クリリンVSがん   ~マントル細胞リンパ腫~  闘病日記

クリリンVSがん   ~マントル細胞リンパ腫~  闘病日記

マントル細胞リンパ腫(ステージⅣ)と診断された26歳(男)の闘病日記

2008年7月24日から闘病ブログスタートしました。


それ以前のがんの兆候~告知、入院までの日記ははこちらにまとめましたので、もしよかったらご覧ください。

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   闘病日記  


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 今まで応援してくれた方へ


主人は12月31日永眠しました。

骨髄移植後の1年間は日に日に肺の状態が悪くなり、

月に1度の病院受診日以外は家から出られないような

状態でした。それでも肺移植を目標に、少しでも体力が

落ちないようにとたくさん食べる努力をしたり、

座ってできるような筋トレをしたりと頑張って

いましたが、1年間で15キロ痩せてしまいました。


12月に入ってからは、急激に苦しさが強くなり、

横になっていても呼吸が整わなくなりました。

その頃から、声を出す肺活量もなくなって

しまったのか突然ささやくような声しかでなくなり

苦しくて夜も眠れなくなりました。

気管支を広げ一時的に呼吸が楽になるような薬を使い

10日間くらいは家で過ごしましたが、18日に

安静時の酸素濃度が70代にまで下がったので

救急車を呼びそのまま入院になりました。

病院に着いてからレントゲンを撮ると、肺炎の影が

あるとゆうことで抗生剤での治療がはじまりました。

初めは肺炎の炎症が治まれば、また元の生活に

戻れると思っていましたが、20日に主治医から

呼ばれ話がありました。

酸素を送り込む機械を使い、酸素は吸えているが

二酸化炭素を自力で吐き出す力がないとのことでした。

最終手段として二酸化炭素を出す薬を使ったのですが、

それがよく効き一度はもちなおしました。

しかし、また徐々にたまっていき同じ薬を使いましたが

二度目は効かずそのまま亡くなりました。


亡くなる数日前には、残りの時間を悟っていたのか

意識があるうちにと、会いたい人たちを病院に呼び

手を握り、一人一人に今までの感謝の気持ちを

伝えました。その後には私と娘たちの事をみんなに

お願いしていました。

本当に最後まで立派で強くて自慢の夫でした。

長く辛い闘病生活でしたが、最後まで生きることを

あきらめず、本当によく頑張ってくれました。

今まで頑張り続けた分ゆっくり休んでもらいたいです。


最近はパソコンを開く体力もなかったので

なかなかブログ更新出来ませんでしたが

6年間応援してくれた方本当に

ありがとうございました。




 



久しぶりです!


骨髄移植のほうは、だいぶ落ち着いてきました。


先月血小板が一時、2万ぐらいまで下がりましたが、

輸血なしで何とか乗り切り、それ以外は目立つ副作用や

拒否反応は出ていません。


リンパの腫れも出てなく順調です。。。。



肺は相変わらずというか、ちょっとづつ悪くなっています(>_<)

普通には生活もできないので、3級の障害者認定をうけました。

妻に介護されてます(^▽^;)

自宅では在宅酸素療法でHOTという機器を置き、

高濃度酸素を吸入しながらの生活になりました。


ただ酸素を吸っていれば苦しくもならないし、

他に悪いとこがないので、そんなに苦には

なりません!


このまま静かにすごして2年粘りたいです!!










最近ブログを書くのがやんなってて放置して


たんですが、「待っている」というコメントを


いただいて、また書く気持ちになりました。




ブログがいやになってた理由はやはり病状の


事なんですが、実はリンパ腫での骨髄移植は


かなりいい感じで、今のところ大きな副作用(GVHD)


などは無く、リンパや血液関係は順調です。


しかしリンパとは関係なく長年の強い抗がん剤のせいで


両肺がつぶれてしまい、肺機能が4歳児なみで大人の


俺には歩くこともできず車椅子の生活になってしまいました。



やれる処置や治療はすべてやりましたが治らず


先生もお手上げ状態で今は自宅療養です。



ただ肺の状態がすぐに生死にかかわるので、脳死の方からの


肺移植が適用になるようなので、リンパ腫をかんかい状態


にまでして、移植登録し、順番待ち(だいたい2年)して


移植が成功すれば治るらしいので、壁はたくさんあるけど


何とか肺移植の日まで生きるのが今の目標です。



骨髄移植が成功すれば、またもとの生活に戻れると信じていたので


精神的にはかなりきついです。