あけましておめでとうございます、

って、ぜんぜん使ってなくて、正直、お正月な気分にはなりません。

日本の年末を楽しんでから、
1日にパリに戻ってきてから、どうもやっぱりお正月という感じがしないまま、
日々をすごしているので、
取り急ぎ、ご挨拶と目標だけ忘れないように書いておきます。


あけましておめでとうございます。
昨年も大変お世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願いします。


2011年は、
健康・運動、
料理、食べる、
旅行、
英語とフランス語な1年にします。


日本を飛び出してから、3ヶ月ほど。
毎日楽しく過ごしています。

今しかできないことと、これからを考えて、いろいろ行動する年にしようと思います。

今年もどうぞよろしくお願いします。



本日12月18日、誕生日を迎えました。

いつもは、12月に入った途端にワクワクして、
誕生日祝いを毎週のように祝ってもらい、そわそわワクワク
浮き足立って過ごす日々。

今年は、リヨンでそれどころじゃなくて、
毎日学校に通って、
パリに向かうまでの準備や
少しでも友達といたいし、
正直誕生日を忘れていてそれどころじゃない感じでした。


17日、夜帰ってきたら、たくさんのメッセージが・・・
あぁ、日本はもう18日なのね。
うれしいことです。

なんか、こんな風に意識せず、さりげなく年を重ねるのはいいことですね。


フランスに来る前、イチローに、
「どうしよう、私誕生日にひとりで泣いているかもしれないよ!」
と言ったら、イチローは、
「そんなわけないやん。たくさんの人に囲まれているか、
男の子といるか、男の子に囲まれているかやな。
ひとりやったら、俺が日帰りでパリに行くわ。
でも、間違いなくひとりはないけどな」
って言っていた。

イチロー正解。

明日はパリで何件か物件を見た後、囲まれてきます。


でも、こちらでの習慣は、誕生日は自分がフェットの準備をオーガナイズして招待するもの。

そういうの、素敵だな。

結婚式も招待するもの。する側が食事とか準備して、食べてもらう。


大切な人を一気に集める場をオーガナイズするってすごい幸せなことで、
来てもらえるだけで幸せなこと。


だから、正直お祝いなんておこがましくて。
覚えていてくれてメッセージをもらったり、
ごはんを一緒に食べられたり、会えたり、自分のために時間を作ってくれるだけで
すごい幸せなことですね。


って、心から思います。


まっ、今まで誕生日ってだけで12月ははしゃいでたから、ちょうどいいのかもしれない・・・




29歳、フランスって、日本ほどあまり年齢関係ないので、意識せず重ねられていいのかもしれない。

日本に帰って現実にもどって一気にへこまないように気をつけます。




29歳は、「英語」「世界を見る」「料理」です。


では、29歳の私もどうぞよろしくお願いいたします。
#こちらは、フランスに渡るマレーシアの空港で記載したもの。
 今更だけど、アップします。 私が、いつも実家にいると感じる違和感について。




田舎に暮らすということ。
家族と暮らすということ。

私は、田舎で生まれ育ったので、
都会で育つ、ということを知らない。

大学生で大阪に出るまで、本当に何もない田舎で育った。
小学生の頃から、津山を出たいと思っていた。

自分には、すごく窮屈だったし、
何も面白みもない退屈な土地だった。
遠くの都会に何があるのかはわからなかったけれど、一瞬でも出たかった。
そこではお金がいることがなんとなくわかっていたから、
お金を稼げる手段として、それなりの職業、それなりの大学に行かなければならないだろう、
と思い込んでいた。


出てみて思ったことは、
田舎に帰るたびに、やっぱりちょっとしたしがらみが
私にはいっぱいでそれがすごく窮屈なのだ、最初の2-3日。
そして、1週間もいれば居心地がよすぎて出られなくなる。
なので、私は、地元に5日くらいしか滞在しない。



都会で、私は、出身地も学歴も、●●高校出身、●●の街出身、
●●さんの家の出身、長女、とか、そういうことと無縁になれる。

東京は、まだまだ閉鎖的だと思うけれど、
同和地区とか、そういう差別的な昔からある変な概念に無頓着で入られる。
(東京にもあるのかもしれないけれど、
私の根っこはそこに今はないため、わからない)


そういう、はたから見れば本当にどうでもいいことに、
がんじがらめになることが、子どもの頃から本当に嫌だった。
都会にいると、そういった根っこの部分に無頓着になれるから居心地がいい。


でも、それは、他の田舎にはあてはまらないのかもしれない。

自分のルーツがある家族のいるところに、
私はその苛立ちを感じるのかもしれない。


家族は悲しむかもしれないけれど、
実家に帰って、家族の一員として、外部と接触するとき、
私は、そのしがらみ、みたいなものを感じて不快になったり、
疲れることがあるのだ。
そして、遠く離れた知り合いとコンタクトをとるとほっとしたり、
早く東京に戻りたくなってしまうのだ。



でも、今回、妹が新しい家族をつくろうとしていることに接して、
家族とか、しがらみ、とかいろんなことを考えたのだ。


もともと、親族はたくさんいるけれど、
私の家族は核家族だ。
近くにいつも見つめてくれる祖父母や親戚がいるけれど、
構成されている家族は父母私、妹、弟。
とくに、父母は、それぞれ3人兄弟の末っ子ということもあり、
比較的自由だし、いつもそれぞれの家族からかわいがられている感じだ。


なので、はじめて、私たち家族が拡大しようとする場面に遭遇したのだ。


それは、幸せなことだけれど、
同時にわずらわしさを伴う。
喜びも多いと同時にお互いにそれなりの摩擦(いい意味も含め)やストレスを伴う。
とくに最初は。


※これは、当人たちの感想、というより、はたから見ていた私のわずらわしさなので、念のため。




そこで、今まで築いてきた、

祖父母たちの関係や、両親たちが気づいてきたまわりとの関係。
それこそ、祖父母はたくさんの家族を見つめてきた。
そして、ひとりひとりが、役割を演じることで、
すべてがまるく収まっていることを感じたのだ。

未熟な私はずっと気づかなかったけれど、
それにより、本当に今まで、守られていたんだな、と思った。
ずっとわずらわしいと感じていた、自分の根っこの部分は、
みんながそれぞれの役割をみんなのために演じることにより
私は後ろ指を指されることなく立っていられるし、
大事にしてもらえているんだな、と感じた。



祖父の役割、
祖母の役割、
長女の役割、
次女の役割、
三女の役割、
それぞれの夫としての役割、
それぞれの妻としての役割、
長男の嫁としての役割、
初孫としての役割、
女の子としての役割。



ずーっと自分が嫌だな、と思っていたものに、
こんなにも守られていたなんて思わなかったわ、

と思い、

私も、それなりの姉としての役割を演じたり、
娘としての役割を演じたり、
三姉妹の末っ子の長女しての役割を演じたり、してみようと思うわけである。

みんなが居心地よく、
私が居心地よくあるために。


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実家でのんびりしました。

かわいい従兄弟の子どもに会えたり、
いとこの新居にお邪魔しておいしいごはんをいただいたり、
仲良しのお友達に会えたり、
妹の彼の家族と会えたり、
お茶を習ったり、
両親のごはんを作ったりのんびりしました。



今回は、3姉妹の母の2番目の姉、よくブログにもで出てくるパワフルな仲人を何組もしている叔母と
すごす時間が多かった。
夜、ごはんを作ったり、おしゃべりをしたり、
私の友達を紹介したり、叔母の友人を紹介されたり。
お茶ももともと叔母に習おうと思ったら、
「プロのほうがいいわよ」と、叔母の友人のお茶の先生にお願いをしてくれた。


そんなパワフルな叔母からは、
今回特別に素敵なプレゼントをいただいた。

それは、家族にも内緒だけれど、
本当に幸せな時間でした。ありがとう。
少しでも津山に帰れてよかった。

ただいま、クアラルンプールで乗り継ぎ中です。


別でブログを用意していてちゃんとまだこれからだけど、
フランス生活は

http://kayococco.wordpress.com/

で書こうと思っています。

このアメブロは、私は親しい友達にしか伝えていないので、
個人的なことはこちらに書き続けると思います。



これから新しい生活が始まります。



たくさんの、「行ってらっしゃい」をありがとう!!
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故郷の津山に帰ってきました。

21日に、フランスに渡ります。

短い期間。
実家やおじいちゃんおばあちゃんの家でのんびりしたり、
おばあちゃんのごはんを習ったり、
叔母から着付けやお茶を習ったり、
引越しの荷物解体したり、
荷造りしたり、
友達にあったり、
バタバタとすごすことになりそうです。


神戸に、叔母が迎えにきてくれました。
にぎやかな楽しい叔母なので、道中も楽しくていろいろありました(内緒)
突然、「かよが、遠くにいくんじゃなぁ」と泣き出したりで、
笑えました。


家に帰ると母が、フランスで使うニット帽、手袋、マフラーを作っていてくれました。
私は、かぶると小学生みたいになるので
ゲラゲラ笑ってしまいました。

そういえば、大学受験の時にも、東京に向かう試験当日、
手作りマフラーを渡してくれました。

それは、トリコロールカラーでした。



夜には、祖父母の家に。

フランスに行くことをきちんと伝えてなくて、
ずっと反対されるかな、と思っていたけれど、おじいちゃんは、

「かよちゃんは、がんばりやじゃけんな。
 いろいろいけるんだよ。
 でも、その半分がんばれているのは、お父さん、お母さんのおかげもあるんで」と

お金をくれました。

「かよは、昔から、見ている視点がどこか違っていたからなぁ。
 遠くをみとったけんな」

と。


かわいいおばあちゃんは、

「なぁ、かよちゃん。これから電話できんくなるじゃろ。
 かよちゃんと電話する用の新しい携帯かわんといけんのんかのう」

と言っていました。ぷぷぷ




岡山にいるときは、毎日親戚の誰かに会っているにぎやかな日々。

今回もそうなりそうです。



大阪にて3日間。

会いたい人にみんな会えた。

今や、大阪は大切な故郷です。



大好きなココの家でのんびりさせてもらったり、
さとやん、あいちゃんと半分眠りながらおしゃべりしたり、
前職のお店で一緒に立っていたむーさん、ふくさんと、お好み焼き食べたり、
まいちゃんに会えたり、
前職の上司の小川さんに会えたり。


あっという間の駆け足で過ぎ去ったけれど、
私にとってはすごく貴重な時間でした。


9月・10月と、今の私の生活、日々の中で、
心から大切だと思える人たち、みんなに会えて、ちゃんとおしゃべりができた。


すぐに戻ってくるかもしれないけれど、
ちょっとした区切りとして、
改めて会いたい人、だったり、伝えたいことが
何かしら明確になった気がする。



その会えた大切な時間の中で、
一緒にいられる時間とは関係なく、
自分の今の気持ちを素直に伝えられたり、
逆に、伝えることもなく今までどおりに過ごしたり。
そして、「またね、元気でね」と
いつもどおりの別れをすること。


自分にとって居心地がいい人と、いい時間が過ごせて、
仲良くなった当時とは、距離が離れたり環境が変わったりしているけれど、
いつ会っても、居心地いい空気が作り出せること。


すごく幸せだなぁって改めて思った関西での日々。



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大阪にいると必ず会って
お邪魔させていただくココんち。

行く前から、
かよちゃん何時に着くの?
何食べたい?
関西のスケジュールは?
豆乳しか朝は飲まない?

と、
私が過ごしやすいようにいろんなことを
先回りして考えてくれる。

荷物のパッキング、
フランスで食べたらいい、ときなことごまのペースト、
大阪遊ぶ時用のバック、
洗濯するもん
など、
いろんなことをケアしてくれます。

甘えっぱなしでごめんなさい。


ちなみに、ココはかわいいざかりの
ふたりの天使のママです。
こんなママ、ほしいわ。


ボーってしてて、
ボケボケなところもいっぱいあるんだけど、
実はしっかりしてるんだよね。
いつも助けられてばっかり。


いつもありがとう~!
次はいつ会えるかな。
楽しみだなぁ。
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大阪といえば、もちろん、
ねぎやき やまもとへ。

ほわほわして、出汁がきいてて
さっぱりしていて
おいしかった。


やっぱり粉もんの大阪ですわ
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今回の京都の旅。
よかった。

秋の京都がこんなに気持ちいいとは思わなかった。

今回は目的があったから、
ひたすら歩きまわって、という感じで、
観光もほぼゼロ。

おいしいものだけ食べました。


お豆腐食べたり、
洋食食べたり、
豚まん食べたり、
食いだおれました。


大切な人と京都を歩くのは、
心がしっぽりして、悪くない。


特別な言葉がなくても、
それはそれでいいんじゃないかな、と思うのです。
何かを確認しあわなくても、
自分がこう思えばいいんだな、と思えれば、
それでいいのかもしれない。


大切な人が地球のどこかで幸せに生きてれば、
それでいいんだろうな、
って素直に思う。



京都、今回すごくよくて。
帰国後、京都に住もうかな。
すでに東京で働くイメージが持てない、
適応能力がありすぎるおバカな私。

まっ、大阪や岡山で働くほうが
もっとイメージもてないけどね