窓際で眠る猫
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まだまだ未熟者

スマホのなかに保存してある祖父の写真が祖父がなくなって二ヶ月近く経ったというのに消せないでいました。
もちろんバックアップはとってあるのですが、それでも消せずにいました。

それを見るたびにまだ祖父がいるようで。また鼻の奥がツンと。
あんなに話しかけると反応を示してくれてた祖父の顔が、記憶の中に鮮明に残っていて。
それだけ私は祖父のことが大好きだったんだなと再認識しました。

でもこのままではずっと引きずるんだろうなと思い、もう一度バックアップとってあるか確認をして本体のフォルダからデータを削除しました。
寂しくなったらまた時々見るから少しの間だけ眠っててね。

そんなことをふとなぜか書き起こそうと思い立った23歳最後の夜。

ガラスの靴は何処へ

私は昔から男の子のような格好をするのが好きでした。
髪は短く、スカートよりもズボンを選び、ワンピースよりもパーカーで過ごすことの方が多かった。
ピンクよりも青を選び、ハートよりも星を選ぶ。
それは今も変わりません。
でもそんな女性は私だけではないはず。
…はず。

昨年、お世話になっているお坊さんに言われました。
「相手さえ見つかればトントン拍子に話が進むだろう」と。
では聞きたい。

「相手が見つからなかったら?」

深刻な問題である。そもそもの相手がいなければ進むものも進まない縁談である。

なんとも世知辛い。
努力をせねば。

祖父のこと。


25日に亡くなった母方の祖父はとても明るい人でした。
道行く近所の人達に挨拶をして、皆を笑顔にする人でした。

色々なことを知っていて、絵が上手く、字もすごく綺麗で。
そんな祖父は私の憧れです。

認知症になってから結構長くて、最初の頃はよく同じ話を何度も何度も聞かされていました。
昔私の母校のPTA会長をしていた祖父。
私たちが小学校の頃、祖父を含む何人かの写真が校長室に飾ってあるのを見つけて同い年のイトコとその写真を見に行ったものです。
校長室に祖父が挨拶に行ったときもそれを出待ちしたこともあります。

話が反れましたが、祖父は生まれる前に母校である小学校の建て替えの際に協力した組織の一人(って言ったらなんか変な感じ)だったらしく、それをすごく誇りに思っていたようでした。
「この校舎はねぇ…」と話す祖父は本当に楽しそうで、嬉しそうで、孫が言うのもあれですが、可愛かったんですよ。

何度も同じ話を繰り返していても、「嬉しかったんだろうなぁ」って聞いててこっちが嬉しくなっていました。
認知症で周りの人の名前を忘れていても、なぜか私の名前だけは覚えていて(私以外の人にも「私は誰?」と聞かれても私の名前を答えていた)、それも何だか嬉しくて。

祖父はよく風景画や花を描いていました。
数年前に亡くなった父方の祖父は人物画や花をよく描いていました。

両方の祖父が描く絵がとても好きで、描いているのを背後から覗いて見ていたりしていました。
「こんな綺麗な絵が描けるようになりたいな」なんて思っていました。
今も絵は全然描けないですが。

今でも思い出す祖父の仕草のクセや笑い方、食べ物を食べさせるときに催促されたりとか思い出せる記憶が一気に頭の中を駆け巡ってまた涙が止まらなくなります。

母の実家に生まれてから小学校4年生くらいまで住んでいて、今は家を建て替えて母の妹家族が祖父母と一緒に住んでいました。
昔の住んでいた頃の家の形、間取り、置いてあったものを思い出しては「ああ、あそこでああしてもらったな」とか「いつもここでNHK見てたな」とかそんなことばかり。やっぱり涙は止まりません。


昨日もずっと祖父の顔を覆う布を取って祖父の頭を撫でて、大好きな祖父の鼻を触っては流したくもないのに涙が止まらずどうしたものか。

祖父の孫に生まれことができて、本当によかったなと思います。
祖父が喋らなくなってもう数年経つので祖父の声の記憶が少しずつ薄れていってしまっているのが本当に悲しくて。

辛かったよね、苦しかったよね。
もうゆっくり休んで、大好きなのに我慢しなければなからなかったお酒も沢山飲んで、大好きな絵を沢山描いてね。

大切で素敵な日々をありがとう。
大好きだよ、じいちゃん。