ご無沙汰でした。北海道・オビヒロで輸入建材・建築金物など扱う会社。
カネマツで勤務18年目のマツジンです。

最近ブログが書けない、いや書かない日々が続いておりましたが、久しぶりの投稿します。
って何を書くかと言うと

なんだろうな!
そうだ、私が影響をうけた事を書きますね

それは多分両親の事だと思うので書きます。

私は昭和46年10月に生まれました。
現在44歳になりました(ウソー歳とった!)

兄が多分、一人だと思うけど~います(笑)

父・母・兄・私の4人家族です。





まずオヤジなんですが厳し過ぎです。

こどもの頃の思い出は怖いしかなかった!!!!


まさに星一徹!!
怖くて返事は「はい!」と「いいえ!」しか言えなかった!!
はっきり言って苦手です。

わたしはいつも逃げ隠れしてた。

強烈に印象に残った出来事は2つ

一つ目は
小学校1年生の時、母親の財布から500円札をくすねて
当時、流行っていたスーパーカーや怪獣消しゴムを沢山買って
シャツの中に隠し帰った時、オヤジに見つかり「なんだそれ?」と言われ
びびりまくるわたし、叩かれるのは当然のことで泣いて謝ったことがあることと


2つ目は
20歳の時、私は浪人生でした。
タバコを隠れて吸っていたんです。(今もなのか?)
いきなり部屋に入り吸い殻が発見されて、
オヤジ『誰の金でタバコを吸っている?』
と言われボコボコにされました。

確かに私が悪いのですが、口よりも鉄建制裁が必殺技でした(苦笑)

流石に最近は無いですがたまに鋭いまなざしを見ると「ドキッ!」っと
することもしばしばあります。

オヤジは仕事もプライベートも威圧感ハンパ無し、
厳しい超トップダウンの典型です(苦笑)
自分にも厳しかったので、私のタバコ事件から禁煙して
未だに吸っていません!(スゴッ)




その反面、母親はわたしのわがままをほとんど聞いてくれた!!
こどもの頃も大人になってからも母親のそばにいました(マザコンか)


私が生まれた次の年にオヤジは脱サラして、カネマツを立ち上げました。


母親は初めて仕事をしたと聞いていますが、
様々な苦労はよく分かって無かったけど、
ずっとオヤジと共に一緒に働いていました。

ともかく母親の性格は明るく・豪快なんですが繊細な面もありとても優しい人です。
仕事ではお客様・スタッフ・仕入先の方と仲良くなるのが凄く上手でしたし
大きな声で笑う人でした。
もちろんプライベートでも母親のまわりにはいつも沢山の人がいました。


両親は朝早くから夜遅くまで働いていたので、
子供の頃はともかく夕食は出前が多かった印象があります。

私はそれが嫌で「何か作ってよ!」と母親を困らせ
オヤジの前では絶対に言わなかったので、
4歳上の兄に怒られて、兄弟ゲンカした記憶があります。

でも「しょうがないね」って作ってくれました。
ですからわたしは超過保護に育てられました。(間違いない)
そんなわがままを聞いてくれる母親は大好きでした。


そんな両親に育てられ
大人になってからは真面目なところがオヤジの影響が大きいのかな~
話を聞いてないところは母親の影響でしょうか?
自分なりに育んでいきました。

しかし、1度だけオヤジに反抗したことがあります。
私が高校生の時。仕事で両親が衝突してオヤジが母親に鉄建制裁をしようとした時
私は絶対、何をされても良いから母親を守ろうと
オヤジと母親の間に割って立ったことを覚えています。


人に好きになり好かれることが多かった母親を大切にしたいなぁ~
なんて思っていましたが4年前に亡くなりました。
何もしてあげられなかった事が悔しかったな~
すごく悲し辛かったし、いまだに緒を引いているのも事実です。

しかし、母が亡くなる2年前に入院してから父親が母親の面倒を
全てと言っても良いくらい見てました。
元気であろうと無かろうと病院で一緒に泊まっていたのも
父親は母親の傍にずっといました。
「伝える」と言う事がとても上手いとは言えない
父親でしたが行動力は半端無かった!


亡くなってから、父親は母親のことを名前で呼び始めました。
スゴク印象的な事です。

父親の一番大切にしている所ではないだろうか?と思っています。
いま考えると私にとって、両親の性格のバランスは最高だったと思います。

私は今も両親のおかげで生きてます!
感謝してもしきれません。
そんな両親の影響を受けている私なのでした。

父親は今も元気で会社のご意見番として毎日仕事か畑に行ってます。
母親の分、いつまでも元気でいて下さい。



お気に入りの写真のひとつです。

またブログ書きます。