あちこちダンス。
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コロナとの共生

コロナによってこの先世界はどう変わってしまうのか。

TVでもSNSでも開けば同じような議論が繰り広げられてますが、

世界が変わるのではなく、

自分が変わらなければなりません。



この時期、友達家族に会えなくて、大切にしなきゃなって思ったなら、

仕事とか、そうでなくても自分のやりたいことを優先して時間を費やしてきた生活のを変えるべきだし、

従来の仕事の仕方じゃ、こういう事態になった時に太刀打ちができないな、生活がままならなくなるなって思ったなら、何か新しく自分を生まれ変わらせる行動をしなければならないと思います。



元の生活に、一刻も早く戻れるように。


それでいいのでしょうか?


「社会」というのはコロナよりも怖いと思います。一生治らない病気。

そう簡単に変わってくれるものではないような気がします。

自粛があけて、元の時間がまた戻ってきて、やがて数年後に、「あー、コロナあったねー。あん時大変だったわー。」なんて言ってる姿が目に浮かびますw。


コロナとの共生

とはつまり、

このコロナ禍で生まれた「考え方」との共生


のような気がします。


社会の変化、世界の変化に適応していかなければいけないと考えるのではなく、自分自身が変わっていかなければ、


多くの問題を抱えたまま走り続ける世界に目を瞑った日常が、戻ってくるでしょう。









Barking dog

情報がありすぎる時代。


ネットを開けば様々な選択肢が広げられていて、興味を引こうと色々な情報が大風呂敷をひろげんとばかりに並べられている時代。


毎日やってるテレフォンショッピングのように、商品のあそこがいいここがいいという情報が一方的に投げ続けられる時代。

そこには手を伸ばせば必要なもの、情報がすぐ手に入るという社会が広がっています。


この発信者と消費者の構図は、ダンスの世界においても当てはまるものだと思います。


仕掛ける側と、搾取する側の構図。

もちろん、一概にその構図が悪と言えない場合もあるので、それ自体、悪いものだと言ってる訳ではありません。


しかしその中に、パフォーマンス重視、本質を欠いた情報が数多く存在するのも確かです。



今はひとりひとりが、本当にいいものを見極められる時代です。


本当に伝えたい情報、方法、価値


それを与えるのではなく、


人と共有、シェアしていく時代。



お腹の空いてる人に魚を与えるのではなく、←今まではココ

魚の釣り方を教えてあげて、←大体の人はここで、魚の釣り方を教えてあげた自分に酔いしれます。



さらには一緒に釣りをして、その感動を共有する。

そして、よりよい魚の釣り方をみんなで考える。

そういう人たちが増えていって、釣竿を考える人が出てくる、向こうにもっと釣れるスポットがあるよ!と調べる人が出てくる。というように...。


そのための熱意、そして頭の中にそれを考えられる余裕を持つかどうかだと思います。


マラソン走って、一人で先に走って金メダルとってから、優勝するためのメソッド!とか言ってみんなに教えるのか、


マラソン走りながら、一緒により良い走り方を学んでいくのか。


そういう違いなんじゃないでしょうか。


パフォーマンスをするな。

仕掛けようとするな。




Don't shout too often,so that you can make

sure it truly counts when you want to roar.


いざ大声で聴かせたいことができた時に相手にされたければ、

あまり頻繁に叫んではいけない。




本当に心に響かせたければ、


己の行動を持ってのみ。

「ありのまま」の自分と「なりきる」自分


前回の投稿では、何故「踊るのか」という、そもそもの動機的な側面から掘り下げましたが、

今回は、そもそもダンスの魅力ってなんなの?というところから話を広げていきたいと思います。


「ダンスの魅力」として思いつくものは

・ただ単に音楽に乗る気持ちよさ。

・運動することによる気晴らし、身体能力の向上。

・演じることの楽しさ。

・違う文化に触れられる。ダンスに関する知識が身につく。

・友達とのコミュニケーション。

・人格形成。決められたことをやり通す、継続するということでの成長。

・ダンスを取り巻くイメージ(オシャレ、カッコいい など)の没入感。違う自分になれる。


このような感じでしょうか。他に何か考えつきますか?



今日はその中でも「演じる」というポイントについて更に掘り下げたいと思います。



ダンスは「表現」なのですが、
「自分の体一つを使った身体芸術」という意味で、その中にスポーツ的側面と芸術的側面を内在しています。


そしてよく疑問に思うのが、
「なりきりなさい」「ありのままの自分でいいんだよ」という、この2つの対照的な見方。


「なりきる」自分と「ありのままの」自分。


一変に同じタイミングで先生から言われたら、なんか混乱しちゃいそうですよね。

先生の踊り方よく見て〜、イケてるメンズって感じになりきって〜、自分をありのままに表現するんだよー。


って、どれやねん!って感じですよね。



「なりきる」ためには、演技力、アクティング、振付のオーダーに合わせ自分をキャラクタライズすることが必要になります。


「ありのままの自分」を表現するためには、感じたままを伝える協力な個性、即興力が必要となります。また、自分に対する理解力も大切かもしれません。


個性を出しながら何かになりきり、演技をしながら即興する。


この、一見相反していそうなものをひと繋ぎにするものそれが、



「センス」



だと思います。


このセンスというものが、それぞれバラバラのものを調合し、身体からひとつの表現の答えを生み出す。


もしかしたら、この「センス」というものは、ダンスとは全く別のところからやってくるかもしれません。

昨日見た映画、いつも友達とやってる遊びや、知っている知識、文化に対する理解、はたまた体の可動域や柔軟性、その日のコンディションにもよるかもしれません。

それら一見関係ない全ての背景が、その一瞬に表される。


ダンスは人生の「鏡」なのです。



海外のダンサーのレッスンで、よく

「make sence?」という言葉を「わかった?」と問いかける時に使うのですが、


直訳すると「センスを作る」

日本語で言うと、「できる?」「やれる?」

ということですが、

日本語の受け取り方だと、少し受け取り方がざっくりしてしまいそう。


先ほどの命題に対して、


「自分なりのセンスで、答えを導けますか?」


という意味で捉えれば、表現を導く上でセンスを磨くということの重要性がわかるし、私はこの「make sence」という言葉からうけるインスピレーションを、常に大切にしています。


演じる魅力、それは、自分の感性を導き出す、っいうことなのかと、思ったりもしますね。


「ありのままの表現」と「なりきる表現」
どちらが正解なのか。

ダンスは「芸術」なのか「スポーツ」なのか。


答えは、どちらも正解です。

ダンスは多元的です。多様な考え方が大切です。


多様な考え。。ミーハーってこと?




それを裏付けるのもまた、


「センス」


という言葉だと思います。

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