けんぶるのブログ

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音楽とうまいものとサイクリング

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師走も押しせまり、あちこちのコンサート会場でベートーベンの第九が盛んに演奏されている。
そんな中、1週間に2回、第九演奏会を聴くという生まれて初めての体験をした。

月曜日はサントリーホールで、小林研一郎指揮・日本フィルハーモニー交響楽団。金曜日はパーヴォ・ヤルヴィ指揮・NHK交響楽団。
2度にわたって第九をナマで聴いて改めて、200年前によくぞこんなユニークな交響曲を作り上げたものだというベートーベンの狂気にも似た天分への驚きと、指揮者によってよくもまあこんなにも違う演奏になるものだという感慨を持った。

炎のコバケンの異名通り、小林研一郎の方は、テンポを自在に変えながら文字通りの”熱い”第九だった。最初の3楽章はあまり印象に残らなかったが、第四楽章はそれまでの平凡さを一気に打ち消すような名演で、感動的だった。

N響の首席指揮者に就任したばかりの注目のパーヴォ・ヤルヴィの第九は、その終始一貫したテンポの速さに驚かされた。私が腕時計で確認したら、演奏時間は63分。まれにみる短さだ。クラシック少年だった頃によく聴いたカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏よりも短い。自室のCD棚にあったクリュイタンス指揮ベルリン・フィルの演奏は74分48秒。これに比べると10分以上短い!コバケンの演奏は、ちゃんと時間を計ってないが、70分前後だったと思う。パーヴォ・ヤルヴィのこのアップテンポにちゃんとついていくN響はさすがだとは思うが、私にとっては少々速すぎて、演奏の素晴らしさをかみしめながら聴くことが出来なかったのが残念だった。ま、でも、彼の指揮ぶりは、颯爽としていて指揮棒の動きなどは一種の芸術品のようで刺激的ではあった。

でも、これほど演奏家固有の様々な解釈をされても、その1つ1つが感動を呼ぶということは、紛れもなくベートーベンの第九という曲が大傑作だという事を証明しているのだろう。

最後に一句。   「 年の瀬や   第九で心の   すす払い  」


キング・クリムゾンのライブに行ってきた。

様々なジャンルの音楽をむさぼり聴いてきた私も、同時進行ではないが、プログレッシヴ・ロックにはまった時期もあった。ピンク・フロイド、イエス、ELP,フォーカス、PFM、そしてキング・クリムゾン・・・・。でも、こうして並べてみると、それらのバンド1つ1つの音楽は、プログレという共通の枠にはめるのには無理があるなあ。それぞれに唯一無二の個性があった。活動はなやかなりし60年代末から70年代において、ハード・ロックやブルース・ロック、グラム・ロックには入らないものをまとめて束ねたのがプログレッシヴ・ロックだったのかもしれない。

ブルージーなピンク・フロイドや、クラシカルでおしゃれなELPなどに比べて、キング・クリムゾンはあまり好みのバンドではなかった。なので、バンド仲間から誘われなかったら来日公演にも行かなかったかもしれない。でも行こうと思ったのは、あの名アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」の曲をナマで聴いてみたいと思ったからだ。

会場の渋谷オーチャードホールには当然のように往年のファン=中年男が目立った。
メンバーは、ステージ前列のトリプル・ドラム!そしてひな壇後列にはキーボード兼サックス、ベース、ギター兼ボーカル、それに、椅子に座ってエレキ・ギターに専念するロバート・フリップという7人だ。このユニークな編成でどんな演奏が展開するのか興味津々だったが、ライブのふたが空いてみると、計算されつくした演奏が展開。アルバムに収められた楽曲を1つ1つ忠実に完璧に再現していく。そこにはアドリブのアの字もなく、無駄な音は1つもない。同時にMCなる無駄なあいさつも曲目紹介も一切なし。クラシックのコンサートのように1曲1曲が淡々と演奏されていく。そこには、ロック音楽に不可欠なパフォーマンスは存在しない。
注目の3台のドラムは、まるで和太鼓ユニットのような緊張感のあるコール&リスポンスを繰り広げる。素晴らしい!この『和太鼓集団』の一糸乱れぬかけあいが、キング・クリムゾンの古い楽曲に新たな息吹を与える効果を上げていた。やるなあ、ロバート。さすがです。

てな感じの完璧な楽器演奏集団による淡々コンサートは90分で終了。
会場の拍手に応えて、メンバーは再びステージに現れ、流れてきたイントロは、何と「クリムゾン・キングの宮殿」。これだよ、これを聴きに来たんだよと言わんばかりの拍手喝采が響く。それに続けて、「21世紀の精神異常者」だ。イエイ!46年前の楽曲が忠実に再現された瞬間、会場は最後の最後でロック・コンサートらしい興奮状態に包まれたのだった。

キング・クリムゾンの楽曲は、オリジナル・メンバー亡き後はどうなるのだろうか?次世代の演奏家によって引き継がれていくのだろうか?そんなことを思いながら、バンド仲間と肉豆腐をつつきながら黒ホッピーを飲んだのでありました。

最後に一句。  「  プログレに  酔い肉豆腐   冬酒場   」


さて、いよいよコンサート最終日だ。
これまで2回のウイークデーの夜ではなく、日曜の午後3時開演。2時過ぎに東京オペラシティーに到着。地下の食堂街へ。コンビニで缶酎ハイを買って、巨大クリスマス・ツリーのある中庭のベンチでくいっと飲む。いい気分だ。まだ時間がある。ベンチの至近距離にアイリッシュ・バー。ちゃんと開いている。入ってエール・ビールをハーフ・パイントくいっと飲む。

シベリウス三昧のコンサート最終日の始まりだ。左隣りのおじさんは今日もふんぞり返って座っていた。右隣りは、30代の男性がいた。演目は交響曲第5番、6番、7番。
この日も指揮者オッコ・カムは、ステージに現れ、指揮台に置かれた椅子に腰掛けるやいなや即指揮棒を振り、演奏スタート。いい演奏だった。行ったことはないが、フィンランドの北の大地の香りを味わうことが出来たような気がした。

そしてアンコールだ。
これまで2回と同様、シベリウスの知られざる小曲を紹介してくれるのかと思っていた。オッコ・カムは拍手に応え、指揮台に上がり無造作にタクトを降り始める。それに合わせて重低音の管楽器による聴き覚えのあるフレーズが響く。なんと交響詩「フィンランディア」ではないか!シベリウスの名を世界に広めた代表曲だ。ロシア圧政下のフィンランドの独立を願う当時のフィンランド国民の気持ちを鼓舞する曲として、今も国民から愛されている曲だ。
実に感動的だった。何十回、何百回と演奏してきた曲なのだろう。自信満々な余裕すら感じさせる堂々とした演奏だった。実はこの曲で3日間をしめくくるために交響曲全曲を演奏したのではないかとすら思ってしまった。

演奏が終わった瞬間ブラヴォーの嵐。私も我を忘れて涙ながらに拍手していた。拍手はなかなかおさまらず、楽員全員ステージから一旦消えたが、拍手に応えて再びステージに現れ、整列して一礼。それに合わせて大きな拍手が湧き起る。最前列の私も拍手を強める。すると、目の前に立っていたビオラ奏者のおばさんが私に向かって「ブラヴォー!」の声を発した。ここまで拍手喝采する我々聴衆もブラヴォーものだと言っていたのだろうか。

音楽が持つ魂を揺さぶるエネルギーをまざまざと実感し、シベリウスの全交響曲演奏会は幕を閉じたのでありました。

最後に一句。  「  ブラヴォーの   フィンランディアに  ツリー揺れ   」


初日の翌日がシベリウス全交響曲演奏会の2回目だった。
仕事場から会場の新宿の東京オペラシティ・コンサートホールへ。開演まで30分ほどあったので、地下の食堂街へ。「日高屋」があったので入り、景気づけにレモン・ハイ&ハイボール&餃子。(シベリウスを聴く前ならズブロッカだとは思うけど・・・)

初日と同じ下手・最前列の席へ。右隣りは、昨日の老夫婦と違って若い女性だったが、左隣りは、昨日と同じ中年男性。私と同じ全3回分のチケットを買った客なのだろう。演奏中、時に身を乗り出して聴いたり、時に天井を向いて居眠りをしたりと、目立つ最前列の客としてはいささか行儀が悪い。音楽雑誌か新聞社のライターか、フィンランド協会のお偉方か・・・・。

2日目の曲目は、交響曲第3番、4番と、バイオリン協奏曲。
初日にも思ったのだが、シベリウスの曲には、ピチカート奏法が頻繁に現れる。バイオリンやチェロなどの弦楽器を弓ではなく指ではじく奏法だ。(ギターで言えば、アルペジオ奏法がこれに近い)しかも、バイオリンよりチェロによるピチカートが多い。シベリウスの作曲技法のクセのようなものなのだろうか。
それと、もう1つ感じたのは、シベリウスというと、チェコのドボルザークや、ロシアのムソルグスキー、リムスキー・コルサコフなどと並んで、「国民音楽 楽派」というイメージが強いが、交響曲3、4番を聴いていると、フィンランド固有のメロディーというより、ストラビンスキーやシェーンベルクなどの無調音楽を想起させる。シベリウスは昔の作曲家と思うけど、円熟期の曲は皆20世紀に入って作られているのだ。クラシックというより現代音楽に近いかもしれない。

2日目のハイライトは、バイオリン協奏曲だった。弱冠27歳のフィンランド青年ペッテリ・イーヴォネンの熱演が観客のブラヴォーを誘った。拍手が鳴りやまず、珍しくソリストのアンコールが披露されたのだが、これがまたド迫力の演奏だった。曲目はイザイ作曲「無伴奏バイオリン・ソナタ第3番 バラード」。フィンランドが世界に誇る演奏家として育って行ってほしいと思った。

最後に一句。   「  ピチカート  ブラヴォー冬の   シベリウス  」