いよいよ開幕する東京五輪。


開催決定した頃は「復興五輪」と銘打って復興した日本を全世界に発信するなどと大変立派なサブタイトルを冠に掲げていたものだ。


当の被災地民のどれだけの人達が復興したと感じているのだろうか。


自分の周りにはそのように感じている人はほぼほぼ皆無に等しいのに、被災地とは殆ど全く関係のない人達にしてみれば復興しているということなのだろう。


言い換えれば、そのような人達にしてみれば震災だの復興だのということは全く関心も関係もないんだけど、一応「復興」と付け足してみた。ぐらいの感じなのだろう。



 さて、それはそれとして世の中はコロナ禍真っ只中である。


本日(7/22)の東京の新規感染者数は1,900人を超えた。


五輪で来日した選手や関係者にも感染者が出た。


その中、無観客で開催される今大会。


大会関係者や選手達を十把一絡げにするわけではないが、キーワードはどうやら「スポーツの力」という言葉らしい。


その意味はイマイチよくわからないが、今は世界的な感染症が問題なのであって、その力で何とかなるモノではないと思う。


都知事は五輪開幕を前に都内の病床は既に逼迫状態だと発言した。


首相は感染状況によってはパラリンピックは有観客開催もありうるなどと言っていた。


何を寝ぼけたことを言っているのだろうか。


パラリンピックは8月24日に開催されるが、感染者数を表す棒グラフ📊はかなりの急角度の右肩上がりだがあの発言はちょっと一悶着というか物議を醸しそうな匂いがする。


会見の度、専門家の意見を聞いてと口癖のように言い、聞く方も耳タコである。


そして専門家の意見はまるで聞くことはない。



 何だかんだそんな状況下でも開催するスポーツの力とは、それを強行するIOCのパワハラのことであると確信する。



このような状況下での本来のスポーツの力とは大会を中止する勇気のことなのではないだろうか。


それをもっと早くに決断できる先見性というか世の中をフラットに見れる平常心というか、何かそういうものであるような気がする。



 まぁ、世界のトップアスリートが技を競いあうのだが、幼少期からかなりの時間を注ぎ込んで鍛え上げトップに昇りつめている。


選手ばかりではない関係者も然りである。



 少し脱線した余談なのだが、体育の教員に清掃指導の方法がわからないと相談された事がある。


即答で、普通に掃除させるだけでいいよと言うとその返事は「その頃はサッカーしかやってなかったから全然わからないんです」。


だと。


その教員も今では役職的にはかなり上の方にいる。


雲の上の・・・的な立ち位置になった。


勿論、清掃指導は出来るのだろうと思う。


が、確信など微塵もない。



なるほど、何も五輪選手ばかりではない。


スポーツ漬け症候群患者は身近にも普通にいた。



 オリンピックとは健康よりも金儲けのための興行なのだと呆れるしかない。