先端ポピュラー音楽中学院中学・旧本館

先端ポピュラー音楽中学院中学・旧本館

「新しくてしかもいい曲」を目指して曲作りをする、
“当学”の助手兼学生・Kaguemoriの迷走っぷりを楽しむブログです。


Amebaでブログを始めよう!

メインブログというかサイトを移行することにしました。当ブログは「旧本館」として残します。
より詳しくは下記をご覧ください。
https://note.com/kaguemori/n/nba7de7872833

手前勝手で誠に恐縮ですが、今後とも上記サイトにてどうぞよろしくお願い申し上げます。

備忘。歌詞に含まれる文たちは、次のような軸で分類できると気づきました(※もちろんこれだけではないはず):

(0)<視座軸>: 主体 ←→ 客体
(0')<意見軸>: 主観 ←→ 客観
(1)<口調軸>: 独白 ←→ 対話
(2)<長さ軸>: ラップ的 ←→ 歌謡的 (※試案)

順に下で説明していきますが、最初に文章を書き起こしてから歌詞やメロディーに変換しようとするときも、これらは表現の大まかな方向性を決めるポイントとして多少役立ちそうな気がしました。

 

(0)と(0')は、すでに当初の文章で決定されているもの、かもしれません。
まず(0)の<視座軸>について。「僕(たち)」や「わたし(たち)」が自分自身について語る歌詞ならば歌の主人公は“主体”だし、逆に「彼らは~している」「ソレが~している」など他者について語るならば歌の主人公(と語られているものとの関係)は“客体”、と言えそうです。
ただし(0')<意見軸>の主観的・客観的まで考慮すると、“客体だけれど主観的”のように複雑な場合もあります。たとえば「世の中には手袋を足に履いている人が多い」という文ならば、視座としては客体だけれど、意見の内容はそうとう主観的ですよね。

 

次に(1)の<口調軸>について。
口調にもいろいろな面があると思いますが、ここでは独白調か対話調かに注目しました。
つたない例で恐縮ですが自分のDancing Prayerという曲の場合だと、冒頭の男性パート「どうして 追いかけても 何かが届かない / 僕ら できることは すべてをしてきた」は独白調であり、そのあとの女性パート「わかってるよ 君がその塔を積み上げた / 残ることは 光がともるの 信じ待つこと」はやや対話調になっています。
ということで、一曲を通してずっと同じ調子でなくとも、少なくとも各瞬間ごとにどちらか寄りにはできるかなと。

 

最後に(2)の<長さ軸>について。
これは音符の長さと言うべきかもしれません。主に、刻むメロディーのリズムの緩急についての観点。ここでは便宜的に、「読むことに近かったり、早口に発声するところ」をラップ的とよび、逆に「長い息で、歌うように発声するところ」を歌謡的とよんでいます。クラシック曲でも、高度に器楽的なメロディーとは逆に、口で歌いやすいものを「歌謡的」と言うことがあると思います。
端的な例としては「あーあ~~~~~…」と歌うところはラップ的でないでしょうから、歌謡寄りだと言えると思います。
そして歌詞の全体が長ければ一定の時間の中に詰め込まざるを得ないし、短ければなんとか伸ばさざるを得ないという理由で、それぞれの文の長さ(と割り付けかた)で“ラップ的”か“歌謡的”かもある程度定まるのではないでしょうか。曲全体の長さやテンポも関係しますけれど。

 

※ そのほか、歌詞のgenderの選択や、時制=「過去/現在/未来/不定ほか」だったり、口調についても「です・ます/だ・である/体言止め」や「丁寧/乱暴」など、考慮すべき点は多々あると思います。残るポイントの整理は今後の課題としておきます。

※※ 非常に門外漢なのですが、ここまでで述べた内容は「文芸学」「文芸批評」「文学理論」「文学批評」などのキーワードと関係するかもしれません。「批評」といっても、必ずしも価値判断を伴わない類のもの、テクストの形式的側面のみに着目して分析・解釈する意味での。特にもしかすると「新批評(ニュー・クリティシズム)」と呼ばれる一派による、方法論の一部だけを取り出したことになっている可能性もあります? そのあたりは今後、本をちょっと探してみる予定。あと、やりたいのは批評のための批評ではなくて、あくまで創作論の一部として役立てるためです。なにぶん足元がおぼつかないので“杖”が必要という思い。(ただしお勉強の内容はたぶんここには書きません…。)

 

***

 

さて以下では、(0)~(1)の全パターンにつき、「運が強い。」「飛行機は。」という二つの“タネ文章”?みたいなものからとにかく例文を作って、鑑賞してみますね:
 
★(主体、主観、独白)
 「オレは運が強い」「ウチらの飛行機は潜るのだ」
★(主体、主観、対話)
 「ねえ、オレって運が強いんだよ」「まじでウチらの飛行機潜ってるでしょ」
★(主体、客観、独白)
 「あのときXだったオレは、確かに運が強かった」「ウチらの飛行機は飛んでいる」
★(主体、客観、対話)
 「あのときXだったオレって、運が強かったよね?」「ほらウチらの飛行機も飛ぶよ」
★(客体、主観、独白)
 「いかにも運が強そうな人」「飛行機とは潜るものである」
★(客体、主観、対話)
 「君って運が強そうだよねええ」「ねえ飛行機って潜るよねぜったい」
★(客体、客観、独白)
 「あのときXだった君は、確かに運が強かった」「飛行機は飛ぶものだ」
★(客体、客観、対話)
 「ほら、あのときXだった君は運が強かったね」「あ、飛行機飛んでる」

厳密にはちと微妙な例文があれど、「運が強い。」「飛行機は。」という単純な“タネ文章”からでも、前述のポイントを考慮すればこのようにいろいろな表現への変換(ないしは生成)ができそうです。

 

今回の記事は面白いテーマだと思ったのですが、最後のとこまできたらなんかイマイチでしょうか。きっと普段はいちいち考えないでスッと選択する?ものだからかも。上記はやはり、すでに書かれた文の分類法であって、ぎりぎり、非常時の強制的発想技法という程度かもしれません。

 

「歌詞世界に先導される曲作り」に挑戦して、前回はまずは駄文を書き起こしました。その結果、思わぬ“感動ポイント”を自覚できて、ようやく作詞にとりかかれました(ただし短めの)。なので「ともかく文章化してみる」も、場合によっては有効だとわかりました。

 

そして完全な詞先ではないですが、作成した歌詞の内容に呼応した曲も作れました(※サビ的な部分以外はあとから作詞・調整という感じ)。

 

しかし、「歌入れ」の前に楽曲を一応完成させたところで自問:
いま、世の中に現存する曲がもしかすると10億曲くらいはありそうなところ、自分がそこに1曲を付け加える意味がどれだけあるのだろうか?――もちろんプロのかたには大いにやってほしいですが。

 

そこであえてインストとして投稿しようか…?とも思いましたが、そんな逡巡すらも意味があるかどうか。

静かな夜に、Stingの偉大な名曲を聴きながら考え中。