聖マグダラ法律事務所「聖えりか様の教え」

聖マグダラ法律事務所「聖えりか様の教え」

東京都墨田区吾妻橋1-11-7パークウェル浅草504聖マグダラ法律事務所はえりか様から教えを受け、クリスチャンの博愛の精神で事務所運営を行っております。
これまでの沿革及び最近の出来事などをこのブログで皆様へお伝えします。電話03ー6240ー4932


吉原唯一無二の太夫シルキードールの聖えりか様から聖書を学んでいます。
Amebaでブログを始めよう!
聖えりか様のように、聖書を十分に理解され、業の伴った信仰を実践されているお方を見るとつい自分が情けなくなり、まるで聖えりか様を崇拝の対象として、犠牲を捧げようとしてしまいます。これは、私に限ったことではなく聖えりか様から聖書を学ぶ多くの姉妹たちも同様なようで、『聖えりか様、どうか、私に罪の許しを!』などとつい口にしてしまい、聖えりか様を困らせてしまうのです。聖えりか様は確かに敬虔なクリスチャンとして私などは聖えりか様のサンダルの締め紐を解くにも値しないことは十分承知していますが、聖えりか様に対する尊敬をどのように表したらよいか、分からなくなり聖えりか様に率直に聞いてみることにしました。
すると、聖えりか様は、いつものように戸棚から聖書を取り出すとまるでマグダラのマリアのような微笑みを浮かべて語り始められました。
コニタンは、私とともに聖書を学び始め、アダムの犯した罪が人に継承され、私たち被造物は、生まれながらにして、罪を負っていることは学びましたね。この私もいかに聖書を学んでいようと罪人であり、創造者である主なる天の父が地上に遣わした御子イイスス・ハリストスでさえ処女マリアの肉体から生まれ罪を継承せず、地上において罪なく過ごされましたが、自分を通して主なる天の父へと信仰を働かせなさいと教えられています。
つまり、信仰の対象として犠牲を捧げられるべきは主なる天の父のみ、唯一無二の神だけなのです。
ですから、私に犠牲を捧げて、これを崇拝することは忌むべき罪にほかなりません。
ここで、興味深い聖書の御言葉がありますから、ご一緒に読みましょう。
「さて、ルステラに、母の胎を出た時から足がなえていて、両足の利かない人が座っていた。彼はそれまで一度も歩いたことがなかった。この人は、パウロが話しているのを聴いていたが、パウロは彼をじっとみて、癒やしを受けるだけの信仰があるのを見ると、大きな声で言った、『自分の足で真っ直ぐ立ちなさい。』すると、彼は躍り上がって歩き始めたのである。そこで、群衆はパウロが行ったことをみて、声を上げ、ルカオニア語で、『神々が人間のようになって、私たちのもとに下って来たのだ!』と言った。そして、バルナバをゼウス、また、パウロの方を、彼が先に立って話したので、ヘルメスと呼び始めた。また、市の前に神殿があるゼウスの祭司は、数頭の雄牛と花輪を門のところに携えて来て、群衆と一緒に犠牲を捧げようとするのであった。
しかし、そのことを聴くと、使徒のバルナバとパウロは、自分の外衣を引き裂いて群衆の中に飛び出し、叫んで、こういった、『皆さん、何故こうしたことをするのですか。私たちも、あなたがたと同じ弱さを持つ人間です。そして、あなたがたによいたよりを宣明しているのも、あなたがたがこうした無駄な事柄から生ける神(主なる天の父)に、天と地と海とその中のすべての物を造られた方(主なる天の父)に転ずるためなのです。過去の世代において、主なる天の父は、諸国民すべてが自分の道を進むことを許されました。とはいえ、ご自分の善いことを行って、あなたがたに天から雨と実りの季節を与え、食物と楽しさとをもってあなたがたの心を存分に満たされたのですから、決してご自身の証しのないままにしておかれたわけではありません。』それでも、このように言って、彼らはやっと群衆が自分たちに犠牲を捧げるのをとどめたのである。」
この使徒たちの行為をどのようにお考えですか?
古代ギリシャは多神教で偶像に犠牲を捧げる習慣があり、無駄な事柄、いえ、忌むべき罪を習わしとしてきました。しかし、真の神はそのような罪から人々を御子イイスス・ハリストスを通して真の信仰へと導くため異兆などを示して救済の道を示されたのです!
被造物である人を信仰の対象とすることはなりません!
コニタンは、本日聖書解釈の指導の任に当たるものへの尊敬と偶像崇拝に類似した人への信仰の違いを学びました。今後、コニタンが私やその他のあなた以外のものに対して犠牲を捧げるなどの忌むべき罪を犯さぬように聖霊のお力でその信仰につまづきがないようにお導きください。最後に信仰の模範者御子イイスス・ハリストスの尊いお名前を通してお祈り致します。
アーメン