忘筌(下呂のイクロー) -2ページ目

忘筌(下呂のイクロー)

川に「筌」を仕掛ける。小魚がたくさん入る。醤油で煮てから、朴の葉に包んで寿司にして食べる。「筌」を水中に沈めて放置するだけで、魚が捕れる。果報は寝て待て。今日もまた「筌」を忘れて魚を味わう。

そこのみにて光輝く 通常版DVD/綾野剛,池脇千鶴,菅田将暉

 
 キネマ旬報で2014年の日本映画ベストテン第1位、第38回モントリオール世界映画祭でも最優秀監督賞を受賞している。
 佐藤泰志(41歳で自死)の小説の映画化であるが、函館を舞台に、原作の重い空気感を生かしながら、密度が濃く、完成度の高い作品に仕上がっている。

 呉監督は最初自分で脚本を書き始めたが長くなりすぎてうまくゆかず、高田亮に預けたという。さりげない会話の中に、ドキッとさせられるセリフが随所にあって、脚本の上手さが光る。
 「女の顔して・・・」
 「元から女ですけど・・・」

 主人公と恋人、その弟という3人の役者の演技は息が合っていて見応えがある。達夫を演ずる綾野剛は、まだ若いのに背中で演技のできる俳優だ。自分自身を外から俯瞰する眼差しを獲得しているのだろう。恋人夏子を演ずる池脇千鶴は、表情の豊かさが魅力的だ。達夫とは対照的な憎めない男拓児を、菅田将暉が見事に演じている。思ったことをすぐ口に出し、行動に移してしまう屈託のなさが達夫には好ましく映ったらしいことが伝わってくる。

 足、痣、自転車、墓、アジサイ、鼻歌、流れる血・・・。様々の暗喩に溢れる映像は、映画的な魅力で光輝いていて、奥行きがある。心に傷を負った青年達夫は底辺に追いやられた家族と出会うことで、人との繋がりを取り戻す。繋がりとは身体と身体のぶつかり合いであり、「絆」などというやわで薄っぺらなものではないということを思い知らされる。
 人は一人では生きて行けないという自覚に至る、回復と家族誕生の物語である。『そこのみにて光輝く』という題名は、どん底にある家族の中にこそ人間の本質が垣間見えることを暗示している。
 今は亡き原作者佐藤泰志は、自分の作品が30年後に光輝く映画作品となって生まれ変わったことを墓場の陰で喜んでいるに違いない。
 
 蛇足ながら、『キネマ旬報(2014年4月上旬号No1659)』に掲載されている綾野剛のインタビュー記事と四方田犬彦の批評を読むと、この映画の輝きがさらに増すことは間違いない。