久々の更新。


というのも、このブログを開始したのがテスト期間真っ只中。

さらに、春休みに突入しても、旅行、就職活動とログインすらしない日々が続いた。


ちなみに、就職活動を開始したものの氷河期を実感している。

しかし、昨日の瓜田純士さんの卒業生に向けたブログを読み、たくさんの勇気をいただいた。

何回選考に落ちようが、関係ない。興味がある会社にはエントリーしまくろうと思えた。



そして今朝、久々にログインしてみると歓喜した。




『土橋政春』


瓜田純士ファンならば、誰もが知る名前だろう。

直接お会いしたこともなければ、アウトサイダーという格闘技大会映像やブログを通してしか存じ上げないが、

とてつもないお方である。


大胆さ、冷静さ。

強さ、謙虚さ。


変幻自在なお方である。

しかし、その根底には「ロック」という大きな大きな根がある。


瓜田さんとの関係性も、今更書くまでもない。

何度も瓜田さんのブログに登場しているし、土橋さんのブログには「ブルーベリー」のリンクもある。




そんな土橋政春さんから読者登録をしていただけたのだ。


日曜日の朝。

暴風雨にテンションが下がり気味だったのだが、心が一気に晴れた。



土橋さん、ありがとうございます。

そして、アウトサイダーでの優勝を心よりお祈り申し上げます。


瓜田純士ファンのブログ



ブログを始めてから、間もないが、何通かのメッセージをいただいた。

「ネタでやってるのか?」「早稲田で瓜田論?嘘だろ?」

などというものだ。


というわけで、「大学」をテーマに、瓜田純士という存在との出会いについても、書いていこうと思う。



別に、自己紹介に「早稲田大学の学生」などとわざわざ書く必要もなかったようにも思うが、小生は早稲田で学んでいるという点に多少なりとも思い入れがあるために、敢えて書いた。


冒頭の学生証画像が示すように、ネタでもなんでもなく、小生は早稲田大学文学部(旧第一文学部)3年の学生である。



早稲田で学んでいることに対する思い入れというものは、敬愛する瓜田純士との関連性で言えば、「新宿」という空間に集約される。

小生は、残念ながら東京の出身ではない。

大学入学を機に、上京し、一人暮らしをしている。



なので、学生生活を、瓜田純士が生まれ育った地である「新宿」にある「早稲田大学戸山キャンパス」で過ごせていることに、この上ない喜びを感じているのである。


少しでも、「東京」という首都を、「新宿」という街を知りたいと思っている。

なぜなら、瓜田純士を考える際に、「新宿」という街を理解するのは必須の条件だからである。



今でさえ、このように、早稲田で文学を学んでいることに喜びを感じているが、


本当のところは、小生は東京大学の文学部(文化三類)へ進学したかった。

しかし、それに見合う学力がなく、滑り止めの早稲田へ入学したという経緯だ。



東京大学へ進学したかった大きな理由として、「柴田元幸」の存在がある。


「柴田元幸」という学者の名は、多少なりとも文学、なかでもアメリカ文学を読む人間ならば、耳にしたことはあるだろう。

または、小沢健二という歌手のファンならば、彼の大学時代のゼミの教授であったということを知っているかもしれない。


さらには、村上春樹という作家のファンならば、村上春樹の翻訳作品の監修的な仕事をしている人として知っているかもしれない。



そう、小生はその、英米文学好き、かつ、小沢健二ファンであり、はたまた村上春樹ファンであったため、「柴田元幸」の存在は高校生の頃から知っていた。


(小沢健二については、以前に、「カリスマ瓜田ファンの方」のブログでも取り上げられていて、その記事へのコメントに、何人かの瓜田ファンがコメントを寄せていたため、感動した。が、その頃は小生はブログを始めていなかったため、コメントは自粛した。このブログでも、今後、小沢健二についても書きたい。)



そして、ぜひとも、大学で彼の指導を受けたいと願っていたのだ。



ところが、入試の結果は思うようにはいかず。

さらには、「英文学」の分野で秀でているとは言い難い早稲田においては、英文学を専攻しようという情熱は薄れていってしまったのだ。


柴田元幸の門下生が早稲田で教鞭を取っていることは知っていたが、英文学コースへ進み、英文学作品で卒論を書こうという動機には繋がらなかった。

柴田元幸の門下生の授業ならば、単科で受講すれば間に合ったからだ。



そんな感じで、大学において学問への熱が冷めかけていた私が出会ったのが、「瓜田純士」である。



今日はここまで。


眠れないとき、何する? ブログネタ:眠れないとき、何する? 参加中


ブログネタという機能を使う。


眠れないときに何をするか。


眠れないときといえば、小生の場合、その日に起こった失敗に対する後悔や、将来に対する漠然とした不安に襲われてしまう夜である。




そんな夜には、まず、ベランダへ出て、しばらく月を眺める。



そして、携帯電話を手に取り、瓜田純士のブログへ飛ぶ。



新たに記事が更新されていれば、狂喜乱舞し一気に読むし、もう既に何回も読んだエントリーも含めて読み返していく。
そうしているうちに、不思議なくらいに心が安らいでいる。


瓜田純士の紡ぎだす言葉は、鋭い。だが、どこまでも優しい。
矛盾しているともいえるが、氏の言葉はそれを体言しているのだ。


人間、誰しも悩みを抱えている。不安を抱えている。


そして、独りきりでそれを抱えてしまうと、
そんな悩みや不安に対して、「自分だけなぜ…」「どうしてこんなに苦しいんだ」という感覚を持ち、深みにはまってしまうことさえある。


だが、そんなときこそ、瓜田純士のブログを読んでほしい。
きっと教えてくれるはずだ。


「お前だけじゃねえんだよ」
「そんな悩み知れてる」
「誰だって辛いんだよ、それでも気合いで生きてんだよ」



ということを。


独りじゃないのだ。
我々にはいつも、瓜田純士がいる。
彼に甘えるのではない。彼に学ぶのだ。


そして、同じように、「瓜田純士という場」に集う仲間がいる。
闘おうじゃないか。




瓜田純士は、自分の弱さも隠すことなくブログへ綴る。
あれだけの男でも、弱さを抱えているのだ。


そして、

「本当の強さとは、自分の中にある弱さを認めた上で、その弱さに立ち向かい、打ち勝っていくことだ」

ということを教えてくれる。
身をもって教えてくれる。



瓜田純士は、自分の弱さに負けてしまう人間には、とてつもなく厳しい。
容赦なく、その鋭い言葉で突き刺していく。

しかし、自分の弱さと立ち向かっている人間には、とてつもなく、優しい。
溢れんばかりの、その優しい言葉で包んでくれる。


彼はしばしば、

「突っ張るしかねえ」
「夢を見られない人間に明日は無い」

という言葉を使う。


短い言葉だが、深い。




この言葉こそ、


「誰だって、不安や悩みはあるんだよ。でもそれに怯えて身動きが取れない人間はそこで終わりなんだ」

「立ち向かえよ。闘えよ。結果とか周りとか気にせず、自分の信じた道を突き進めよ。」


ということなのだ。


今宵も月を見よう。
同じ月を、瓜田純士も眺めているのだと、信じながら。