久しぶりのブログです

今回は税金について調べましたが、至る所で2重課税がされてたんですね


まず、2重課税で有名なガソリリンです


昔は贅沢品として車がありましたが、今では庶民の足として使われています。


そこにも醜い税金が掛けられていたんですね


それでは内訳を書き込みます


例としてガソリン単価は1L 154円として計算します


154円/1L

ガソリン本体価格   86.25円

ガソリン税(本則)  28.7円

ガソリン税(暫定)  25.1円

石油税        2.54円

消費税(8%)    11.41円

税金だけで67.75円です(43.99%の税金になります)

何重にも課税されてるのがお分かりかと思います


では、普通自動車で満タンにして(60L)であればどれくらいなのでしょうか?

ガソリン本体価格   5,175.76円

ガソリン税(本則)  1,722円

ガソリン税(暫定)  1,506円

石油税        152.4円

消費税(8%)    688.44円

税金だけで4,064.84円にもなります

支払額はガソリン本体価格と税金分ですので

9,240円にもなります

これほど国民を馬鹿にした税金を国は取っているのです

それでありながら国会は消費税を10%にしようとしているのです

このブログを通して税金に関して関心を持ってもらえれば光栄です

1、縦長の爪



⇒ 温和なロマンチスト



想像力豊かでクリエイティブな発想の右脳型。また、とても穏やかな性質で几帳面な一面もあります。アーティスティックで、他人の気持ちを察する能力にも長けています。弱点は、その場の雰囲気に流されやすい部分で、騙されやすいという傾向があるので、シッカリと自分の意思を持つようにしましょう!





2、横長の爪



⇒ 短気な理論派



左脳の発達した理知的なタイプ。思ったことをハッキリと告げることができる、サッパリとした性質を持っています。ただ、言葉がすべてと思っている傾向があり、自ら気づくことが苦手。何でも言わないと伝わらないという傾向が強いでしょう。また、せっかちな性格でもあるので、周りがのんびりしていると短気を起こすことがありますが、時には我慢することも必要と心得るようにしてみてください。





3、丸・卵型の爪



⇒ のんびりとした平和主義者



「何とかなる」が口癖の楽天家気質。何があっても慌てない、無理をしないタイプ。人当たりがとても良く、素敵な笑顔の持ち主。朗らかで明るい性格なので、周りにいる人を元気にしてくれる人です。弱点は、ちょっとルーズなところ…。約束や時間はきちんと守るように心がけましょう!





4、四角形の爪



⇒ 真面目な頑固者



男性に多い爪のカタチです。マジメで我慢強くガッツのあるタイプ。浮ついたことが嫌いなので、トレンドや流行りには疎い傾向があります。ウィークポイントは頑固すぎたり融通がきかない部分。意地を張りすぎず、もうちょっと物事を柔軟に考えるようにした方が、物事はよりスムーズに動きます。





5、三角形・逆三角形の爪



⇒ デリケートな天才肌



人が注目しない細かい部分などに目がいくため、誰も思いつかないような斬新なアイデアを思いついたり出来る人。神経質すぎる傾向があるため、周りに無遠慮な人がいたりすると耐えられないことがあったりも。爪のカタチが逆三角形の人は押しが強いので、そういった場合も前向きに対処していくことが可能ですが、三角形の人はストレスを溜めないように、客観的な視点を持てるように心がけましょう。





6、アーモンド型の爪



⇒ 律儀で誠実



縦長の爪とタイプは似ています。想像力が豊かで優しい、誠実なタイプ。相手のことを思いやり、礼儀正しい人でもあります。ただし、縦長の人よりは我慢強くないため、自分にとって許せない場合などは短気を起こすこともあるでしょう。そのような場合は、その場からいったん離れるなどして、気持ちを切り替えることが有効です。





7、剣型の爪



⇒ 向上心のある理想主義者



目標を定めたら、それに向かって努力できる人。「理想の自分像」を思い描いていて、それに近づけるよう努力、そのためなら嫌なことも割り切ってすることができます。弱点は協調性がないこと。周りと協力して進めない事柄などに関しては、トラブルを引き起こすこともあるようです。成功を勝ち取るためには、人といっしょに物事を進められる器用さを身につける必要があります。











■心肺蘇生法(CPR)であなたのペットを助けましょう。

ペットが家族の一員として扱われるようになり、多くの飼い主の方々が、獣医師にかかるまでの間に自分のペットの命を守ろうと、心肺蘇生法のような救急救命技術を習うようになっています。

もし呼吸をしておらず脈もない状態なら、直ちに心肺蘇生法を実施しましょう。

◎呼吸と脈を確かめましょう

中指と人差し指を手首の下や大腿部の内側(大腿動脈)、くるぶしの下や、あるいは胸の肘があたる部分にあてて脈を確かめます。

◎他の兆候にも注意しましょう

・歯茎や唇が灰色に変わっていないか。
・瞳孔が開いて、光に反応しなくなっていないか

◎もしも呼吸していないなら人口呼吸を施しましょう

猫や小さな犬の場合
あなたの口で、犬の鼻と口をくわえてこんで、空気を吹き込みます。

中型・大型犬の場合
あなたの口で犬の鼻をくわえて、空気を吹き込みます。

★ハイムリック方法
もしいきを吹き込んでも空気が入っていかないようなら、気管が閉じています。そんな場合は、まず、犬を上下逆さまにして、犬の背中があなたの胸にくるようにします。両手を犬の体に回して、犬のあばら骨の下で両手をつないで抱きしめます。(犬を上下逆さまにして抱いた時、すでに両手はあばらの上、腹部にあります。)。両腕を使って、鋭く5回締め付けたら、口や気道に異物がないかを確認します。異物があれば取り除いて、さらに二回、人口呼吸を施します。

◎脈がない場合は、圧迫を始めます。

動物を右側を下に横たわらせ、胸と肘の当たる場所に手を置き、圧迫します。もし犬の脈がある時には、圧迫は行なわないようにしましょう。

猫・小型犬(13.6kg以下)
圧す深さ1.27?2.54cm 呼吸毎に5回圧す

中・大型犬(13.6?40.8kg)
圧す深さ2.54?7.62cm 呼吸毎に5回圧す

超大型犬(40.8kg以上)
圧す深さ2.54?7.62cm 呼吸毎に10回圧す

◎手順を繰り返します 脈を一分おきに確認し、脈がなければ圧迫を繰り返します。後は、数分毎に脈を確かめます。

※動物の脈が戻り、呼吸をしだすまで心肺蘇生法を繰り返します。
※20分が経過したら心肺蘇生法を止めます。



出典元
Dog CPR, Cardiopulmonary Resuscitation For Dogs/Facebookコミュニティ[DogLovers]/米赤十字











3年前俺は事故で完全に盲目になった
当時付き合っていた彼女は、普段は俺が大好きだとか愛してるとかそればかり言っていたくせに
俺が目が見えなくなってしまってから手のひらを返したようにいなくなった
結婚までしようと俺は考えていたので本当にショックだった。
俺はその程度だったのかと



それからの生活は一変し、気づけば周りの人達は俺から離れていなくなっていた

はじめは暗闇の中での生活に恐怖を感じていたので周りに気を向けるヒマもなかった


気づいたころには友人とも付き合いはなくなり、
元々仲がいいわけではなかった兄もしょうがなく面倒を見てるといった感じ
そもそもこの事故は前彼女を庇った時に巻き込まれて失明したので、いなくなった前彼女に怒りや憎しみを覚えることすらあった
今思えばその頃は怒りを向けることで一時的にでも自分のことから逃れられていたのでそれが楽だったのかもしれない
しかししばらく時がたつとそれすらも億劫になるようになり、毎日ボーっとするだけの日々をすごすようになった
何かをやろうとしても目が見えないのだから何もすることが出来ない
一人では何ひとつできることがないのある
何度も死んじゃおっか…とも思った



けれどそんな俺にも2人だけ頼れる友人がいた
中学時代からの本当の親友A(男)とB(女)
嫌なことも楽しかったことも色々あったが、目が見えない中そいつらとの楽しかった日々の思い出だけがいつまでも焼きついて離れない



春 車で500kmも離れた桜の名所まで行って一緒に花見をしたこと
夏 新しい水着を買って海にいきスイカ割をし夜はカレーを作りバーベキューをしテントで朝まで語りあったこと
秋 食欲の秋だのなんだの騒ぎつつ食べ歩きをしながら旅をしたこと
冬 スキー板をつんでホテルを予約し朝からナイターまですべり通し巨大雪だるまを作って遊んだこと



もっともっと書きつくせないほどの楽しいことが一杯あった
俺はAがBを好きなのを知っていたのでたまに気を利かせ二人きりにしたりしたが
Aはあとから余計なことすんな、と照れ隠しに言ってきたりもした
去り際Aが小声でサンキュッと言ったりしていたのが耳に残っている




そして4年前俺は一人就職のために地元を離れた
しばらくして俺に彼女が出来たといったらAもBも本当にうれしそうにお祝いのメールを送ってくれたこともあった
幸せの最高期とでもいうのだろうか?それくらい毎日が充実していた



しかしその1年後全てが…壊れた……





仕事もクビになり地元に戻ってきた俺をそれでも暖かく迎えてくれたAとB。
目が見えなくなった時も気分は半分冷めていたのだがこの時ばかりは号泣してしまった。



そして月日は経ち2年前のある日俺はAと居酒屋で飲んでいた時に酔ったAがポロッと口を滑らせた。

「Bはお前(俺)が就職して地元を去ってからも毎日お前を思っていた」と Aが言うにはさらに前からBは俺のことが好きだったらしい
それを知っていたからAはBが好きでも告白をしなかったのだと俺は知った。



そして俺のことが好きでありながら俺に彼女が出来た時に自分のことのように本当に喜んでくれていたB 「まぁ、俺はお前ならいいと思っていたからな…」 と、Aにも言われ俺は泣いてしまった
そして数ヵ月後Bに告白され付き合うことになった。



完全に盲目の俺と付き合うことは並大抵のことではなかったと思う 色々と迷惑もかけ、それでも俺のことを好きだと言ってくれたB。 1年前に俺はBと結婚した。


結婚式の参列者はAだけの3人での結婚式 綺麗なドレスも豪華な食事も何も無い指輪の交換だけのささやかな結婚式であったが 俺達はそれだけでも世界で一番幸せな結婚式であったと胸を張って言える。

キスしろキスしろと二人をひやかすAであったが、仮にも自分が本当に好きであった女を取られるのである 悔しくないわけがない
俺は心の中でAに感謝しながらBに口付けをした。 その時わずかにAの嗚咽が聞こえた気がしたが俺は聞こえない振りをした。



そして念願の子供を授かる 子供の顔を見れないのが残念といえば残念だが、いてくれるだけで俺には十分だった。


しかし幸せも束の間、1ヶ月後に急にBが倒れ病院に運ばれた 結果は原因不明の重態、数々の治療を試みるもその3週間後に亡くなった。

その後、俺は角膜の移植手術を受けた Bが亡くなる前にもしものことがあったらと伝えておいたらしい。







今俺の目にはBの角膜が生きている
光を見ることができる
それを目が見えない間も取り続けた写真を今見ながら感じている
写真の中にはぎこちなく笑う俺と満面の笑みを浮かべたBが並んで写っていた

そして何よりも…愛するわが子の顔、仕草を見ることができ自らの意思で抱きしめてあげることが出来た……



まだBの死を割り切ることは出来ない
夜も一人で泣いてしまうこともある
そんな簡単に割り切ることは絶対に出来ないけど
いつか笑顔で笑える日がくるように俺は強くなろうと思う


目の前の一つだけの笑顔を絶対に守り切れるように








【感動する話】より






私には兄がいました、毎日のように キャッチボールして遊んでくれました。

その兄がある日、自転車で帰宅途中、車に接触された反動で

自転車ごと転倒し歩道の縁石に頭を強打してしまいました。

救急車で病院に運ばれ、警察から連絡が入りました。

電話が鳴り、母が受話器をとりました。

「○○秀晴君はお宅の息子さんですか事故に遭われまして病院へ...」 と、

母の顔色が変わるのが解りました。

幼いながらに事の重大さを感じた私はそこから動けずいました。

母が慌てて、病院へ飛んで行きました。



兄は事故の際に血は流れ出ず脳内出血を起こしていました。

すぐに処置をほどこされ一命は取り留めたものの 全く動きません、

植物状態となってしまいました。



母は医者から「最悪の事態もあることを考えておいて下さい」と

言われていました。

そうして一年近くが経過したある日の夜 母が不思議な夢を見たそうで。



”丘の上から兄が手招きをしている”

とゆうものです。

天国へ行っちゃうのかな、母に一緒に天国へ 来てくれというのかなと

夢の中で思ったそうです。



はっと目が覚め、不吉な夢と思いつつ病院へ駆けつけました。

正夢でないようにと祈っていたそうです。

病院へ入ると、看護士さんが母を見つけると

すかさず慌てるようにして駆け寄って来るのです。

えっやっぱり正夢かと覚悟をきめたそうです。



看護師さんが、母に向かって「秀晴さんが」と叫んで

駆け寄って来ます。

やはりそうなのか。



秀晴さんが口を開きました。

意識が戻りましたよ。



信用しない母は恐る恐る「秀晴、秀晴」と呼びました。

すると兄は「キャッチボールしたいよ!」と言って 母の顔を見ました。

病院長までいらしていただき涙を流しながら

「奇跡が起こりました、みんなの願いが届きましたね」と

繰り返されていました。



母は大泣き笑いです。



ただこの話は、まだ終わりません。

色々と後遺症は残りましたがすさまじいペースで

回復していった兄は元々好きだった勉強を 猛烈な勢いで取り戻し

無事地元の進学校に合格しました。

入学式の朝高校の制服に袖を通す我が子を見て

まさに夢のような気持ちで母はいました。

二人はバスに乗って高校へ向かいました。

高校の下のバス停で下車し高校へ向かう兄と母。

その坂道を早歩きで登った兄が、のんびり歩きの母に

「おーい、早くしないと遅れるよ!!」と兄の声。

「ちょっと、待って!」と顔をあげ丘を見上げた母は、

数秒固まって言葉を失い涙を流し始めました。



すると大きな声で



「正夢だったんだね秀晴!正夢だったんだね!」



そこにはあの時見た夢!、光景が全く同じように再現されていたのです!

丘の上から手招きする元気な兄の姿が、あったのです。

天国へ行っちゃう正夢じゃなく 元気になって入学式に

出向く晴れ姿の正夢だったのです。







私が高校生の冬でした。

家で飼ってる猫が
赤ちゃんを産みました。
しかも電気毛布と私の布団で。

5匹いたのですが、
次々と飼い主が決まりとうとう
1匹だけになりました。

その猫を

「ゆめ」

と言う名前にしました。

毎日一緒で、
私が怖がりなのを知ってか知らずか、

お風呂に入ればマットの上で
私がお風呂を上がるのをじーっと
待っていてくれるこでした。

私が帰ると
玄関でちょこんと
座って待っていてくれるんです。

悲しいことがあると
なぐさめてくれるかのように
ずっと隣にいてくれました。

ゆめは私のたからものなんです。

私が20歳をすぎると、
初めて彼氏ができました。

彼氏もゆめを可愛がってくれて。
すごく嬉しかったのを覚えています。

付き合って2年たち、
同棲するようになりました。

ゆめの事が心配で、
妹や母にようすを聞いていたのですが、

「毎日夕方になると玄関で待ってるよ。
 帰ってこないよって教えても
 ずーっとまってるよ。」

次の日家に帰ると
ゆめは待っていてくれました。
玄関でちょこんとお座りして。

同棲から1年、

結婚しこどもができました。
11月31日予定日でした。

出産予定日1か月前、
実家に帰りました。

こどもを産んだら
ゆめと一緒に遊びたいなぁ
なんて考えては1人にやけてました。

ところが、

予定日10日前頃から
ゆめが元気がなくなりました。

いつもいっている病院に連れていったら

「この薬を飲んでいれば大丈夫です。」

といわれ飲ませていましたが、
2日たっても3日たっても元気になるどころか
だんだん衰弱するのがわかりました。

別の病院に連れていくと
レントゲンをとりました。

先生がレントゲンを指して

「なぜか体の中に膿が大量にあります。」

といわれ即入院。

私が帰るとき、
今までなかなかったゆめが

「なんでおいてくの?」
「私もいく」

と言うように精いっぱいなくのです。

これが私の聞いた
最後の声になるとは思いませんでした。

帰り道不安で不安で、
泣きながら車を運転しました。

その日の夜中、
なんと陣痛が来てしまいました。

母に病院につれていって
もらいましたが、
なかなか出てきてくれませんでした。

ようやく夕方無事、
女の子が産まれました。

入院中も
ゆめが心配で
母にゆめの具合を聞いてました。

そしたら、26日の朝、
夢をみたんです。

元気なゆめ。
一緒に遊んでるゆめ。
あとにも先にもゆめの夢は
これ1回きりでした。

あ!きっとゆめは大丈夫なんだ!

と思い、
その日お見舞いに来た母に
いつもと同じに聞いたら
少し返事を濁しました。

「まだまだどうなるかわからないけど
ゆめも頑張ってるよ!」

と。

そして退院しました。

何日か過ぎたある日、
母が言わなきゃいけないことがあるんだよ。

と言いました。

実家に帰ると、
ゆめが冷たくなっていました。

本当は寝てるんじゃないのって
思うくらい寝てるようにしか見えません。

でも抱っこしても、
固くて冷たいのです。

母に聞くと、
26日の朝に病院から
電話が来たそうです。

最後の最後、
私はゆめを知らない場所で、
一人ぼっちであっちにいかせてしまった。

後悔しか残りませんでした。
母にも辛い嘘をつかせ続けてしまいました。

これを書いている今でも
涙が止まりません。

あの時どうすれば
ゆめは今でも生きていてくれたのか。
その事が頭から離れません。
あれから2年。

娘は2歳になりました。
いま、私に似て猫がだいすきです。

ゆめへ

私はゆめにあえて
スゴくすごく幸せだったよ。
ゆめは幸せだったかな?

最近娘が、ねこいる!

っていうんだよ。

偶然かもしれないけど、
わたしはゆめだったら
いいなって思うんだよ。

もし会えるなら、
夢でもおばけでもいいから会いたいよ。

最後1人にぼっちにしてごめんね。

いつも待たせてごめんね。

向こうでも待たせちゃうね。
ごめん。

私のところに来てくれて、
本当にありがとう。

だいすきだよ。

(from 「思わず..涙。」)








一人のお母さんから、とても大切なことを教えられた経験が
あります。  
そのお宅の最初に生まれた男の子は、高熱を出し、
知的障害を起こしてしまいました。
次に生まれた弟が二歳のときです。  
ようやく口がきけるようになったその弟が
お兄ちゃんに向かって、こう言いました。

「お兄ちゃんなんてバカじゃないか」

お母さんは、はっとしました。それだけは言ってほしくなかった
言葉だったからです。
そのとき、お母さんは、いったんは弟を叱ろうと考えましたが、
思いなおしました。  
―――弟にお兄ちゃんをいたわる気持ちが芽生え、
育ってくるまで、長い時間がかかるだろうけど、
それまで待ってみよう。

その日から、お母さんは、弟が兄に向かって言った言葉を、
自分が耳にした限り、毎日克明にノートにつけていきました。
そして一年たち、二年たち・・・しかし、相変わらず弟は、
「お兄ちゃんのバカ」としか言いません。  
お母さんはなんべんも諦めかけ、叱って、無理やり弟の態度を
改めさせようとしました。
しかし、もう少し、もう少し…と、根気よくノートを
つけ続けました。

弟が幼稚園に入った年の七夕の日、偶然、近所の子どもや
親戚の人たちが家に集まりました。
人があまりたくさん来たために興奮したのか、
お兄ちゃんがみんなの頭をボカボカとぶちはじめました。

みんなは 「やめなさい」 と言いたかったのですが、
そういう子であることを知っていましたから、
言い出しかねていました。  
そのとき、弟が飛び出してきて、お兄ちゃんに向かって
言いました。  
「お兄ちゃん、ぶつならぼくだけぶってちょうだい。
ぼく、痛いって言わないよ」  
お母さんは長いこと、その言葉を待っていました。

その晩、お母さんはノートに書きました。  
「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、
ありがとう……」  
ほとんど無意識のうちに、ノートの終わりのページまで
鉛筆でぎっしり、「ありがとう」を書き連ねました。

やがて弟は小学校に入学しました。
入学式の日、教室で初めて席が決められました。
ところが弟の隣に、小児マヒで左腕が不自由な子が座りました。
お母さんの心は動揺しました。
家ではお兄ちゃん、学校ではこの友だちでは、
幼い子に精神的負担が大きすぎるのではないかと
思ったからです。

その夜、ご主人と朝まで相談しました。
家を引っ越そうか、弟を転校させようかとまで考えたそうです。
結局、しばらく様子を見てから決めようということに
なりました。

学校で最初の体育の時間のことです。
受持ちの先生は、手の不自由な子が体操着に着替えるのを
放っておきました。
手伝うのは簡単ですが、それより、一人でやらせたほうが
その子のためになると考えたからです。

その子は生まれて初めて、やっと右手だけで体操着に
着替えましたが、そのとき、体育の時間はすでに三十分も
過ぎていました。  
二度目の体育の時間のときも、先生は放っておきました。
すると、この前は三十分もかかったのに、この日はわずかな
休み時間のあいだにちゃんと着替えて、校庭にみんなと一緒に
並んでいたのです。

どうしたのかなと思い、次の体育の時間の前、
先生は柱の陰からそっと、その子の様子をうかがいました。  
すると、どうでしょう。
前の時間が終わるや、あの弟が、まず自分の服を大急ぎで
着替えてから、手の不自由な隣の席の子の着替えを
手伝いはじめたのです。  
手が動かない子に体操着の袖を通してやるのは、
お母さんでもけっこうむずかしいものです。
それを、小学校に入ったばかりの子が一生懸命手伝ってやって、
二人ともちゃんと着替えてから、そろって校庭に駆け出して
いったのです。

そのとき、先生は、よほどこの弟をほめてやろうと
思いましたが、ほめたら、
「先生からほめられたからやるんだ」というようになり、
かえって自発性をこわす結果になると考え、心を鬼にして
黙っていました。  
それからもずっと、手の不自由な子が体育の時間に遅れたことは
ありませんでした。

そして、偶然ながら、また七夕の日の出来事です。
授業参観をかねた初めての父母会が開かれました。  
それより前、先生は子どもたちに、短冊に願いごとを書かせ、
教室に持ち込んだ笹に下げさせておきました。
それを、お母さんが集まったところで、先生は一枚一枚、
読んでいきました。

「おもちゃがほしい」、「おこづかいをもっとほしい」、
「じてんしゃをかってほしい」・・・。  
そんないかにも子どもらしい願いごとが続きます。
それを先生はずっと読んでいくうちに、こんな言葉に
出会いました。

「かみさま、ぼくのとなりの子のうでを、はやくなおして
あげてくださいね」  
言うまでもなく、あの弟が書いたものでした。
先生はその一途な願いごとを読むと、
もう我慢ができなくなって、体育の時間のことを、
お母さんたちに話して聞かせました。

小児マヒの子のお母さんは、我が子が教室でどんなに
不自由しているだろうと思うと気がひけて、教室に入ることも
できず、廊下からそっとなかの様子をうかがっていました。  
しかし、先生のその話を聞いたとたん、廊下から教室に
飛び込んできて、床に座り込み、この弟の首にしがみつき、
涙を流し、頬ずりしながら絶叫しました。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、
ありがとう、ありがとう・・・・・」  
その声がいつまでも学校中に響きました。




「本当に感動したときの言葉」鈴木 健二 著 講談社文庫より









つぶらな瞳であなたを見ています



それがいかなる行動でも



親の背を見て子は育つとも言います



決して親として見せてはならない行動も子供は見ています



大人として、親として子供に模範となれる人になりましょう


そして子供から自慢される大人になりましょう


私もそう常々心がけています






今朝

バスに盲導犬連れたおじさんが乗ってきた





おじさんの近くに座ってた小さい姉妹の会話が聞こえた





「わんわんだ!ねーたん、わんわんだよ!」



「あやちゃん、大きい声で喋ったら駄目だよ。

 あのわんわんはお仕事するわんわんなんだよ。

 今はお仕事中だから、遊べないんだよ」



「おしごとしてるの?」



「お目め見えない人を、ぶつかったり危ない事無いようにお外に   連れて行くお仕事をするわんわんなんだよ。お仕事の邪魔したらいけないから、可愛いけど触ったりしちゃいけないよ」



「あのおじちゃん、おめめみえないの?」



「そうよ。でも、あのわんわんがいるから、危なくないようにお外に  行けるんだよ。

あのわんわんがおじちゃんのお目めなんだよ。

あやちゃん、お目め触られたら痛い痛いでしょ?

お目め目隠しされたら困るよね」



「うん」



「だから、あのわんわんは触ったり邪魔したらいけないの。おじさんのお目めだからね」



「わかった。あのわんわんはおめめなんだね。すごいねー」

 

 

わたし思わずニコニコ ^^

盲導犬連れたおじさんもニコニコ ^^



バスに乗ってた人全員ニコニコしてた ^^