このたび、息子が春から社会人デビューすることになりました。
そうです。
お察しの通り、
大学は中退することになりました
私としては、大卒というプラチナチケットをも持って世に出すことが子育ての最終関門として目標に掲げていたようなところもありましたので、こうなってしまった事は、私個人としてはとても悲しい結果であります。
息子の大学は、息子が高校3年間に無遅刻無欠席かつ勉強をたくさんがんばって勝ち取った指定校推薦の枠での入学でした。
「推薦枠で大学へ入ると、らくして大学に入った、と言われることもあると思うけど、3年間継続して一生懸命がんばったからこその勝ち得たポジションなのだから、誇りと自信を持って堂々としていなさい」
と息子に言った覚えがあります。
本当に決して楽して入った大学ではない、と思っています。
高校3年間ブレることなく息子はとても頑張っていましたから。
とはいえ、
一般入試ではほぼ間違いなくパスすることができなかったであろう、私たち親子にとっては満足を超えた身に余るほどのレベルの大学でした。
大学とは縁のなかった私にとって、息子をそんな大学に通わせ卒業させる事は私の夢でも誇りでもありました。
そうやってせっかく入った大学なのだから、と、
たくさんたくさん何ヶ月もにわたり息子を説得をしてきましたがダメでした。
「大学が全てではない」
はい、よくわかっています。
もちろん全てではありません。
それよりも本人の人間性の方が大事?
はいはい、よくわかっていますよ。
ただ、高卒の私たち夫婦はどれだけ自分たちの能力とは関係なくそれが認めてもらえない世の中であるという事をこの人生の中で痛いほどに痛感してきています。
実際に何をするにしても人間として信頼してもらえるかどうかは、とりあえず大学を卒業しているかどうか、から始まるのです。
語弊を承知で言わせてもらえるならば
結局この世の中を動かしているのは大学卒業の男たちです。
高卒であること、女であること、で、私の人間性を見ようともしてくれず、なめられてイヤな思いをすることはこれまでたくさんありました。
「大学が全てではない」「学歴が全てではない」
教育に携わる人間の端くれとしてよくわかっています。
全てだなんてこれっぽっちも思っていません。
ただ「大卒」というのは、努力したら努力した分だけ公平に恩恵を受けられる人生を送ることができる大きなスペックの一つである、ということに間違いはないのです。
高卒の人で、
「そんなことなかったよ、大卒の人と同じ待遇だったよ」
という人がもしいたら会ってみたいものです。
だって同じであるはずがないのです。
頑張った人には頑張った分だけそれなりの待遇が待っている、という平等な世の中です。
これに関してもよくわかっているつもりですが、それにしてもあまりにもわかろうとしてくれない社会の姿勢にことごとく打ち砕かれてきた私にとっては、やはり大卒というプラチナチケットを息子に持たせてあげたかったのです。
このようにいろいろ思うことはありますが、彼の人生は私のものではありません。
彼がどうしても大学に行くことに見出せない、もう行きたくない、というのでしかたありません。
これから大好きなファッションに携わったお仕事をしてそれを広げていきたいのだそうです。
実は在学中にもうその仕事は始めていました。
大学に通いながらその仕事をすればいいじゃないとも言いましたが、それも嫌なのだそうです。
とにかく大学が嫌なのだそうです。
嫌だと言っているものを変えられようはありませんでした。
やっぱり商売人の子は商売人なのでしょうかね。
そういうわけで、私は子育ての卒業式ということで区切りに光が丘公園の桜の木の下で一緒に写真を撮ってほしい、と息子にお願いして撮りました📷
渋々感満載なこの息子の表情もいつかいい思い出になるのかな。
息子の名誉のために言っておきますが、私には迷惑をかけないようにとは思ってくれています。
私の懐事情を心配してか、私にお小遣いをせがんだりする事は全くといっていいほどありません。
私ってそんなに頼りないのかな?と少し寂しくなるほどです。
パパが死んじゃって親1人子1人なので、息子には無意識に背負わせてしまっているところもあるのかもしれません。
人生って思う通りにいかないね。
子育てって思う通りにいかないね。
思う通りにいかないことばかりかもしれないけれど、それでも家族はワンチーム❣️
私は息子の将来と向き合い、1番のサポーターであるよう、陰ながら見守っていこうと思います。