片山尚志(片山ブレイカーズ&ザ☆ロケンローパーティ) オフィシャルブログ Powered by Ameba -4ページ目

内ポケットにいつも

 

僕のラジオ番組「Break On Through」最終回の収録が終わりました。

 

 

 

思えば30代の結構な時間をα-STATIONで過ごした。アルファの方々とは、みんな何となく遠慮はあるんだけど顔見知りだし、すごく仲良くなったDJさんもいるし、本当にお世話になった。

最初はバンドのプロモーションで、始めさせて貰ったラジオだけど、いつしか、僕を作る重要なファクターになってました。

 

 

 

思い入れたっぷりなのでとっても残念です。

勿論、アルファには感謝しかありませんし、関わってくれた全ての人にありがとうと言いたい。

でも、何よりも…。

 

 

 


メッセージに感動しました。

ホンマに沢山のリスナーからメッセージを貰いました。思い思いの言葉で番組の事を本気で語ってくれてありがとう。紹介しながら泣きそうになったよ。





僕も宮さんも裕香も涌井Dも、楽しい番組作りが出来てましたが、確実に皆さんのお陰です。

 

 

 

過去の番組でも2回の最終回を迎えていますが、

こんな気持ちになったのは初めて。「Break On Through」に関われて、僕は幸せでした。

 

 

 

オンエアもあと2回やわ。

聞いてね。




 

 

 

ファンダンゴ黒瀬のこと

出会えて良かったなって思う人は沢山いるけど、一緒に戦ったと思える人は、そんな沢山居ない。間違いなく、黒瀬はそういう人だったはず。本人はどう思うてるか知らんけど、少なくとも、今そう感じている。



午前中、自宅でレコーディング準備をしているところに彼女の訃報が飛び込む。メンバーにLINEをしたが、全員同じ反応だった。とてもじゃないが受け入れられない、と。



今も昔も、ファンダンゴでのライブは自分にとって特別で、絶対かましてやりたい場所。そこには黒瀬がいた。PAはバンドメンバーと同じくらい大事やって、ライブにくる人はわかるでしょ?ファンダンゴにはいつも黒瀬が居た。同世代やし、一緒に作ってる感じもしたし、何よりアイツはいい奴だった。つまり大切な人でした。



現場と打ち上げ以外の黒瀬を、そんなによくは知らない。でも、それで充分。僕も黒瀬も現場と打ち上げで生きてんねんもん。限られた時間の中での、彼女の事はよく知っている。シラフの時は無愛想。育ちの悪そうな態度やけど、笑うと抜群にかわいい。



いやぁ…。
足りへんわ。



黒瀬早過ぎるわ。あと何十年も歌う気やったから、もっと会えると思ってたわ。次、ファンダンゴ行っても愛想のない「おはよう」が聞けると思ってた。あと、まだ呑み足りへんぞ。この間はじめて専門の時の話聞いたけど、お前ホンマはどんな奴やってん?堺遠なったから、年末は帰ったけど、たまたまやねん。もっとしゃべろうや。俺も死んだらそっちでバンドを組むし、オペしてくれよ。そっちでもう一個ファンダンゴ作っといてくれ。ライブしよう。ほんで、打ち上げで一緒に呑もう。



今までありがとう。またいつか会いましょう。受け入れきれないけど、本当に感謝しています。一度は伝えたかった。


いのち短し意地でも踊れ

今年も1月17日です。
震災から四半世紀。中々の年月を経たねぇ。高校生だったクソガキがシジュウをまわりました。昨日、母からメールを貰い、襟を正すと同時に、今年も一年に一度の儀式をば。故郷神戸に思いを馳せながら、確認しようと思う。



25年前の朝、自分の踏みしめている大地は不確かで脆弱なものである事を知り、人間の命はそれに依存している事学んだ。人の魂の脆さも目の当たりにしてきたが、時に惨劇を振り払う強さを兼ね備えている事も、すべては、あの日からの生活が教えてくれた。僕らに明日が来る保証はひとつもない。やるべき事をやり、心構えをし、今日を楽しんで生きる。



毎年の確認です。




話は変わりますが、松原裕という男が居ました。
神戸三ノ宮の太陽と虎というライブハウスの代表で、COMIN'KOBEを作った男です。最初の出会いは、20年近く前。当時はスタークラブの店長でした。あっという間に、彼は日本一有名なライブハウスオーナーになったので、沢山の人が彼の偉業も、破天荒な打ち上げも、ご存知かと思います。震災の事を考えていると、今年は真っ先に彼の事が頭をよぎります。



神戸に帰り、三ノ宮を歩くと彼と最後にサシで呑んだ夜の事を思い出す。当時の片山ブレイカーズの事を気にかけてくれていました。業界を俯瞰して、僕には見えないものが彼には見えているようで、素直に凄い奴だと思い知らされた夜でした。COMIN'KOBEは、過去に数回出させて貰いましたが、そこでは、沢山の出会いもありました。今や日本で最大規模の音楽チャリティーフェスになってます。闘病しながら、それでも前に進む姿勢は沢山の人の感銘を生み、彼のイデオロギーは、今後も引き継がれていくものだと思います。阪神淡路大震災があった事を、25年先の今に拡散している事実に頭が下がります。



いやぁ、ホンマ凄いよ。絶対にマネ出来ない。松原みたいな事は、到底出来ませんが、自分は自分のやるべき事をやらないと。



現在、大橋吐夢の体調不良の為、片山ブレイカーズの活動が止まってます。スローペースでも少しずつやって行こうと確認した矢先の事だったので、そこまでの焦り無いです。当然、吐夢自身の体の方が、バンドより大事なので、彼の完全復活宣言を待って、前に進もうと考えてます。最新の報告によると少しずつ快復に向かっている様です。



ザ・キャプテンズ傷彦の手術の話も、本人から聞かされました。彼とは三つ巴珍道中というユニットで昨年リリースをしたので、今年の三つ巴珍道中も可能なら回りたいですが…こちらも勿論、傷彦の身体の方が大事なので、彼の完全復帰を待とうと考えてます。



そんな状況の中、今年の1月17日は「今の僕がやるべき事」を考えてました。僕はどんな形であれ歌っていたいので、暫くは、1人でアコギ1本、色んな土地に行きたいと思います。歌いながら、2人の復帰を待とうと思います。今はそれが一番楽しくやれそう。片山ブレイカーズの曲も三つ巴の曲もアコギ一本で再現します。意地でも止めない。



25年前と全く変わらないのは、やっぱり失敗を繰り返しています。何回も大怪我してるんですが、色んな場所で沢山の方が、片山尚志という人間を助けてくれました。間違いなく僕は、世界に生かされています。多分、皆さんも。そういう人達と何度も繋がるために、旅をしたいです。



僕らのもとに明日は平等に来ない。
これは25年前に実体験として学んだ不変の真理です。やるべき事とやりたい事をやり、周囲への心配りを忘れず、死ぬ瞬間まで楽しんで生きる事を今年も確認した。