このブログですが、思うところありまして閉鎖することにしました。
これまで読んで下さった方には深く御礼申し上げます。
しばらく記事を残しておきますが、月末にアカウントごと削除いたします。ご了承下さい。
ようやく年末年始の慌ただしさも落ち着いた青森市。われわれも通常モードに戻りつつある。
ホワイトアウトに見舞われ、朝一番にスタックするという失態を演じながらも、とりあえず事故もなく一日の運行を終える。
今日は初任給が出た。ノルマ未達成のため、出たのは11万そこそこ。是非もない。
「とはいえ、実はキムさんが最下位じゃないんだよ。あと下に七人もいたんだ。新人のキムさんに示しが付かんよな。ただ、キムさんはいずれ本社勤務になる。本社のノルマは33万だ。夜勤ありとはいえ、もっと頑張らないとついていけないぞ。」
と所長は言うが、心境は複雑である(ちなみにうちの営業所は24人いる)。

拾壱萬肆阡円の初任給を受け取りし車庫の昼は吹雪きて

とりあえず公共料金や家賃を支払う。いくらも残らないが、ようやく人生のリスタート地点に立った、そんな気がした。

帰りがけ、鬼の配車長に呼び止められる。
「大丈夫だ。取って食いやしない。」
戦々恐々、話を伺う。
「お前さん、意外に見所があるよ。一ヶ月やっているうちに、かなり板についてきた。最初はひ弱そうに見えて、かつ病み上がりだというから心配していたんだ。大丈夫、お前なら充分やれるから身体だけは壊すなよ。」
温かい励ましを頂き、ついホロリと来た。
断っておくが、今回もリアルな日記である。

乗務をはじめて一ヶ月。途中から設定額がベテランドライバーと同額に引き上げられたノルマだったが、惜しいところで未達成となってしまった。当初設定額を43000円超過しても、それは結果論。
査定は本社次第だが、おそらく最低賃金からの計算となるだろう。是非もない。達成加算二万をフイにしたせいか、いささかブルー。
帰りに寄った吉牛で、カレーを頼んだがあまり食は進まなかった。
やむを得ず31、2の明けに事務日直を入れた。
帰宅。ポストにはけやきの会で活動を共にする親友のお父様の遺歌集が投函されていた。彼女は今年、お父様と結社の師匠を相次いで喪った。当面地元結社とけやきで活動するが、その後の進路は未定という。11月号の「短歌研究」に、お父様への挽歌十首「星をつなぐ」が掲載されている。
先日二人で飯を食いに行ったとき、
「三年前の約束はまだ生きているから。」
と言われた。彼女は県短歌賞の三年前の受賞者。受賞直後「次は僕だからね。」と言ったことを覚えてくれていたのだった。
当時、私は長い無所属生活をやめ、「波止場」から県歌壇にデビューして間もない頃で、周囲からは一笑に付されたが、本人は違った受け止めをしていたそうな。
無謀にも新人賞を飛ばして直接県短歌賞に挑んだ私はその後3位、準短歌賞(1位タイ)と届かなかったが、何故かその間短歌賞も出なかったのだった。
その間、私は彼女に先駆けて県知事賞を取り、中央の結社賞も取り、県歌人懇話会の理事にもなったが、この約束はずっと心にくすぶっていた。
今回はけやきの会から私を含め三名が応募。彼女を目標としてみんなで励まし合って取り組んだが、私自身は絶対に約束を果たそうと心に決めている。

水族館のイルカ、ホクトの訃報が届いたが、年末はタクシー業界も多忙。水族館に出掛けるのは難しい。明け休みは疲れて起きられないし。
この間携帯も止まっていて、一部にはかなり心配や迷惑を掛けた。
ようやくつながった携帯に掛かって来た電話は、同級生。クラス会の誘いだった。断酒したてなので、酒席は苦痛。乗務の日という口実で欠席とした。
そんなこんなだが、県短歌賞の三十首だけは送った。出来上がっていた原稿をまるごと没にするには勇気も要ったが、結社の詠風をかなぐり捨てて文語旧かな。なにがなんでも取りに行く。
今朝の点呼の時、助手席側後部ドアのステップに傷があることを先輩ドライバーから指摘される。慌てて所長と配車係に連絡。
聞くと昨日の終了後、裏のドライバーが報告していたようだ。ただし、本人に心当たりはないとのこと。
とはいえ、私が無理なコースを選んでいない(プリウスは雪に弱く、無理してスタックすると大幅なタイムロスになるため、迂闊に小路へは入れない)のは、GPSで配車係も承知。結局裏のドライバーが無理して狭い道で氷にこすったことを認め、私はおとがめなしだったが、些か肝を冷やした。損傷は大小に関わらず報告が義務。前回に見落としていた自分の未熟さを恨んだ。
傷に塗装を施してからの配車となり、午前中出遅れたのが痛かった。とにかく無理なコースを選ばない、自損でもすぐ報告。これを徹底せよと所長のきつい檄が飛んだ。
大切なのは素直であること。そんなことを学んだ。