恭子が敦也を許せないのかどうか、 敦也には、いつもそれが問題だった。

恭子は、わかっていた。 意地をはらずに敦也を許してしまえば、誰もが安心してくれるということを。
飯田橋のマンションを出て一年間、恭子が考えていたことは敦也を許すかどうかだった。

実家に訪ねてくる敦也に
会って話し合いをするよう何度も両親から言われていた。

けれど真面目に生活してきたつもりでいた恭子にとって敦也がとった行動は、あまりに残酷で軽々しく、情けなかった。

やっとのことで恭子に小さな命が宿ったことに敦也はなんら感じ入るところがなかったのだろか? 恭子が許せないのは敦也の裏切り行為ではなく、 感じ方、 物事の重さに無頓着過ぎるところだった。

その日も恭子の母の絹子が、いつものように玄関で応対した。

「いつもごめんなさいね、今日はちょっと上がっていって欲しいんだけど。」


「え?あ、はい、じゃあ…」

何度も訪ねたことのある妻の実家ではあるが、あの日以来 上がるのは久しぶりだ。

「今日は お義父さんは お留守ですか?」


「えぇ、その辺散歩していると思うけど、出たばかりだからしばらくは戻らないと思う。」


「そうですか。」


「ちょっと待ってて、今お茶を入れるから。」


「あ、おかまいなく、お義母さん。」


敦也は応接間に通され ソファーで待たされている間、 二階から恭子の足音がしないかと、耳をそばだていた。

今日こそ 妻に久しぶりに会えるのだろう、約二年通いつめたのだ、やっと報われる日が来たのだろう、敦也は期待に胸を踊らせていた。

恭子の家は古いが 綺麗好きな絹子の手入れが行き届き、花梨材の床は磨き抜かれて独特の光沢があり、敷かれたペルシャ絨毯の美しい模様を際立たせている。
恭子の父親は大学教授の職をを昨年退いて、今は研究と執筆をして過ごしていたが、少し気難しいところがあり、絹子から散歩に出掛けた直後だ聞いた敦也は少しホッとしていた。


新宿駅は 相変わらず多種多様な人々が行き交う。 ビジュアルバンド系な服装の若者、スーツを着た勤め人、
買い物帰りの中年女、OL風、制服の学生、得体の知れない風体の悪い輩も…敦也はファストフードの通りに面したガラス張りのカウンター席で スマートフォンの画面に目を凝らしながら左から右に何度も指を往復させていた。

一時間前、敦也はある最後通告を受けてた。

敦也には毎月末の土曜日 の休日、わざわざスーツを着て訪ねる場所がある。

新宿から私鉄に乗り換えて数駅で恭子の実家だ。
恭子を訪ねて 二年間通い続けた敦也だが、 一度も恭子には会うことが出来ずにいた。