2014'はじまりのうた。
新年あけましておめでとうございます 2014年も音楽あふれ愛あふれ元気で平和な一年となったら良いな。凍える冬の日も、冷たい雨の日も、優しい春の日も、燃えるような夏の日も、あなたと同じ景色を見ることができますように。-----------------------------仙台と石巻で2013が暮れてゆき、2014のはじまりも東北で始めようと思います。ー東京へ向かう帰り道ー真っ白な蔵王を背中に福島を走り抜けたどり着いた東京はまるで別の世界でした。空も大地もまるで切り離されたように感じました。この列島は繋がっているはずなのに。僅か数時間の距離のことでした・・。12月に訪れた仙台と石巻。込み上げてくるものをどう記したら良いのか湧き出てくるものをどう伝えれば良いのか、ただ感情的に終わり無き文章を、書いては消し書いては消して年を跨いで今日になってしまいました。震災から間もなくで3年を迎えますが、想いは溢れて溺れてしまいそうです。今後も継続的に、私の胸に映ったその一部をそっと綴ります。12月。到着した仙台は昼間は黄金色に輝く銀杏並木や、夜は光のイルミネーションが街を輝かせ、それでもその一粒一粒の光の中に人々の希望が宿り、光となって散りばめられているみたいでした。しかし景色はここから一変します。137号線を深沼海水浴場へ向かう荒浜地区沿岸一帯へ近づくと見渡す限りの更地、荒浜小学校、所々に未だ残るガレキ…。建物の基礎だけが残るこの場所に人々の生活があり命がありました。【東北支援で今必要とされているワーク】ラジオ体操・仮設訪問・畑作業・被災家屋の修繕・掃除の手伝い仮設からの引越し作業・心のケア・子供たちの長期休暇時の学習支援 (子供たちを預かり宿題や遊び場を提供しお母さん達の負担を減らします)海苔や牡蠣の養殖作業・などなどワークも多様にあります。私が今回メインで訪れた石巻も状況は同じ。‘復興地’とはほど遠い更地に手を合わせます。「立町ふれあい商店街」津波被害を受けた地域の集まる仮設商店街です。こちらも抽選で希望者全てが入れた訳ではありません。この日はちょうど商店街2周年の記念日でこの日をもって商店街を卒業されるお総菜屋さんで昼食を食べラジオから流れる石巻民謡に胸が締めつけられました。2周年と言うことで記念イベント開催兵庫県は西宮から駆けつけていた幼稚園合唱隊のみなさんと大変貴重な出逢いもありました。亡くなった3,518人、行方不明のままの442人、そして残された方々に復興への希望を繋ぐ歌が届けられました。余りにも私が感激してしまったため、少しの時間交流する時間を設けて下さり、後日 貴重な音源まで郵送して下さいました。更には一緒に同行されていたフラッグデザイナーの福井恵子さんよりとっても素敵な石巻地図ふろしきを頂きました。地図になっているの。素敵でしょう\(^O^)/♡人々の触れ合いに太い絆を感じる立町商店街での時間。どの出逢いも一期一会ばかりです。日和山公園。高台からの風景。手書きの日日新聞。地元のとびきり美味しい海鮮。御宅訪問で伺った個人宅では体が弱って買い物に行けないですとか、仲良しの妹さんが流されて行方不明ですとか、当時の様子や心情を吐露される方も少なくなく、震災以来孤立し私たちの来訪や触れ合いを大変心待ちにしている方が沢山いる事を知りました。お別れがとても辛かった。東京へ戻ることが後ろめたかった。まだまだ継続的な支援が必要なのです。とにかくどんな事でもいいから来てくれる事が、「私たちを忘れないでいてくれてる」と嬉しいそうです。哀しみも希望も置き去りにされてゆく戸惑いに、継続的に寄り添っていかなければならないと思います。人の記憶はすごい速さで薄れていくのだと知りました。東北を忘れない為に、ふれあい商店街で出逢った西宮の合唱隊のCDを毎日聴き、石巻地図の風呂敷を部屋に飾っています。そうしないと忘れてしまうから。みんなが力を合わせればこの国はもっと前に進むのにな。2011年、歌を歌うことなど何の意味があるのでしょう…ただ自分の無力さに虚しさで一杯でした。それでも明日がくる事を信じよう明日を繋いでゆかなければならない。それは今も変わらない。わたしの唄がネットを飛び越え空を飛び越えあなたの街へ届きますように…私たちは拡声器を片手に叫ぶばかりでない内側にまだ灯せる灯を沢山秘めています。その灯を決して絶やさぬように。 2014年1月。愛~kanashi~