2005年09月01日(木)

第一二飛行師団【天風兵団】

テーマ:陸軍飛行師団

第一二飛行師団【天風兵団】

 

【編成】 

昭和19年7月17日

第一九飛行団を昇格させ、編成された。

 

防衛総司令部の隷下で、西部軍管区(九州・山口等)の防空に任じた。 


【師団長】

古屋健三  少将 (士30期) 師団長心得 19年7月18日~9月

三好康之  少将 (士31期) 戦闘班    19年9月13日~

土生秀治  少将 (士31期) 師団長心得 20年5月16日~

 

【通称】

天風
 

【所属】 

第一航空軍 昭和19年3月~
第六航空軍 昭和19年12月~

 

【編制】

師団司令部
 独立飛行第一九中隊(司偵)
 飛行第四戦隊(戦闘)
 飛行第五九戦隊(戦闘)
 飛行第七一戦隊(戦闘)
第四一航空地区司令部
 第四飛行場大隊
 第六四飛行場大隊
 第六五飛行場大隊
 第一四二飛行場大隊
 第一四六飛行場大隊
 第一六二飛行場大隊
 第一七二飛行場大隊
 第一七三飛行場大隊
 第一七四飛行場大隊
 第一六四飛行場大隊
 第一九三飛行場大隊
 第一九四飛行場大隊
 第二四八飛行場大隊
 第一四対空無線隊



【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。 


[筆者注:調査未完のため、今後、大幅に加筆・改訂を予定]


初稿  2005-08-04

第2稿 2005-09-01 一部加筆

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2005年08月17日(水)

第十飛行師団【天翔兵団】

テーマ:陸軍飛行師団

[まだ、構想段階で調査未完のため、不十分な記事で読みがたい部分もありますが、逐次、加筆・改訂していく予定ですのでよろしくお願いします]

陸軍第一〇飛行師団【天翔兵団】

  

【編成】

昭和19年3月8(10)日

【編成地】

東京

【通称】

天翔

 

【師団長】

吉田喜八郎少将 (陸士29期) 師団長心得 昭和19年3月28日~
近藤兼利  中将 (陸士26期)          昭和20年3月1日~

【所属】
第一航空軍 〔昭和19年3月〕

第六航空軍 〔昭和19年12月〕

第一航空軍 〔昭和20年4月〕

 

【師団編制】

師団司令部
 独立飛行第一七中隊(司偵)

 飛行第二八戦隊(司偵)

 飛行第一八戦隊(戦闘)

 飛行第二三戦隊(戦闘)

 飛行第四七戦隊(戦闘)

 飛行第五三戦隊(戦闘)

 飛行第七〇戦隊(戦闘)

 飛行第二四四戦隊(戦闘)
第四〇航空地区司令部

第四六航空地区司令部
 第三飛行場大隊
 第六飛行場大隊
 第七飛行場大隊
 第四三飛行場大隊
 第六六飛行場大隊
 第七四飛行場大隊
 第一一二飛行場大隊
 第一四〇飛行場大隊
 第一四一飛行場大隊
 第一六四飛行場大隊
 第一六五飛行場大隊
 第一六六飛行場大隊
 第一六九飛行場大隊
 第一七〇飛行場大隊
 第一七五飛行場大隊
 第一七六飛行場大隊
 第一八七飛行場大隊
 第一八八飛行場大隊
 第二四四飛行場大隊
 第一対空無線隊

 第二対空無線隊

昭和19年11月1日現在、
隷下戦力:合計装備機200機、出動可能機約160機。

【調布飛行場】
飛行第二四四戦隊      三式戦闘機「飛燕」
独立飛行第一七中隊    百式司令部偵察機
【成増飛行場】
飛行第四七戦隊       二式単座戦闘機「鍾馗」
【松戸飛行場】
飛行第五三戦隊       二式複座戦闘機「屠龍」
【柏飛行場】
飛行第一八戦隊       三式戦闘機「飛燕」
飛行第七〇戦隊(残置隊) 二式単座戦闘機「鍾馗」
【太田飛行場】
飛行第二三戦隊       一式戦闘機「隼」/二式単座戦闘機「鍾馗」11月2日印旛に移動。

 

同日現在
指揮下戦力:出撃可能数約50機。
東二号部隊(教育・練成を兼務、各地に五個隊)
常陸教導飛行師団
下志津教導飛行師団    百式司令部偵察機
審査部戦闘機隊       三式戦闘機「飛燕」/四式戦闘機「疾風」
第一練成飛行隊       四式戦闘機「疾風」

 

同日

「関東上空F-13偵察機迎撃」

1308過ぎ 東部軍司令部に「敵機、勝浦から侵入」と報告があり、直ちに警戒警報を発令。 

第一〇飛行師団長は隷下部隊に対し、即時発進準備の警戒戦備甲を発令した。

F-13偵察機が侵入。

当直戦隊の飛行第四七戦隊の二式単戦が成増より、独立飛行第一七中隊の武装司偵が調布より発進。

四七戦隊の第一中隊(旭隊)の数機が、三鷹上空高度10,000メートルにて前上方よりかろうじて一撃をかけただけだった。
独飛一七中隊の司偵(中隊長:北川禎佑大尉機)が、計器高度11,400メートルまで上昇したが、F-13偵察機は更に上昇し12,000メートル以上の高度にて太平洋上へ離脱した。

 47FR 松崎中尉 *命中弾を与えたが、乗機も被弾した。

 

昭和19年11月5日

「関東上空F-13偵察機迎撃」
迎撃するも捕捉できず。

 

昭和19年11月7日

「関東上空F-13偵察機迎撃」
迎撃するも捕捉できず。

 

同日

第一〇飛行師団長は、隷下各戦隊に空対空の特別攻撃隊の編成を命じた。

 

昭和19年11月24日

「関東地区B-29爆撃機迎撃」
1100過ぎ 一〇飛師司令部は隷下各隊に警戒戦備甲を下令。

1110 当直戦隊の17FSCと70FRが発進。

1130 各戦隊は全力出撃に移行。

1200 空襲警報発令。

下志津教導飛行師団、独飛一七中隊の百式司偵と武装司偵は勝浦から御前崎の前進警戒線上空。

二三、四七、五三、七〇、二四四戦隊、東二号部隊(常陸教導飛行師団、審査部戦闘機隊、第一練成飛行隊)を伊豆半島より東京まで展開の昼間基本配置を取る。

各隊の高度は10,000メートル、特別攻撃隊は11,000メートルにて待機した。

B‐29爆撃機編隊は、10数機の悌団間を広い間隔をとりながら、伊豆半島を北上し富士山上空で変針、高度8,200~10,000メートルで、三鷹の中島飛行機・武蔵野製作所に向かった。

強い偏西風に乗って侵入してくるB‐29編隊は、対地速度が実に720キロの高速となり、待機する迎撃戦闘機は、時速220キロの強いジェットストリームに正対することとなり、迎撃は困難を極めた。

1210 独飛一七中隊の百式司偵が高度10,000メートル以上にて侵入するB-29の1悌団を発見したが、高度を取る事ができず「タ」弾による攻撃は不可能であった。

四七戦隊:全力で出撃。撃墜:2機(うち体当たり撃墜1機)、撃破:3機

五三戦隊:可動全機が出撃。撃墜:1機

七〇戦隊:全力で出撃。戦果:不明

二四四戦隊:全力で出撃。撃墜:1機

{米第21爆撃兵団・第73爆撃航空団のサイパン出撃:B-29爆撃機111機(引き返し17機、第一目標〈中島飛行機武蔵野製作所〉に投弾24機、その他目標に投弾64機、故障で投弾不能6機)} 


【編成】 [筆者注:調査未刊、詳細不明]

武装司偵 操縦  伊勢主邦中尉  17FCS 未帰還 戦死 *撃墜:B-29爆撃機1機

       同乗  福田   兵長         戦死

 

特別攻撃隊

 二式単戦「鐘馗」 見田義雄伍長  47FR  自爆 戦死   *撃墜:B-29爆撃機1機(体当り) 

 二式複戦「屠龍」 青木哲朗少尉  53FR

            今井五郎軍曹  53FR

            入山 稔 伍長  53FR  自爆 戦死   B-29の防御砲火により被弾    

            大崎樹満伍長  53FR

【戦果】

撃墜:B-29爆撃機5機

撃破:B-29爆撃機9機 

《米軍記録》

損失:2機(体当り1/被弾・不時着水1)

損傷:11機(被弾)

【被害】

未帰還:6機

【戦死者】
伊勢主邦中尉 (航士55期) 17FCS  *八丈島沖 

福田成弥兵長 (期不明)   17FCS  *八丈島沖

見田義雄伍長 (少飛12期) 47FR   *銚子沖

福元幸夫伍長 (少飛12期) 244FR  *房総沖

金子光雄伍長 (少飛12期) 70FR   *千葉

入山 稔 伍長 (少飛13期) 53FR   *市川上空

 ほか?名 

【地上被害】

武蔵野製作所:投下爆弾48発 死傷者:130名以上

 

この迎撃戦の後、吉田師団長は隷下戦隊に対し、体当たり部隊を各戦隊4機から8機に増やすよう命じた。

また、西部軍管区の第一二飛行師団でも体当たり部隊が編成された。 


昭和19年11月29~30日

「関東地区夜間B-29爆撃機迎撃」

八丈島のレーダー情報が入る。

2300 警戒戦備甲に移行。

夜間任務の無い、独飛一七中隊以外は夜間迎撃に発進。

当夜は悪天候のため、高度7,000メートル付近には厚い雲がはりつめ、雲上を飛行するB‐29爆撃機に対して照空灯も届かず、地上砲火も戦闘機による迎撃も有効ではなかった。 

マリアナ出撃の米第21爆撃兵団のB‐29爆撃機29機は、東京の工業地帯と湾岸のドックを目標にレーダー爆撃を行う。しかし、爆弾は目標を逸れ、市街地に着弾、9000戸が被害を受けた。


 

 

昭和19年12月5日

防衛総司令官により、体当たり部隊に対し、第一〇飛行師団は「震天隊」、第一二飛行師団では「回天隊」と命名された。







昭和20年2月16日
「関東地区艦載機邀撃戦」
【総合戦果】
撃墜:62機
撃破:27機
【総合被害】
自爆・未帰還:37機

 

昭和20年2月17日
「関東地区艦載機邀撃戦」
【総合戦果】
撃墜:36機
【総合被害】
損失:16機


 

【参考文献】

テーマ一覧「所要参考文献・資料」を参照下さい。 

 

初稿  2005-07-08

第2稿 2005-08-17  一部加筆

第3稿 2005-09-06  一部加筆

第4稿 2006-03-11  一部加筆


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2005年06月14日(火)

第六飛行師団【洋兵団】

テーマ:陸軍飛行師団

[まだ、構想段階で調査未完のため、不十分な記事で読みがたい部分もありますが、逐次、加筆・改訂していく予定ですのでよろしくお願いします]

第六飛行師団

 

【編成】

昭和17年11月28日

【編成地】

東京

【復帰】

昭和19年8月31日、復帰(廃止)


【師団長】

板花義一中将 (陸士22期)

【隷下部隊】

第一二飛行団〔ラバウル西飛行場(ブナカナウ)〕

 飛行団司令部    〔定数:人員65名/自動車8台〕 

 飛行第一戦隊    〔定数:一式戦闘機「隼」:37機 人員266名/自動車5台〕

 飛行第一一戦隊  〔定数:一式戦闘機「隼」:37機 人員266名/自動車5台〕

白城子教導飛行団

 飛行第四五戦隊  〔定数:九九式双発軽爆撃機:27機 人員464人〕

 飛行第二〇八船隊 〔定数:九九式双発軽爆撃機:27機 人員464人〕

独立飛行第七六中隊〔定数:一〇〇式司令部偵察機:9機〕

飛行場大隊(4個)  〔定数:人員712名、車両66台(1個大隊)〕

 第四八飛行場大隊 〔定数:人員:約300名/トラック40台〕

野戦飛行場設定隊〔5個〕

航空通信連隊

第一四野戦航空補給廠 



【経過】

昭和17年9月

大本営陸軍部は、ビスマルク諸島ニューブリテン島ラバウル所在の第一七軍〔沖兵団〕の直属として独立飛行第六七中隊を派遣することを下令した。[中隊のラバウル到着は10月下旬で、海軍の東飛行場(ラクナイ飛行場)に展開した] 

 

昭和17年11月

第六飛行師団が編成される。

昭和17年11月下旬

大本営陸軍部は、第一二飛行団に転進命令を下達。

飛行団司令部と飛行第一一戦隊が先行することになり、16~19日に逐次シンガポールに集合、12月初旬にスラバヤに移動。


昭和17年12月5日

海軍の護送空母「雲鷹」に移乗しトラックに向かう。

飛行第一一戦隊は定数37機のほか、予備機24機、操縦者61名(うち技量甲47名)

昭和17年12月11日

海軍の改装空母「竜鳳」が、飛行第四五戦隊の九九式双発軽爆撃機22機と付属部隊を搭載し、横須賀を出港した。
     

昭和17年12月12日

「竜鳳」が、八丈島付近で米潜水艦「ドラム」の雷撃を受け損傷、引き返したため輸送は中止となる。

昭和17年12月13日

「雲鷹」は、無事トラック着。


昭和17年12月18日

一式戦64機[筆者注:飛行団司令部も含まれると思われる]が海軍の一式陸攻9機に誘導され洋上飛行を行い、無事ラバウル西飛行場に到着した。

到着直後より海軍と協同し、ラバウルの防空についた。


昭和17年12月22日

「ラバウル迎撃/11FR」

偵察任務のボーイングB‐17「フライングフォートレス」四発重爆撃機を一式戦3機で迎撃したが、撃墜できなかった。


昭和17年12月23日

「ラバウル迎撃/11FR」 

前日と同様に一式戦9機で迎撃したが、今回も撃墜できなかった。


昭和17年12月26日

「ブナ攻撃/11FR」

宮林大尉以下15機がブナに進攻、カーチスP‐40「ウォホーク」戦闘機と初空戦を行い、6機を撃墜。

【戦死者】

今村良一  曹長 (下士79期) 11FR  ブナ沖

藤井弘一  曹長 (下士82期) 11FR  ブナ沖 


昭和17年12月27日

「ブナ攻撃/11FR」

谷口少佐以下31機で、海軍と協同でブナに進攻。初めてロッキードP‐38「ライトニング」双発双胴戦闘機と空戦。7機を撃墜した。

【戦死者】

吉竹 正  准尉 (少飛2期)  11FR  ブナ沖


昭和17年12月下旬

飛行第一戦隊がシンガポールより空母に便乗しトラックへ向かう。

飛行第一戦隊は定数37機のほか、予備機24機、操縦者49名(うち技量甲34名)

昭和17年12月29日

飛行第一四戦隊〔九七式重爆撃機Ⅱ型装備〕に対しラバウル派遣が下令された。

11FRはシンガポール・テンガー飛行場に移動、98FRより11機を受領し、機材の整備や武装の改修を行う。

昭和18年1月4日

飛行第一戦隊がトラックに到着


昭和18年1月5日

「ラバウル迎撃/11FR」

B‐17爆撃機2機を撃墜[一式戦によるB‐17爆撃機の初撃墜]


昭和18年1月5日~10日

「十八号作戦上空掩護」

第八方面軍によるラエに対する船団輸送の上空掩護を海軍と協同で行う。その際にラエ、ニューブリテン島のスルミ飛行場を利用した。

5日のラバウル出航から、10日の帰港までを延べ283機で掩護に当たった。

【交戦機数】

約160機(B‐17/B‐24/P‐38/A‐20等)

【戦果】

撃墜:15(うち不確実13)機

【被害】

自爆・未帰還:6機

大破・炎上:10機

操縦者戦死:7名

【戦死者】

長与 寿  少尉 (航士55期) 11FR  ラバウル 1月5日

佐々木隆義軍曹 (予下士)   11FR  ラバウル 1月6日

平野博篤  中尉 (航士52期) 11FR  ラエ沖   1月7日

中川隆雄  中尉 (特志)     11FR  ラエ沖   1月7日

綿貫 清  曹長 (下士77期) 11FR  ラエ沖   1月7日

甲斐保一  伍長 (少飛7期)  11FR  ラエ沖   1月7日

栗原健次郎曹長 (下士82期) 11FR  ラエ沖   1月8日

操縦者負傷:3名

沈没:輸送船2隻


昭和18年1月9日

飛行第一戦隊の第一陣の一式戦33機がラバウルに進出した。


同日

飛行第一一戦隊の出撃可能機数は15機。



昭和18年1月下旬

第六師団のブーゲンビル島輸送援護のため第一二飛行団長は飛行第一戦隊(36機)を率いて、バラレ島に進出した。

同時期に飛行第45戦隊の6機が、バラレ基地に進出した。

 

昭和18年1月26日

ガダルカナル撤退作戦の掩護のため飛行第一一戦隊はブカ島に33機で進出した。

昭和18年1月27日

「ガダルカナル島攻撃」

1FR/11FRで軽爆隊(45FR)を援護し、ガダルカナル島へ進攻した。


昭和18年2月1日

「ガダルカナル島攻撃」

45FR:九九式双軽6機、11FR:一式戦23機で、ガダルカナル島攻撃。

九九式双軽はヘンダーソン飛行場に対して急降下爆撃を行う。


昭和18年1月27日~2月8日(12日間)の第六飛行師団の損害

一式戦闘機「隼」    18機

九九式双発軽爆撃機 10機

一〇〇式司令部偵察機 1機


昭和18年2月3日

飛行第一四戦隊は、ジャワ島マラン飛行場に進出。

ニューギニア北部のバボ、ウエワク飛行場の概成まで待機。

昭和18年2月24日

飛行第一四戦隊はマランを出発。

ケンダリー、バボ、ウエワクを経由。

昭和18年3月2日

飛行第一四戦隊36機(全機)が、無事、ラバウル南(ココポ)飛行場に到着。

 

昭和18年

第一二飛行団と交代のため、第一四飛行団〔飛行第六八戦隊、飛行第七八戦隊〕がラバウルに派遣されることになった。


昭和18年4月

飛行第六八戦隊がラバウルに到着。

三式戦27機のうち13機が不時着または行方不明となった。


昭和18年4月30日

第六飛行師団は、司令部をラバウルからニューギニア東北岸のウエワクに移動した。



独立飛行第八三中隊〔九九式軍偵察機12機(18年5月より)〕編入。


昭和18年8月12日付

第一四飛行団が、第四航空軍司令部の直属となり、第七飛行師団の指揮下に入った。 



*飛行第二四八戦隊は別稿あり。


初稿  2005-05-12

第2稿 2005-05-18 一部加筆

第3稿 2005-05-20 一部加筆

第4稿 2005-06-14 一部加筆

第5稿 2006-03-11 一部加筆

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