父が亡くなってからお通夜、お葬式無事に終える事ができました。。
父の最期の様子を記しておきたいと思います…>_<…
9月10日
PM1時頃、
モルヒネの皮下注射が始まりました。
最初の1時間程は痛みがなかなか消えず苦しそうな様子でしたが2、3時間経った頃から痛みは落ち着いてきた様子でした。。
すやすや眠っている時間もあるし比較的落ち着いた時間が流れていました。。
モルヒネを開始する前の午前中に、
父の兄妹が顔を見に来てくれました。。
父の妹はすごく父を慕っていた様でずーっと手を握って話をしてくれていました。。
二人が帰る時に父は、
気をつけて帰ってや。。
ありがとう…>_<…
と言っていました。。
この日私は病院に泊まりました。
モルヒネがよく効いていたのか、
夜間に痛みを訴える事は無く私もわりとゆっくり休む事ができました。。
9月11日
朝から父の様子が変わり始めました。。
いつもならウトウトする時間もなんだか苦しそうな様子。。
しきりに、
お母さんはまだ??
早く来て欲しい。。
時間が足りなくなる。。
そう言っていました。
私は、
まだまだ大丈夫やって!!
お母さんちゃんとお昼には来るから(^_-)-☆
と父に伝えました。。
まだこの頃はまだ気持ちに余裕があって母を急いで来させる必要は無いだろうと考えていました。。
しかし父は何度も私に同じ事を言っていました。。
今考えればもっと早く呼んであげるべきだったと思いました。。
お昼ごはん、
父に大好きな卵焼きをあげました。。
ほんの一口だけど食べてくれました。
お昼過ぎ、
母と兄夫婦が病院に到着。。
父は涙を流して喜んで、
お母さん、お母さん、お母さん。。
お母さん、待ってた。。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。。
お母さん、
ありがとう。。
何度も言っていました。。
母も、
待たせてごめんね。。
お母さん、ここにいるから。。
一人じゃないからね。。
そう声をかけていました。。
しかし朝からの苦しそうな様子は変わらず、
看護師さんの様子が徐々に慌ただしくなっていました。。
PM4時、
担当看護師さんと、看護師長に呼ばれ、
お父さんだいぶキツイ様子です。
頭がまだしっかりしてるから苦しさを全部頭が感じてしまってる状態。。
眠らせていってあげた方がいいかと思います。。
父の苦しそうな顔を見るのは辛い。
母達も間に合ったし、皆がいる。。
今が決断の時だと思う。。
兄を呼び二人で相談し、
主治医によろしくお願いしますと頼みました。。
父に鎮静剤の投与が始まりました。。
この頃から私の記憶は多少曖昧なので申し訳ありません。。
しばらくすると父の呼吸の仕方が徐々に変わってきました。。
口を大きく使って呼吸していました。。
反応も徐々に無くなり手を握っても握り返す力がすごく弱くなっていました。。
看護師さんからは会いたい人は呼んでおいて下さいと。。
PM6時から8時、
私のだんなさんと父の兄妹が到着しました。
父の妹さんが何度も声をかけ手を握りましたがもう反応する事は無くなってきていました。。
でも耳は聞こえているので声をかけて下さいと言われていたのできっと皆の声は届いていたと思います。。
父の兄妹が11時頃帰り、
私は少し仮眠をしました。。
30分後、
兄の奥さんに起こされ、
お父さん呼吸が止まったかもしれない。。
慌てて病室に戻ると看護師さんがバタバタすている。。
母がただただ父の手を握って、
ありがとう。ありがとう。ありがとう。。
何度も言っていました。。
私は放心状態でたぶん突っ立っていました。。
父の病気が分かってから、
たぶん一番父と話をして、
病気の事を調べて、
父からたくさんの事を相談されて、
正直この数ヶ月は、
母よりも父との濃い時間を過ごしたつもりでした。。
最期を迎える事も覚悟を決めていたのに、
何もする事ができなかった。。
声すら出なかった。。
ただ立っていただけだった。。
当直の先生が来て父の死が確認されました。。
穏やかな最期でした。
ほんとに眠ってるかの様でした。。
声にはならなかったけど。
心の中でちゃんと言えた。。
お父さんありがとう。。
よく頑張ったね。
私もよく頑張ったよ。。
これからはお母さんをしっかり支えるから。
安心して。。
ありがとう。。
お父さんの娘で幸せでした。。
一つも声には出せなかったけど父には伝わったのではないかと思います。。
私の大好きなブログを書いてる方に、
フルマラソンを一緒に完走した気分(^_-)-☆
と書いていた方がいました。。
私もそんな気持ちでした。。
父と一緒に走り抜けた!!
そんな気分でした…>_<…
もちろん悲しさはすごいです。。
でも父と一緒に頑張り通せた自分を褒めてやりたいと思います…>_<…