かみなり雷太郎


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 今からお話しするのは、兵庫県三田市のお話です。むかしむかしその昔、雲の上ではしゃぎまわっていたカミナリの子供が足を踏み外して、ゴロゴロゴロ、ドスン!と空から落ちてきました。落ちたところは桑原村の欣勝寺、古井戸の中。



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 そんな大きな井戸でもないうえに、落ちてきたのは丸々と太ったカミナリの子。すっぽりはまって身動きひとつ出来なくなりました。雷が落ちた大きな地響きに、おどろいた和尚さんが外に飛び出すと、古井戸の中から「早く出せ~!早く出せ~!」「お前は誰じゃ?」と和尚さんがたずねると「おいらは雲の上に住んでいるカミナリの雷太郎じゃ!」

 和尚はびっくりして腰を抜かしそうになりました。「なんとかこのカンシャクを封じなければ村は大雨と落雷で大変なことになる。」急いで井戸にふたをして、そのうえに大きな重たい石をのせました。



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 ところが雷太郎は静かになるどころか、よけいに大きな声を上げて泣き叫びます。雷太郎が泣きわめくたびに雨は村をのみかむような勢いでザァーザァー降り、イナビカリはとどろきました。雷太郎はいつも桑原の空の上で、空き放題に雷をならし、村人たちが恐れるのを雲のすきまからおもしろそうにながめていましたが、真っ暗な井戸の中はやはり怖くてたまりません。だんだんおなかもすいてきて「雲の上に帰りたい」とシクシク泣きはじめました。



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 「なぁ和尚さん、あんたの言うことなら何でも聞くからたすけてくれぇ~」「そうか。それなら、これから先もう二度とこの桑原へは雷を落とさないと誓えるか?」「誓うよ、誓う!もう絶対にこの村には雷を落とさないよ」雷太郎は泣きながら約束しました。



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 和尚さんに助けられ、無事に雲の上へと帰った雷太郎は和尚さんとの約束を親に打ち明けました。すると父親のカミナリは「お前は雲の上へ帰りたい一心で約束をしたかもしれない。しかし約束は守らなければ価値のないもの。ましてや私たちは雷神と呼ばれる神なのだから、決して約束を破ることは相成らん」



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 それからというものは、欣勝寺とその周辺の桑原村には雷が落ちることはありません。よその村の人たちも、これにあやかろうと、雷除けのお守りをさずかりに欣勝寺へお参りするようになり、遠くの空で雷が鳴り出すと、くわばらくわばら欣勝寺、くわばらくわばら欣勝寺」と、となえるようになったのです。

  三田再発見委員会 『さんだの伝えばなし』

 寺の歴史は千年以上前に坂のぼり、平安時代の(970~973年)清和源氏の礎を築いた武将源満仲が開き、真言宗の道場だったとされる。二代前の住職の幼名が『雷太郎』とか、雷が「落ちない」と言うことから、受験生が訪れるとか・・・私の息子のときは、欣勝寺を知らなかったので、須磨の網敷天満宮にお願いをしました・・・。娘の時はやきもち地蔵に・・・どちらも入学できましたが、仕事、仕事の毎日であっという間に老いぼれに・・・・・。


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  和田の社



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 兵庫の津の南にのびている和田の岬には、古くから蛭子の神を祀る蛭子の森があった。


 さて、1658年の5月23日のことです。大雨が降って、あたり一帯は水があふれ、武庫川も大洪水を起こしました。水が引いてようやく地面がかわき始めたつきに、和田岬にやってきた村人は驚きました。蛭子の森にある大きな松の木に、立派な神輿がひっかかっているのです。



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 不思議に思った村人たちは、能福寺の僧に相談をしました。いろいろ調べてみると、どうも武庫郡小松村(現、西宮市)の押照宮(おかしのみや)の神輿のようでした。神輿の扉を開けようとすると、いろいろ不思議なことが起こったといいます。



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そこで、人々は神輿のかかっていた木を影向の松と呼び、ここに和田明神を祀りました。この洪水との関係からか、和田明神は、天候に関する願い事に霊験いちじるしいといいます。


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 千鳥の滝の娘と長者



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 今からお話をするのは、神戸市兵庫区のお話です。

 湊川をさかのぼってゆくと、荒田の北で川は東の天上谷川と西の石井川とに分かれています。この石井川をさらに上流へ進み、山地にかかろうとするところに、千鳥の滝という美しい滝がありました。そのあたりは石井村で、むかし、この村にひとりのお百姓が住んでいました。



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 ある日、その家に若い娘がやってきました。

 「お客さんをしますので、お皿やお膳を10人分貸してくれませんか」

 「はて、どこの娘だろう。  まあ、よいわい。困っている時はお互い様じゃ。」と、お百姓は親切に道具を貸してやりました。すると、翌日、娘は「本当に助かりました」と、お礼を言って、借りた道具を返しにやってきました。それからも娘は、何度も同じように頼みにやってきました。


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 あるとき、娘は、「これは、ほんのお礼のしるしです。」と、大きな桶を持ってやってきました。それから毎日、娘は袋をかついでは少しずつお米を運んで、通ってきました。桶が一杯になった日、最後に娘は言いました。「決して私のあとをつけて来られませぬように。また、この桶の底をこすったり、むやみに桶をのぞきこんだりされませぬように」


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 娘に貰った桶の米は、使っても使ってもなくなりません。その内、いつしかお百姓の家は栄えて、里の長者になっていました。娘は、それからも三代ほどの間、あいかわらず年もとらずに、ときおり道具を借りに、この家に現れ続けました。


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 何代目かの長者のときのことでした。あまりのふしぎに、長者はとうとう帰って行く娘の跡をつけていくことしました。見えかくれにつけていくと、ちょうど千鳥の滝のあたりまで来た時、ぽっと娘は消えてしまったのです。それからは、二度と娘はやってきませんでした。そしてまた、桶の米もどんどん減っていきました。それでも長者の家は、ずっと栄え続けたといいます。


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