①
私は母に遊んでもらった、記憶がない。
幼稚園の時からずーと親行事に、親が来てくれる事は1度もなかった。
年長の時に先生に、この子は可愛そうな子だからとみんなの前で言われて、悔しくっしょうがなかった。
普通は親と一緒に写っているだろう行事の写真には、毎回違う先生が私の隣で笑っている。
小学校高学年の時には、最後ぐらいは1回だけでも運動会に来て欲しくってお願いを何回もした。そしたら1万円を渡されて、好きなものを買いなさいと言われて、子供の気持ちはお金では買えないと叫んで破り捨てた。
そしたら父にボコボコに蹴っ飛ばされて、気が付いたら朝だった。
そんなこんなで、学生時代は荒れ放題!
小学校の時は嫌な授業があると、保健室に逃げた。
先生に怒られてばかりで、家・学校どこにも居場所なんてなかった。
大人なんて大嫌いだった。
表面ばかりで、きれいごとばかり。
本質なんて、何1つ見てくれなかった。
何もかもが嫌になって、高校の時は一番高いビルを探しまくった。
生きる希望が何1つ見いだせなくって、約1ヶ月ずーと雲を見ていた。
②
ずーと雲を約1ヶ月ボーと見ていたら、アイスクリームみたいな雲・クリームパンみたいな雲など色々な形があって、その日によって流れる向き・早さなど毎日違っていて魅力されました。自然は壮大だな!
今産まれている子もいれば、今亡くなってしまう命もある。
雲は毎日流れて、日が沈めば月・星たちが出てくる。
朝になれば太陽が出てきて、小鳥たちがさえずる。春になれば桜が咲き・秋になれば紅葉をする。誰も邪魔をしていない。
自然界ってスゴいな!なんて私はチッポケなんだろう。
そんな時高校帰りに家に帰りたくなくって、駅のベンチで座っていたら、友達のおばさんが何も聞かずにうちにおいでと言われて、4女になりなさいと言ってくれて気がつけば約2年住んでいました。
なぜ理由も聞かずに4女にしてくれたかを聞いたら、私の体も見てアザだらけで目が死んでたからと後から教えてくれました。
おばさんは青少年の更正委員みたいな事をしていて、毎日暴走族少年・ヤンキー少女・悩み事を抱えているおじさん・おばさん・おじいちゃん・おばあちゃん・その孫など、普段は数人でたまにイベントで20人くらいの方々が来ていました。
その中で色々な話を聞いて、人間の裏と表をみました。
産まれて初めておばさんは私の事を褒めて認めてくれて、初めてカバンを作ったりと少しずつ前向きになりました。
いつもおばさんに言われていた事は、良い事も悪い事も必ずいつかその2倍・3倍になって返ってくるから、悪い言葉さえも使ってはいけませんとよく言われていました。
その当時は、うざい・きもい・めんどくさいなどばかり言っていたので。
後感謝とお詫びの気持ちを常に持っていたら、いざと言う時に必ず誰かが助けてくれるとよく言われていました。
そして高校2年の夏に、友達が保育園のボランティアに行こうと言い出して、その時は子供と言えばスーパーであれ買って・これ買ってと泣いている子と言う印象しかありませんでした。
あーまためんどくさい事を言ってるな!と聞き流していたら、何回もしつこいのでしょうがなくついて行く事に。
保育園の多目室の窓拭きをしていたら、お昼寝の布団を子供達が片付けに来ていて、おねいちゃんたちのお手伝いをするねと言い出して、なにやら手を動かしていました。
何をしているの?と聞いたらほうきで掃除を手伝ってるの。あーほうきを持った真似ね!
1人がやりだすと、みんなやりだして窓を拭いてる真似・掃除機を掛けている真似・ちり取りでゴミを取っている真似など。
笑えてきて、なんて素直な子達なんだろう!
その気持ちがとっても嬉しくって、子供たちの為だけに生きようと決意!
そこから大嫌いだった勉強を真剣にやりだして、楽譜も読めない・どこがドかも分からなかったけど、保育士になるにはピアノが必修なので習う事に。
短大の見学も友達とおばさんが一緒に行ってくれて、私の暗いくらいトンネルは一気に桜カラーに染まり、初めて夢が持てました。
続く
☆ポエの本
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☆作詞もしています
http://ameblo.jp/kiki1125/entry-11394664791.html