医療系大学生だけどIBSガス型、嘔吐恐怖症

医療系大学生だけどIBSガス型、嘔吐恐怖症

医療系大学生だけどガス型。
一念発起して治すために頑張る記録をつづります。
嘔吐恐怖症もあります。

Amebaでブログを始めよう!
辛くて苦しいとき、このブログの存在を思い出します。
今日、思い出しました。なので、今の気持ちを綴ろうと思います。

私はIBS患者でした。
病院を転々としていたとき、どの医者も私と真剣に向き合ってくれず、冷たくあしらわれ、「私がもし医療に携われたら、この人みたいにはならない。もっといい対応ができる」と思い、医療従事者になりました。

今なら、あの冷たい医師達の気持ちがわかります。
現代の医療は恐らく今ある病気の30%もわかってないでしょう。
IBS、全身痛、不定愁訴…今の西洋医学では原因も、特効薬もありません。
そして、それらは死ぬ病気ではありません。故に研究もされず、原因も治療法もわからない、悪循環です。
大きな病院には、すぐ処置しないと死ぬような病気の人が毎日大勢います。それらは死ぬ病気なので昔から研究がなされ、原因や治療法がわかっています。
医師達は、そうした命にかかわる、原因や治療法のわかる病気を最優先にみます。
命にかかわらない病気や、原因、治療法がわからないものは二の次。
忙しい外来の間に来れば面倒くさいと感じ冷たくあしらうのも当然です。

医者のくせに。医者なんだから命にかかわらない病気も真剣に見ろ。
そう思ってました。医者とは選ばれた、優秀な人徳のある人であると思っていたからです。
今はそう思いません。医者はただの少し筆記試験ができるだけの、ただの人だと知ったからです。
辛い病気を救ってくれと救いを求めるに値する存在ではないと知ったからです。
そして医者はみな疲弊しており、多くを求めるのはかわいそうだからです。

むしろIBSや不定愁訴等の辛いことは、カウンセラーなり、東洋医学者なり、そういうことを得意とした人に相談したほうがいいのではと最近思います。
医者に頼りすぎるのは間違いかもしれないと最近では思います。


高い志を持って医療従事者になった私。
「もっといい対応ができる」と思っていましたが、どうやらそうはならなかったようです。

そういえば最近嘔吐恐怖症について書いていませんでしたね。

働きだす前、患者さんに突然嘔吐されたらどうしよう、と考え出すとパニックになりそうなくらい嘔吐恐怖症はひどかったです。
実際働きはじめた際も、突然吐かれたとき用にビニール袋を持つことをかかせませんでした。
でも、だんだん嘔吐する患者さんを見るようになって、
少しずつ…ではありますが、前よりは大丈夫になったような気がします。
どう変わったかというと、

前➡吐きそうな人を見るだけで心臓ばくばく
今➡吐きそうな人でも袋を持ってもらえれば見ていられるようになった

実際に吐くときも、袋を持ってそこに吐いてもらえる分には見れるようになりました。心臓ばくばくもしません。

ただし、やはり子どもや、袋もなにもない状態で吐きそうな人を見ると未だに逃げ出したくなります。。
直で見るのが嫌なんでしょうね。

でもまだまだ慣れません。
これでも進歩したほうなのでしょうか。。
いまいちわかりません。
つじつまの合う生き方をしたい、
最近そんなことを思うようになりました。

私は人から見ればつじつまの合わない、ちぐはぐな人生を歩んできたと思います。

私には人生の重大な分岐点や選択肢がいくつかありました。
そのとき選んだ道や、選択の背景には、いつもIBSの影がありました。

医療の道を選んだこと、わざわざ地元から遠く離れた誰も知り合いのいない大学を選んだこと、受験せず推薦を選んだこと、部活に入らなかったこと、人から遊びや旅行に誘われても断ったこと、好きな人を諦めたこと。

その全てはIBSの影響でした。
私のしたい選択ではなかったものがたくさんあります。

本当はもっと勉強したかった、きちんと受験してもっと良い大学に行きたかった、部活をやりたかった、友達と旅行にも行きたかった、でもできなかった。IBSだから。

でも、人に「どうして地元から離れた大学にきたの?」「どうして推薦を選んだの?」「どうして部活に入らないの?」「どうして旅行に行かないの?」と聞かれても、本当の理由は答えられなかった。

だから、バカみたいに笑って嘘を答えるしかなかった。
「ここしか受からなくて」「頭悪いから一般受験できなくて」「部活とかめんどくさくて」「お金がなくて」

私は嘘をうまくつけていると思ってた。
だけど今考えたら、こいつなんだかつじつまが合わないな、と思われてたんだろうなぁと思います。

これからは、つじつまの合う生き方をしたいです。
嘘をついてへらへら笑う生き方をしたくないです。
本当に自分のやりたいことがやりたいです。

だから私はどれだけ辛くても、女のやる仕事じゃなくても、
いつかIBSの人たちと関われる仕事がしたいです。

IBSで悩んだからIBSの人たちのために仕事をする、
それって私の人生で初めての、最もつじつまの合う生き方だと思うから。

最近、色々あって、
私はどうあがいても幸せにはなれないのだなと気づきました。
ネガティブな意味ではないのですが、、

IBSがあって人より辛い人生を送ってきた分、
幸せになりたい、ならなきゃという欲が強く、
幸せになるために色々なもの、人にすがりついて、自分の気持ちを押し込めて、我慢して、、
そうまでしても結局うまくいかなくて、最終的には破綻してしまいました。

どうあがいても幸せになれないなら、
自分の気持ちを押し込めたり、我慢することはもう必要ないのだと思いました。

一人でいたって、孤独に悩んだり、旦那や子どもがいる人に嫉妬したり、苦しむでしょう。
誰かと結婚したって、理解のない夫を心底憎んだり、子どもが病気に苦しんだり、仕事を続けられなくなったりして、苦しむのでしょう。

どちらにしたって苦しいなら、今がなるべく苦しくない方にいれたらいい。先のことは考えない。
そう思うようになりました。

どうあがいても幸せになれない人生を、この先どう消化していくか、考えて生きていかなくてはなりません。
辛いことの多い毎日だった。
看護師に怒られ、医者に怒られ、いらいらと苦しみを抱えながら、誰にも言えずに生きる毎日だった。

IBSだけどこんなに頑張ってここまで来ましたと、誰かに言えたら、そしてそれを受け入れてくれたら、どんなに楽だろうと考えた。
現実は、そんなこと口が裂けても言えないし、言ったところで誰もわかってくれない。

でも頑張っていたら、君は頑張っているねと認めてくれる人が一人だけいた。
嬉しかった。

人生は嫌なことだらけじゃない。
このことを、医療者として、IBSで悩む人達に直接、真実味を持って言えるまで、あとどのくらいかかるのだろう。

思えば18歳のとき、
私は大学に行っても、働きだしても、
またこの病気のせいで恥ずかしい思いして、笑われて、友達もできなくて、幸せになんてなれないことが目に見えているのに、
どうして受験に向けて頑張っているのだろうと、馬鹿馬鹿しくて涙が止まらなかった。頑張ることを辞めたかった。頑張ることが苦痛だった。
真っ暗な未来に向けて努力することがただ辛かった。

でも、あのとき少しだけ頑張ってくれた私のおかげで今、私はなんとかここにいる。

今、たくさんの私のことが嫌いな人達と、数人の私のことを好きでいてくれる人達に囲まれて、
なりたい自分になるために頑張っている。

あとどれくらい死ぬほど辛い思いをすれば、同じ病気に苦しんでいる、まだ見ぬあなたにたどり着けるのだろう?
あともう少し。
這いつくばってでも生きなければ。