定期通院4月

CT撮影が行われた
午前中に撮影し午後から結果がでるというものである

結果は

何やら影らしきものがある

であった

放射線性の肺炎がしつこかったのもあり
水がたまっているか
それとも一過性か
最悪のパターンが
再発である

一ヵ月後
5月の診察である

4月同様
午前中CT
午後から結果

主治医の村上ドクターがCT画像見ながら
隣室へと促した

隣室には
昭和大食道チームの五藤ドクターがいた
瞬時に察していた


再発だ

数ヶ月前
憑き物が落ちたような心持であった診察室で
その宣告は行われた

五藤医師はオヤジをレントゲン室に移し
俺に語りかけた

はっきり言います
再発です
しかも
進行速度は予想外に速いです
このまま放置したら
肺不全で命に関わります
緊急入院してもらいます

俺は即座にそれを飲んだ

五藤医師から事の件を聞く

その時点で
宣告をうけた

半年はないです

本年5月である
今7月も下旬になる
そろそろカウントダウンである

俺の中に
オヤジのカウントダウンが始まった

東京に再入院
オフクロを東京に呼び戻さなくてはならぬ
オフクロと入れ替わるまで少なくとも3日

その中で
まずはオフクロの宿舎を決めなくてはならない
これは
前回お世話になった友人に頼むこととした
しかし
友人も一家の竈持ちである
それなりに都合もある
滞在は2週間が限度である

それ以降はウィークリーマンションに移動する事とした
とにもかくにも
病院まで電車乗り継ぎ無しの一本道でなくてはならないのだ

手はずを整えて
入れ替わるまでの3日間
医師に質問をぶつけた

それは
4月~5月にかけて
もっと早くに見つけることは出来なかったか?
本来はそこを聴かなくてはならなかったのかも知れない
しかし
ゴールは決まってしまったのである
走り出した車を
停める手段は俺にはない

あえて聞いた
一年前にステージ4と診断され
ここへやってきましたが
発病からステージ4になるまで
どれくらいの歳月を要するものですか?

そうですね…
おそらく2年は経過していたと思われます

その2年間の中で
オヤジは自身のオフクロ
俺のお婆さんの葬式を出している
自身気づかずとも
病に蝕まれながら
自分の母親の葬儀を執り行ったのだ

そして
一周忌を無事取仕切り
最後の闘病へと向かったのである

この回の入院に関しては
肺に水が溜まったから
その水を抜くための入院

そういうことで
本人には話しておいた

宣告を受け
それを知っている身内の人間は俺だけである

オフクロには伝えなかった
なぜなら
また、慣れない街で一ヶ月とはいえ
辛い看病生活をむかえるのに
最後通告までしてしまったら
恐らくオフクロは持たないであろう

それは俺の判断である
東京退院後は
今にして思えば非常に平穏な日々であった。

退院直前頃から
慣れない東京生活が
予想外の長期に及んだのもあり
オフクロの精神状態がおもわしくない状態であった

とにもかくにも
退院のために上京し
新幹線経由で地元まで戻った
ある意味でもう病人ではないが
入院並びに治療期間の
体力の低下もあり
5時間の移動には気を割いた

オヤジに関しては
病院食も普通食に戻っていて
ただし、食道を切り取って胃を引っ張り上げて繋げている状態なので
一口を小さくしなくてはならない
繋いだ箇所が細くなっているためである

流動食でないのが救いであった
ある程度細かくしておけば
後はゆっくり時間をかけて、という約束事さえ守れば
食事に制限はない

オフクロが落ち着くまでは
俺が食事を作ることにした
オヤジに食事の制限が無かった分
あとはオフクロが通常の域まで体調を戻すことを一義においた
何にしても、一番近くで過ごし、且つすごすのは
オフクロであるのだ

実はこれより3年前になろうか
オフクロ自身が腸閉塞で入院し
その治療過程が原因で
精神状態をやられていた
大腸関係と、精神的な薬を常時服用している

仙台、東京と
慣れない都会で看病生活を強いられたオフクロが
どれほどの極限状態に晒されたか
想像もできない

しかしながら
俺はオフクロに強くあることを望み
そうあることを強いた

見守る側が弱気になっては
見守られる側が不安になる
オフクロには目の前にある現実しかない
俺は病院側からの報告やら
その他の折衝を引き受けた
逆に言えば
そこからもたらされる宣告やら
厳しい言葉からオフクロを遠ざけた
とにかく目の前の現実だけを受け持たせた

故に
退院後の一ヶ月に一回の通院は
俺が帯同することとなった
というより
俺しか出来ないことでもある
2月、3月、4月と
一月に一辺の上京通院生活が始まった

事が起こったのは
4月の通院であった


どうやら一年前の記憶は
不確かなものであった

記録1にて
検査入院したとの記述があるが

東北大学病院では
検査入院のシステムがなかったのである

オフクロと
オヤジの見舞いの帰り道に話してて

検査入院ではなく
検査通院であったことが思い出された

仙台市内の病院に近いホテルを予約し
3泊4日させた記憶が蘇った

人間の記憶なんぞ
あてにならぬ物である