです。

これを小説にすれば色々面白い物語も出来るのでしょうが、それは今日はコッチャへ置いて。


そして、

国際的大手詐欺師たちは日本を見捨てた。

これは良いことなのか、寂しいこととして悲しむべきことなのか?

♪それがぁ、何より、証拠にはぁ~♭ 注1)

前記、Madoffさんのお客様には日本人は居ないらしい、、、、悲しい!


ともかく、日本国内の神聖なる市場は日本人が死守すべき、として勇猛果敢に我が誇り高き大和(ヤマト)民族派の国産詐欺師たちは、庶民を標的に数打て!ってんでやりだしたのが、オレオレ詐欺とか、振り込み詐欺で、大盛況となっているのです。


話はチョト頓挫(トンザ)しますが、

詐欺に限らず、犯罪者は一旦その道に染まるとナカナカ抜けられなくて、特に詐欺師たちは、“師” という肩書が魅力的なのかどうか、収入がガタ落ちになっても、その道に固執(コシツ=こだわる)し、切磋琢磨(セッサタクマ=非常に努力するという意味)するのであります。

まぁ、

その精神は見上げたものではありますが。

  (あ、あんまり見上げちゃいけないんだなぁ、、、)


現実に戻って、

前記の金融機関系ばかりじゃダメだ、ってんで、その他、家庭常備薬、健康食品、健康器具、かっては男性被害者の聖域であった結婚詐欺の仕分けを破って女性被害者まで事業拡大を画策しているのであります。

更には、外国人労働者の日本への導入のために、どうのこうのと、その手口は千差万別、手練手管の限りを尽くし、ともかく、かれらは詐欺る(サギル、乱行ランラン活用)ためには脳みそ細胞の一滴まで無駄なく使うのであります。


その結果、

哀れなのは市場規模維持のために期待される被害者たちです。

なにしろ、かってのバブルの時代のように “ニコニコ元気で金満家” の標的が激減しておりますから、その穴埋めにとロクな資産を持っていない老人たち、老人だけでもないが、が二度、三度と同じパートナーを組んで、加害者・被害者同盟をけなげにも維持してる場合もあるのです。


ま、話を聞いてみると、

「何で、そんな、バカなミエミエの詐欺に引っ掛かるの?」 ってな場合もある・


だが、しかし、

一般的に、ともかく詐欺師たちは親切丁寧にして弁舌さわやか、なのであります。

下手な芸人の話なんか聞いていられない。

まして、

役所からやってくる福祉課の人や民生委員の作り笑顔なんぞは目じゃない。

雲泥の差、何しろ敵は金ムクの阿弥陀様を拝むような気持ちでやってくるのでありますから。

口上(コウジョウ=セリフ)は、天上天下アナタガ独尊。注2)

上げ膳据え膳は言うに及ばず、痒くないところまで手がいきとどいて、竜宮の乙姫様のもてなしもかくやあらじ、ですからなぁ、、、。


ってな話を友人にしてましたら、

「みやちゃん! ぜひツアーをくんでの見学会を企画してください」 ってな申し出がありました。

そんなもん、

横で見れるなら、私も見てみたい。


まぁ、やるとしたら、服役中のその道の達人にお願いするのですなぁ。


どうも、今回も長くなったし話題がずれてきたので、また、続きを書くことにして。

ともかく、

どなたも、あなたも、詐欺には気を付けなさい、ってことだ。


で、

どう気を付ければ良いか?ってことについてはまた、、、、、




1) お玉じゃくしはカエルの子 って歌の続き、、、、

注2) 天上天下唯我独尊 お釈迦さまが生まれてすぐ三歩歩いて言ったとされる言葉。オレが子供のころ、この言葉を聞いたとき、友だちに 「オレも生まれたとき、言った、、」と言ったら、友達も、「オレも言った」 「私も、、、」 と、おらが村さでは珍しいことではなかったようだ。 その後を見ても、そんなに出来の良いのは居ないようなのであまり自慢できるような話でなない。為念。


参考

1.白昼の死角 高木彬光著 光文社文庫 

2.証券詐欺師 Gary Weiss著 集英社

ワシのHP http://www5f.biglobe.ne.jp/kingmiya/

メルアド  miyachan@mvj.biglobe.ne.jp










久しぶりに明治神宮へ行った。


じっくりと考え事をしたかったので、近か場で静かな場所を、、、、と考えて、明治神宮の御苑(ぎょえん)を思いついた。


そりゃ、一所懸命に考えているときには、多少の雑音でも差支えないが、チョト中断したときに雑音に悩まされては、継続してモノを考えるには静かな場所が良い。


都内の場合、新宿御苑も良いが、やはり周りで人がウロウロするので、明治神宮の御苑は、この一画だけ有料なので人が少なく静かです、、、、が。


で、明治神宮へ行くのは今年は初めてですから、初詣、とも言える。

ところが、

行ってみると、ナント、ナント、あの静かな御苑の入口に人が並んでいるではないですか!

整理員まで居て、

「きょうは、何かあるんですか?」

「いえ、何もありません、、」


しかし、ゾロゾロ並んでいるところへなんか行きたくないので、あえなく断念。


拝殿に参って、西の方へ回り込むと、御苑の裏の方、つまり反対側へ回り込みます。


すると、参道から少し離れたところに、御苑の竹垣があり、その隙間から中が少し見えます。

なんか、

人が沢山、静がに並んでいる感じ。

歩道から踏み入って竹垣に寄って、隙間からのぞくと、多数の人が粛然として並んでおります。

なんか、不気味、謎がフツフツとして湧いてきます。


と、

「そこの人! そこへ入っちゃダメだよ!」

おばさんから、お叱りの声が、、、


「ハイ、ハイ、しかし、あれは何をしてる人達ですか?」

「バカ! だよ!」

「はぁ~?、、、」

「バカァ~!」


こっちにも心当たりがあるので、てっきり自分のことを言われたのかと思いきや、どうも、オレのことを言ってるようじゃない。

まぁ、おばさんの話を要約しますと、


昨年末ごろ、某TV番組で御苑の中の清正の井戸ってのが紹介され、流行り言葉で言うなら、パワースポットっていうことになり、人が殺到するようになった。

本来神社はセコイお寺みたいに拝観料は取らないし、山門を閉めるなんてこともなく、24時間無料開放が原則ですが、ホームレスが増えてからかなぁ、、、都内では明治神宮とか一部の神社は夜間閉鎖するようになりました。

で、

明治神宮は朝五時に開門、します。

しかし、有料部分の御苑は9時開苑ですから、なんと朝早く5時に来て4時間も並んで、御苑にというよりも、清正の井戸目がけて入るそうです。

若い人たちも多いそうです。

そういう人たちに限って、本殿にお参りに行かない人が多いそうで。

、、、、、、何かと色々、よく観察している人ですねぇ。。。

、、、、、、参考になった。


「今は新緑が綺麗な季節で、折角来たんだから、この新緑を浴びているほうがよっぽどパワー貰えるんじゃないのぅ?」


たしかに、常々思っているんですが、世界の大都市の真ン中で、こんなに緑豊かで森林みたいな所は数少ないというか、皆無かも。

パリから初めて日本へ来たフランス人なんか、

「東京はすごい!東京に較べるとパリなんかなぁ~~~ンにもない!」

なんて言ってますからなぁ、、、、


なるほど、この緑を堪能しないなんて、もったいない話で、、、、

おばさんの、

「バカ! だよ!」ってのも解りますなぁ。


で、

わざわぜウルサイ所へ入るのは嫌なので、ここはあきらめて、しばらく、神社内を歩いて、万歩、マンポ、マンポ、と、、、、

「そうだ、もっとウルサイ、竹下通りへ行こう、」


毒を食らわば皿まで、という言葉もある。


明治神宮の原宿口を出ますと、竹下通りが近い。

以前、私の友人が竹下通りの真ん中に事務所を構えていましたので土地勘はあります。

竹下通りが有名になってから撤退しちゃった。

しかし、いつも明治通り側から入ったので、JRの駅側からはチョト解りづらい。


さて、

この辺だったなぁ、、、ちょうど道端に突っ立っているアンチャンに、

「天下に有名な竹下通りの入口はここかい?」

「そうだよ」

「ンで、ここには何があるんだい?」

「何もないっすよぉ!」

「ンーー? で、どういう人間が来るんだい?」

「バカ、ばっか!」


バカとウツは感染する。

http://ameblo.jp/kingmiyachan/entry-10293810732.html


今回、参考資料とかは、なし。

そういう元気なくなっちゃった、

http://www5f.biglobe.ne.jp/kingmiya/

蛇足:ここで、バカ!と言ってるのは私じゃありませんから、念のため。

先日、定年90歳説を書きましたが、


「90歳まで仕事スンのはつらい!」 という意見が有りました、、、、


まぁ、まぁ、、泡(?)てないで、落ち着いて、


単細胞生物ならいざ知らず、多細胞生物の大半は受精という行為から新しい生命が始まります。

細胞分裂して、生まれて、ハイハイ、タッチして、、、、

というふうに、


人間の場合、学校教育、などという余計なモン(?)に時間と金をついやして、20年前後かけて、やっと一人前。


生物の中で、最も出来が悪い。


さて、その前後から、生殖作用を始めます。(ドキドキ、、)

生殖作用の結果、当然、次世代ができます。


生殖作用ばかりに励んで、次世代を作らない人も増えましたが、今日はその話は、チョト横へ置いといて。

ま、

自分のやってきたことのやり直しみたいなもので、やっぱり、20年前後、、、、、

とはいかない。


人間の場合、魚鳥獣のように一度にまとめて、ドン!と次世代作り、というわけにはいかない (神々の偉大なる失敗) ので、年々歳々花同じからず、ではないが、どんなに努力しても、現代では、30年前後かかる。


これも、生物の中でもっとも効率が悪い。

ともかく、一番厄介(やっかい)な生き物なのだ。

だからぁ、どこの動物園に行っても飼ってない(笑;)


それは、ともかく、

なんとかかんとかグズグズ言いながら、自分が育って、次世代を育てて、っていうとだいたい60過ぎになりますなぁ、、、、


っていうことで定年は60歳、になり、ハイお次と交代、あなたはもう必要ないよ、というわけにはいかない、イカソーメン(あ、筆がすべった!)、人間は。

ま、

効率の悪い生き物の代表も、ここまでは基本的に他の動物とやってることは似たり寄ったり、で威張れたものではないですな。


そこで、だ、、、


万物の霊長たる我々人間は、ここから先に、オレたちは出来の悪い他の生き物とはチョト違うんだぞ、ってことを示さなきゃ、ご先祖の位牌に対し申し訳があいたたんし、動物園に行ってもデカイ面して檻の前に立てない、ということでアリンす。


さて、

ここまで読めば、もう賢明なるアナタはもうお分かりでしょう? 人生三分割


70、80過ぎてもウジウジと生活のためにというか、収入の為に働いている人が居るでしょう?

特に、

ちかごろ、何かと話題になる仕分け人の対象になっているようなところに舞い降りているような人たち。


かと言って、

ゾロゾロと年寄りたちが群れをなして、街中やら神社仏閣観光地を徘徊するのもワシは組みしたくありませんなぁ、、、。

近くから見ててあまり気持ちよくありませんからのぅ。


ま、人それぞれですから、色々手はありましょうし、好きなことをやればいいんですが、しいて聞かれれば、

http://www.janic.org/  


あたりにワシのできること何かあるかねぇ、、なんて聞いてみては如何でしょう?


私はまだまだ、そんな歳じゃないわ、っていう人は、人生三分割、を肝に銘じて生きてチョ。

しかし、

上記には、人生二分割目、の人たちが大多数なんですけどねぇ、、、


年寄りたちをもっとこき使え!


ワシのHP http://www5f.biglobe.ne.jp/kingmiya/

メルアド  miyachan@mvj.biglobe.ne.jp

私は、今66歳’ぞろ目)だが、「定年90歳説」ととなえている。


タイトルからして間違いじゃないの? と思った人が大半でしょうが、、、、

マジにそう思っている。


かなり古い時代(中世?)から、人生50年、と言われてきた。

不思議なことに、中国の古い書き物にも、50年説が有るので、長い間50年生きれば、まぁまぁ良しとすべきか、という時代が続いたらしい。

しかし、

2千年ぐらい前の中国では、兵役義務が15-60歳という記録もある。


私の子どもの頃(60年前)も、年寄りたちから、人生50年、なんていう言葉をしばしば聞いたので、半世紀ぐらい前までは、それが妥当なところだったのだろう。


しかし、

不思議なことに、サラリーマンの定年は、いつごろからかは解らないが、定年60歳が定着し、いまだにだいたい同じである。

人生50年、と言われていた時代になぜ、定年60歳、が定着したのかは碩学(=学のある人)に教えてもらうことにして、、、、。


平均年齢よりも、10年も余計に働かなければならない、ことが常識として通用していたのだ。


日本の童謡にもある。

 

 ♪村の渡しの船頭さんは、♭

    今年60のおじいさん、♯

   歳はとっても、お舟をこぐときは、♪

     元気いっぱい艪(ろ=船をこぐさお)がしなる ♭

   それっ、ギッチラ、ギッチラコ 、、、、


と、あるのだ。 

ということは、60の爺さんに村人の日常交通機関をまかしていたのだ。

雨が降っても、風が吹いても、休むわけにはいかない大事な仕事を。


そりゃ、

唄だけで実際にはそんなコタぁ、無かったろう、と思うだろうが。

だが、

特に、非難を浴びずに学校で教えていたのだ。


ここまで読んだあなたは、もうタイトルの意味はおわかりでしょう。


そ、今や人生は80年ですぞ、世界に誇る!

80年が平均年齢とすれば、生き残りの半分があと十年働いたとしても、90歳定年は不思議でもなんでもない。


年寄りをもっとこき使おう!


しかし、専制国家や奴隷制の時代じゃないのだから、年寄りのこき使いかたには、ノウハウとルールが必要なのだ。


また、書きます。


参考
ワシのブログ : http://ameblo.jp/kingmiyachan/entry-10540668346.html

中国の典籍 : 「戦国策」 など、

幸若舞「敦盛」、小学校唱歌、

映画 : ?(村の船頭さんが出てくる映画が有りましたなぁ、、、)

ワシのHP http://www5f.biglobe.ne.jp/kingmiya/

メルアド  miyachan@mvj.biglobe.ne.jp



私だって自殺を考えたことがある。

一度や二度ではなかったように思うが、ン10年も前のことなので、なんでそんなことを考えたのかは、もう覚えていない。


いや、

自殺を考えたことのない人は少ないんじゃないかとさえ思う。

若い人はともかく、ほとんどの中年以上の人は、自殺を考えたことがあるでしょう。


しかし、

大半の人は思いとどまっているから、日本の毎年の自殺者は3万人程度で収まっている、とも考えられる。

ま、世界の相場からすれば、日本の3万人は多いらしい。


私も自殺の相談をかなり、そう、数10人から受けた。


が、

私と話をしていると、大半は簡単に考えを変えるし、自分で生きる方向に向き直る人もいる。


ま、

私に言わせると、自殺するだけの十分な理由が有る人なんて1人もいなかった。


たしかに、

話を詳しく聞いていると、深刻な悲惨な場合も時々はあるが、しょせん人間の考えること、人間社会の問題だから、人間に解決できないことはない。


どういうふうに解決するか、複数の深刻にからまった問題を、ひとつひとつ解きほぐしてゆくには時間のかかるときもある。


その解決までの時間を、どうかせぐか、つまり生き延びる知恵も必要な時も有れば、誰かの助けを必要とするときもある。


その誰かは身近な人でなければならない時が多いので、遠くの人からの相談のときはチョト厄介なこともある。


しかし、相談に来る人、電話する人は、助かりたいから相談するんだ。

何が何でも死ぬんだ、という固い決意を抱いた人は、スパッと死んでいるんだろう。

あいにく、死んだ人からまで、相談をうけていないので、何ともわからない。


ということだから、

自殺相談者の相談内容から、生きるノウハウをここに書いてみよう。


金が無い、で死ぬ理由にする人が居るが、

仕事が無い、を死ぬ理由にする人もいるが、

友達が無い、友達がいじめる、親も兄弟も死んだ、

生きるのに疲れた、生きて行くのが苦しい、

介護・看病疲れ、長い間家族に迷惑をかけた、

悪いことをしたので死んでわびる、人生に絶望だ、

自分のあるいは家族の難病・奇病で治る見込みが無い、

借金、レイプされた、神が死ねと言っている、

年がら年中頭痛がする、失恋した、

宇宙人がうるさい、もう人類は滅亡する、

地球最後の日が来る前に死ぬ、

借家から出ていけを言われている、

アル中だ、ギャンブル中毒だ、酒がやめられない、

犯罪中毒、毎夜悪夢にうなされる、


他にも何かユニークな理由があったような記憶も有るが、思い出せないので、これぐらいにしてと。


ま、

とにかく、人間は色んな理由を見つけて自殺を正当化しようとするのには感心します。


で、

ここに、生きるノウハウをここに書いてみよう。


と思ったのですが、思い出しただけでも、こんなに理由があるんじゃ、簡単には答が書けませんわねぇ、、、、


死にたくなった(笑)


というわけなので、死ぬ前に明日以降ボチボチ書きます。

どれから書くかは、あなたの御要望次第です。


あ、こっちも参考にしてね。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~kingmiya/kenkousahou8.html

ウィルスがやってくる、


「死ぬ前に読め」 玄秀盛著 ぶんか社


   チョット待て 自殺は急に 止められる


だって、、、、、、

私の友人の支店長の話


部下が定例配置転換のための転勤の挨拶に廻っていた日に、上得意客の社長が、怒鳴って電話してきた。


いわく、

「なんで、あいつを転勤させるんだぁ! おれは、お前の会社の製品が気に入ってるから買っているんじゃなくて、あいつが気に入ってるから買っているんだぞ! もう、お前の会社からは買わない!」

ガチャン!!


だった。


アワテタ支店長、部下と一緒に社長に、大きめの菓子折り片手に、おっとり刀で出かけた。


「ま、ま、まぁ、会社の制度上のことでして、また、この部下の今後の出世のためにも、転勤ということになりましたので、そこんとこは、ひとつ、 御理解を、、、」


ってな、わけわからない説明、、、


「ま、何年か先には、支店長として帰ってくる可能性もございますので、その点ひとつ、、、きょうは、もう時間も遅いので、、、、」


「いづれ、二、三日中には後任も参りますので、その時また、改めて、、」


何しろ、頭から湯気が上がってますから、簡単には冷えません。


で引き上げようと会社を出てきますと、部下だけが呼び戻されて、、、、


外で待ってた支店長に、出てきた部下も、不徳要領で、はっきりしたことを言いません。


翌日、出てきた部下は?とみますと、かなりヨレヨレになっておりますが、

「ともかく、社長の御機嫌は、ひとまず、落ち着いた、、、、」

とのこと、


昨夜は、

社長行きつけの料理屋にカミさんまで呼び出し、同席され、散々の逆接待で奥さんからお土産まで貰って、、、、

奥さんも、社長の泥酔に愛想が尽き、そこでお別れ、

社長とは、二次会、三次会、鳴り止まぬカラオケの蛮声、近隣に鳴り響き、古い甲羅を担いだ、ママさんも、


「こんなに荒れたのは、もう何年もないわねぇ、、」

なんて、感心されたり、

どこへいっても、


「今日はオレが持つ!」

っていうから、帰るに帰れず、今朝まで、、、、、、、だったらしい。


で、

「最後にタクシーに押し込んだときには、『こらぁ、転勤先では、シッカリやれよ! どこいってもワシのことを忘れるなぁ、、、』って、酒と涙とよだれが混じった顔で言ってましたから多少は納得してくれたのか、どうか、、、」

「今日夕方、も一度、様子見に行ってきます」


(ぶり返さなきゃ、いいが、、、)


ってな、話でありましたな。


ま、こういうように、それほど好かれた営業マンなら、支店長あたりが察して、本人に言う前に、内々社長に会い、

「まだ、本人には言ってませんが、明日あたり御挨拶に来ますんでひとつよろしく、、、」


って翌日、同道すればよかったんですな。


現代は、金、金、費用削減だけが経営者の心得、のようになっておりますればこそ、気に入ったやつからなら、多少高くても買う、書画骨董を買うような気持ちになる人も居る。


のです。


しかぁーーーーし、こういう任侠道、人情に長けた豪快な人間ももう居ない?





ご参考までに、


酒乱というのは、複数同席した場合、先に乱れたほうが勝、でして、出遅れた方は、この場合の営業マンは、いくら飲んでもつぶれないもんですな。

しかし、

私が、酒乱と解っている人と飲む場合、しかも、その日は乱れちゃいけない客などが居る時は、飲む前に、「きょうは二次会で客を帰すから、それまでは乱れるなよ」と相手が誰であれ、事前に釘を打っておきます。


「まぁ、その後はどんなに乱れても良いが、おれは面倒見が悪いから、どぶに蹴落として先に帰るからな」


って言うことも忘れないで。


わたし?  酒乱か、って?


筋の通った酒、ならお付き合いしますよ、地獄の底まで。


しかし、

世に剛毅、勇名を馳せた著名人のなかにも、一滴も酒を飲まなかった、という人も結構いるので、飲めるなんてのは自慢にも何もなりませんよ。


たしか、

アル・カポネもそうじゃなかったか? 間違ってたら御免。


医者で、

「明日の午後、往診の予定がありますので、今夜は一滴も飲みません」

なんておっしゃる方もいらっしゃる。

とても、真似できないですね。

その人は、往診のお宅に入った時点で、だいたい病気の原因が解るそうです。

やはり、凡人じゃないです。

あまり、Art的じゃない話題になりましたので、この辺で、、、、失礼。

ま、

そのうち、命をかけた酒、の話でも書きましょう、、、、、、


参考

阿片王 満州の夜と霧 佐野眞一著 新潮社 2005

ワシのHP http://www5f.biglobe.ne.jp/kingmiya/

メルアド  miyachan@mvj.biglobe.ne.jp


愛の絆、ゴッドファーザー

と言っても若い人には何のことやら、、、、

世界的にヒットしたニューヨークを舞台としたイタリアンマフィア(シシリー出身)の映画ですが、40年近い昔のことですからねぇ、、、

しかし、今でもDVDになって売っています。

でも、愛のテーマ、という曲なら若い人でも、出だしを聞けば、あぁ~、、あれぇ~! って知ってるほど日本でもヒットしてます。

インターネットで、愛のテーマ、で検索すれば、日本語の歌も、イタリア語も出てきます。

誤解のないように、言っておきますが、マフィアもゴッドファーザーもイタリアでは別の表現になります。

でも、

私はのぉ~~んびりと古い映画の話をしてるほどの暇人じゃありません。

ま、面白おかしくドンパチやっているいかがわしいやくざ者の映画、と思うでしょうが、さにあらず。

現代の日本、とくに若い人たちに大事なことを書きます。

きっかけは、

イタリアのシシリー(イタリア半島の先の島、四国よりチョイ大きい)出身で、日本でNPO活動をしてる知人が居ますが、その人とは全く関係なく、今月(2010年2月)、偶然それも別々にシシリーから来た人に二人も逢いました。

で、

映画のゴッドファーザーの話題になりました。

私は、「あれは実話なの?」

イタちゃん、「ウン、実在の人物をモデルにしてる」

これは、元は小説でして、それをシリーズ3本の映画にしたものです。

ところで、

彼らのルーツのシシリー島は、地中海の真ん中にあり、地中海交易の地の利がありながら、古代ギリシャ、ローマ時代から、一貫して歴史の中央舞台に出てきません。


時移り時代は変わって、現代ではイタリアに属していますが、古来往々にしてローマ、あるいはイタリアに属してないことがありました。

有名なローマとカルタゴとの戦争のとき、その真ん中のシシリーは主戦場にもならなかった。第二次世界大戦のアフリカ戦線からイタリア戦線のときも。

そんな存在の土地です。

アジアで言うなら、現代でこそ中国が領有権を主張しているけど、かって歴史上一度も中国の皇帝が支配権を及ぼさなかった台湾みたいなものです。

こういう土地の人たちは、しばしば世界各地へ出稼ぎに行きます。

かってはヨーロッパの地の果てのアングロサクソン、中央アジアでロシアなどから圧迫され続けていたアルメニア人など、苦労して外国へ行ったからこそ、富を築くことができたのです。

で、

シシリー人も新世界アメリカへ来てからも少数民族としてバカにされてきたから結束も固く、色々な事業にも手を出し、努力をしてきた、そのなれの果てがイタリアンマフィア、という設定です。

そう考えれば、愛のテーマ、の曲、なんとなく物悲しい、哀愁を帯びた、それも理解できるというものです。

私なんか、

これ、聞いてると、目から汗が出てきますな。

日本人なら、東京に居て、フト、古さとの野山を駆け回った子供のころを思い出すようなものです。

もう、そういう古さとに戻る生活はできない、しかし、それを忘れることもできない、古い絆よ今いずこ、、、、、涙。

1人では生きられないから、家族はもちろん、グループのメンバーも、それ以外でも何かの縁があれば、イタリア人以外でも、常日頃からの付き合いを大事にしてきたのですよ、マフィアたちは。

何も、

権謀術数の限りを尽くして派手にドンパチやるのが目的ではなかった。

そ、ゴッドファーザーは、娘の結婚式の日に久しぶりに面談にくる多くの人たちと挨拶をかわしながら、あわただしい時間のあいまに、フト、シシリーの静かな貧しい村の風景を思い出すのです。

でも、遠く故郷を離れて苦労している人たちの相談事を聞くと、自分の過去の苦労と重ね合わせて、華燭の宴のときでも、決して断ることが出来ないのです。

どんな、

アホな相談でも、くだらない依頼でも、ときには違法な願いも、だから揉め事に弱者を巻き込まないためにも、“仕事” の話は女性たちの前ではしない、という鉄則もある。

男子、門を出れば7人の敵がある。

日本にもかって、いや、今でも生きてる言葉ですな。

一方、

渡る世間に鬼はなし、 とも言う。

しかぁ~~~し、

現代日本では、このような仲間を大事にして、終生、その紐帯(ジュウタイ)引きづってゆく文化は消えてしまったようです。

だいたい、紐帯、が一発変換で出てこない!、カナシイ、、、、、再び、涙

人間の色々な色濃い組織的な関係、というような深い意味があるんですが、、、、

個人の間だけでなく、市域社会、組織、会社の間でも、ですよ。

現代の社会学者は、social safety network などともったいぶったカタカナ語を振り回していますが、悲しいですなぁ、ぜひ、“紐帯” という古式豊かな日本語を学生たちに語ってもらいたいものです。

で、

ながくなりましたが、終りを急ごう。

ま、そんなことは、世界中どこにでもある当たり前、といえば当たり前のことですが。

先日も、立派な会社の偉いさんを相手に、ひとくさり、そんな話をしてましたよ。

「あんた、いったい、どんなつもりで会社経営をやってんだい?」

「株主から、良く言われれば、ご近所はどうでもいいのかい?」

「そんな調子だから、毎年三万人もの自殺者が出るんだよ」

「あんたは何とも思っていないだろうが、そんな社会を作っているのは、あんたのような経営者たちだよ」

ってな調子で、、、、。

ま、他に誰も居ない、サシで話をしてたから言えたのですが、部下でも居るところでそんな話をしたんじゃ、恥かかしますからなぁ、、、。

ということで、

きょうは、そろそろ終りだ。

まぁ、煎じつめれば、盆暮れの挨拶もなしに突然やってきて、「お願いだぁ――!」 ってのはないだろう? ってのがゴッドファーザーのセリフでありました。

世界的にヒットした理由もわかる、、、、、

参考

映画 ゴッドファーザー I、II、III

ニッポン日記 マーク・ガイン著 井本威夫訳 筑摩書房刊 1963,1998

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