たった独りを相手に始めた稽古。今では総勢11名にもなった。ただし、恒常的に稽古に来ているのは5名。そして兵庫県で独り頑張っている方が1名だ。

空手とは、命のやりとりであること。それだからこそ、武道なのだと言うことを教えていきたいのだが、稽古では安全第一が原則だ。どのようにして武道性を高めていくかは、今後の大きな課題だ。

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明確な目標を持ち、取り組んで欲しいことから、審査項目、昇級の基準はあらかじめ提示していた。自分は何が出来て、何が出来ないのか、明確に自覚して欲しかった。

審査後は昇級した帯と一緒に、認定証を発行した。ほとんどが子どもなので、図柄にカブトムシが描いてあるのを選んだのだが、女の子には不評であった。

今の道場生が、来年、再来年には、人の前に立って、指導する側に回るのだ。

希望としては世界に散らばって、武道教育としての空手を指導して欲しい。世界中の学校で指導できるようになって欲しいという希望を持っている。

そのために、わかりやすく、科学的に、他の道場と何が違うのかを明確にしながら、この運動を勧めていかなければいけない。

早く技術ビデオを完成させなければいけないなあ。

やらなければいけないことが大きすぎるが、絶対にやってやる。

やらないから、できないのだ。


深夜二時頃の電話だった。嫁も息子も爆睡しているから、俺が出るしかない。しかしでると、すぐに切れる。または、なにもしゃべらない。

いたずら電話だ。俺に恨みをもつヤツの犯行だろうか。でも我が家の固定電話の番号を知っているヤツなんて、極めて限られている。いやな気持ちになる。

こんなことは、何年も前から度々あった。

先日、昼間うとうとしていると、突然家の電話の呼び出しベルが大きな音で鳴り響いた。昼間なのに、家族は誰も出ない。仕方なく俺が出るとまたすぐに切れる。

俺ははたと、思いつき、階下にいた女房に「今、電話が鳴ったよね?」と聞くと、「いいや、ならなかったよ」という。

ここでこれまでの疑問が全て解けたのだ。

この電話の音は、俺にしか聞こえていなかったのだ。

つまり、電話は、鳴っていなかったのだ。

俺はこのことをすぐに主治医に話した。そして診断名が確定した。

「統合失調症です。」

昨日、捜し物が見つからなかったので、ゴミ箱の中を探ってみたら、上の画像の左側の薬袋が捨てられていた。握りつぶしてあった。まだ薬はたくさん入っているし、俺には捨てた記憶が全くなかった。

今日、熊本市内で夜用事を済ませて帰宅する途中、道に迷ってしまった。運転中、はたと今どこを走っているのかが分からなくなったのだ。ほぼ職場に近いところからの帰宅だ。迷う方がおかしい。

意識ははっきりある。それでも自分のことが分からない瞬間が、みとめたくはないが、たくさんある。

これが統合失調症なのだ。

出来ないことは出来ないと諦めよう。

しかし、出来ることは精一杯やろう。

すべてを諦めるのは、俺の生き方ではない。

がんばりすぎてこうなったことは、明らかだ。

しかしそれでも、がんばるのが、俺なのだ。

そう、あきらめて、頑張れることは頑張ろう。

こんな俺でも、誰かの役に立つことが出来るのかも知れない。


警察庁が平成28年3月に発表した「平成27年中における自殺の状況」の一部抜粋である。

H27中に、19歳以下のこどもたちが、193人も「学校問題」で自殺しているのだ。

学校問題とはすなわち、「いじめ」だ。生徒同士のいじめもあるだろうが、教師によるいじめも存在する。

毎年、いじめによって子どもが自殺するニュースを必ず目にする。

その度に俺は思う。

「この子は、俺が殺したのだ。」と。

教師になって23年。

いじめで子どもたちが死んでいくことを知りながら、それに対して、何もしてこなかった自分がいる。

子どもは大人全体で育てていかなければいけないという信念に基づけば、何もしてこなかった俺が殺したのと同じである。

新米教師の頃は、わからなかった。

しかし、一人の子どもの親となってみて、子どもが死ぬと言うことが、それも自ら命を絶つと言うことが、どれだけむごたらしいことか、少しずつわかるようになってきた。

もし、いじめられた子たちに、自分を守る力があったら、いや知識だけでも良い、力を使わずとも身を守るすべを知っていたら、死ななくて良かったかも知れない。

そしてもうひとつ。いじめた側の子どもも、救ってあげなければならないのだ。人に叩かれたら、痛いと言うことを教えてあげなければいけないのだ。

俺は、自分に出来る最大限のこととして、空手による「武道教育」に賭ける決意をした。

しかし俺には大きな問題が見つかってしまった。

リウマチだ。

昨年、全身にいろんな症状が出て、年末についにリウマチ内科を受診。そして1月に関節リウマチが発覚した。すでに足の骨、関節がひどい状態だった。

目の前が真っ暗になった。リウマチは治らない。壊れた骨、関節は修復しない。

リウマチは、時限爆弾となった。俺には時間がないのだ。

昨年まで自分が空手を習いに行っていたが、そんな悠長なことは出来なくなった。

自分が先頭に立ってやるしかない。

武道とは、生き死にの問題である。スポーツや踊りではないのだ。

そのことを子どもたちに第一に伝えるには、俺自身が命をかけることを、見せなければならない。それが俺が選んだ道だ。

探しに探して、今日やっと8月に福岡で行われる大会を見つけた。

スケジュールさえ合えば、出場することにした。申し込みは、すぐにでもやろう。

全力でやれば、もしかしたら足は再起不能かもしれない。

しかし、足で死ぬことはない。ちょっと不便になるだけのことだ。


スタミナを使わず、全身の急所を狙って、少ない手数で相手をノックアウトする。

これが俺の研究テーマそのものだ。

試合に向けて、ランニングなんてできない。

スタミナをつけるトレーニングも出来ない。

ひたすらに、技を磨くだけだ。

一撃で倒す突き。一撃で倒す蹴り。

一撃必殺の理想を実現してみせる。

44歳以上の壮年クラスに申し込むが、最年長かも知れないなあ。

でも、俺は絶対に負けない。負けることは死ぬことである。

俺は生きて帰ってくる。

そしてまた、武道教育に命をかけるのだ。



去年からひどかったのだが、この4月からまったく仕事が出来なくなった。パソコンを開くことさえ出来なかった。限界を超えているという自覚があった。しかし、以前のように気分的な落ち込みは全くない。俺は2回、副校長に現状を相談したあと、思い切って精神科に行った。

症状を詳細にペーパーにまとめたものを、医師に読んでもらった。医師は頭を抱えられた。

一般的には、仕事が上手くいかない人が、このような症状になるというのだ。俺は質の高い仕事をバリバリやれる人間だという自覚もある。俺には簡単に病名、診断名をつけられないと言われた。すでに三回受診したが、職場提出用に書いていただいた診断書には「統合失調症(疑い)」と書いてあった。

意外だった。しかし、統合失調症について調べてみると、該当する箇所がいくつもあった。最終的な診断名はまだまだ先だろうが、俺にとって深刻なことがひとつあった。

それは、「生きている実感がない」ことだ。そう医師に告げると「離人症ですね。それは、相当つらかったでしょう。」と言われた。

「離人症とは、病名ですか?」

「いや、症状です。魂が飛んだ状態のことです。」


全くその通り。俺は常に魂が飛んだ状態だった。車を運転していても、どこを走っているか分からない。今日の昼に食べたご飯が分からない。つまり、今生きているかどうかが、わからないのだ。

これは深刻だった。そこで、生きた証拠を残していこうと、絵を描いたりしていた。今回は、空手のデモカーを制作してみた。

我ながら、かっこいいものが出来た。これに、ホームページのアドレスを追加する。

車に乗る度に、「ああ俺がこれを描いたんだよなあ」と思うことが出来る。

「作業療法」という言葉がある。

作業には傷んだ精神を癒やす効果がある。

心を病んでいる肩にはぜひ、絵を描いて欲しい。

熊本、玉名、荒尾など、お近くの方なら、絵の描き方をやさしく指導致します。

お気軽にご連絡ください。


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6月前半のある日の稽古を撮ってみた。

ああ、怒鳴ってばかり。反省。

全く集中できない子どもが映っている。

しかしこの子は、回を重ねるごとに、集中できる時間が延びてきている。

中学生になる頃には、俺の代わりに前に立って、子どもたちの指導をしているに違いない。

ひとりひとり、ぶつかっている壁、乗り越えるべき壁が違う。

当たり前だ。ひとりひとり、違う人間なのだから。

しかし、全員を一斉指導しようとしたとき、その一人ひとりを大事にしていない俺がいる。

生徒が5人になったら、俺の愛情が1人分が「5分の1」になってしまっているのではないか。もし100人いたら、「100分の1」になってしまうのではないか。

これは生徒ではなく、指導者である俺が超えるべき壁なのだ。

5人いたら、5倍の愛情を俺自身がもてなくてはいけないのだ。

100人になったら100倍。1万人いたら、1万倍なのだ。

俺自身が大きく、愛情深くならなければいけないのだ。

きっと神様は、そのような無限の愛情を持った存在なのだろう。

いや、愛そのものを神様というのかもしれない。

ならば、俺の中には、神様はいるだろうか。

厳しく叱るとき、無限の愛情を持って、叱っているだろうか。

これは、俺の壁なのだ。



先月までは中2の息子と、ほぼ一緒に風呂に入っていた。

が、日向もだいぶ大きくなり、俺と一緒に浴槽に入るのは、かなり難しくなっていたのは事実だが、それでも俺は一緒に入りたかった。

唯一、男と男の時間だったからだ。

日向におそるおそる「1人では入りたかろう?」と聞いたら、「うん」と言ったので、諦めた。娘を嫁に撮られた気分だ。

これでまともに話が出来るのは夕食の時間だけになってしまった。

俺は外では「褒め上手」として有名だが、日向を特別に褒めることは全くない。

せいぜい「がんばったね」くらいだ。

「勉強しなさい」とだけは口が裂けても言わないと決意している。

成績に関しては、「テニスもテストも、勝負事は絶対に勝たなければいけない」とはよく言う。

テストの点数なんてどうでもいい。

でももし、悪い点数を悔しかったと思うなら、次には絶対100点を取ってやる、という気概は持って欲しい。

俺の方からテストのことを話すことはないのだが、昨日、なんとなくふと思い出したことをつい言ってしまった。

「この間のテスト、国語は学年でトップだったんだろう?」

「うん。みんなから、どうやったら国語でそんな高得点が取れるのかと、不思議そうに聞かれる」

と言っていた。

日向は、宿題以外、一切勉強しない。

国語の点数だけがずば抜けて良いのは、ただ「読書が好き」だからだ。

たしかゼロ歳の時から、嫁が読み聞かせをしていたはずだ。

日向にとって、本は空気を吸うのと同じくらい、普通のことであった。

熱中したのは読書だけだった。

今はiPodで動画に熱中している。

青春時代は何かに熱中することが一番大事だ。

それだけでいい。

俺は今、空手やオーディオに熱中している。

だから今も、青春時代を生きている。

青春時代とは「熱中時代」なのだ。

でもこんなことを話しても、日向は「ふーん」で終わってしまう。

まあ、わからないものは、わからないな。

小学校のミニバスケ部、お別れ試合の日の写真。



今日は今年度初めての、鹿本高校でのスクーリングだった。

そこに初めて会うHさんがいた。

ちょっと年配のHさんを一目見てすぐに、「奥田民生に似てるって言われるでしょう?」と言ってしまった。

もう、笑ってしまう程、そっくりだった。

この言葉に笑って反応したのは、30代半ば以上の生徒ばかりだった。

俺が南関高校から転勤するとき、生徒たちが「中川先生名言集」というムービーを作ってくれた。そのBGMが「イージューライダー」だった。

だからこの曲にはとびきりの思い入れがあった。

大盛り上がりの授業を終わり、車で帰っているとき、何気なくFMラジオを聞いてみた。

車でラジオを聞くのは実は初めてだった。

山鹿から菊水にかけて、カーナビテレビの電波が入りにくいのだ。

だからラジオにしてみようと思ったのだ。

エフエム熊本の番組では「ドライブの時聴きたい曲 ベストテン」があっていた。

俺が聴いたときは第三位だった。第二位はハイロウズの「日曜日よりの使者」だった。

そこでも感激していたのだが、第一位が、なんと「イージューライダー」だったのだ。

もう驚いたのなんの。

たった今、その話をしたばかりなのに。

初めてつけた、ラジオなのに。

でもね、俺にはそんな偶然にしては出来すぎていることが、頻繁に起きるのです。

でもね、今日はこの「イージューライダー」を聴いて、泣けて泣けて仕方なかった。

最近、メンタル的に極限まで追い込まれてしまって、何も出来なくなっていた。

しかし今日、ああ俺はあたたかく見守られているんだと、強く思うことが出来たのだ。

大いなる宇宙に抱かれている感覚。

これがある限り、俺は死なない。


今日は今年度初めての、鹿本高校でのスクーリングだった。

そこに初めて会うHさんがいた。

ちょっと年配のHさんを一目見てすぐに、「奥田民生に似てるって言われるでしょう?」と言ってしまった。

もう、笑ってしまう程、そっくりだった。

この言葉に笑って反応したのは、30代半ば以上の生徒ばかりだった。

俺が南関高校から転勤するとき、生徒たちが「中川先生名言集」というムービーを作ってくれた。そのBGMが「イージューライダー」だった。

だからこの曲にはとびきりの思い入れがあった。

大盛り上がりの授業を終わり、車で帰っているとき、何気なくFMラジオを聞いてみた。

車でラジオを聞くのは実は初めてだった。

山鹿から菊水にかけて、カーナビテレビの電波が入りにくいのだ。

だからラジオにしてみようと思ったのだ。

エフエム熊本の番組では「ドライブの時聴きたい曲 ベストテン」があっていた。

俺が聴いたときは第三位だった。第二位はハイロウズの「日曜日よりの使者」だった。

そこでも感激していたのだが、第一位が、なんと「イージューライダー」だったのだ。

もう驚いたのなんの。

たった今、その話をしたばかりなのに。

初めてつけた、ラジオなのに。

でもね、俺にはそんな偶然にしては出来すぎていることが、頻繁に起きるのです。

でもね、今日はこの「イージューライダー」を聴いて、泣けて泣けて仕方なかった。

最近、メンタル的に極限まで追い込まれてしまって、何も出来なくなっていた。

しかし今日、ああ俺はあたたかく見守られているんだと、強く思うことが出来たのだ。

大いなる宇宙に抱かれている感覚。

これがある限り、俺は死なない。


今日は今年度初めての、鹿本高校でのスクーリングだった。

そこに初めて会うHさんがいた。

ちょっと年配のHさんを一目見てすぐに、「奥田民生に似てるって言われるでしょう?」と言ってしまった。

もう、笑ってしまう程、そっくりだった。

この言葉に笑って反応したのは、30代半ば以上の生徒ばかりだった。

俺が南関高校から転勤するとき、生徒たちが「中川先生名言集」というムービーを作ってくれた。そのBGMが「イージューライダー」だった。

だからこの曲にはとびきりの思い入れがあった。

大盛り上がりの授業を終わり、車で帰っているとき、何気なくFMラジオを聞いてみた。

車でラジオを聞くのは実は初めてだった。

山鹿から菊水にかけて、カーナビテレビの電波が入りにくいのだ。

だからラジオにしてみようと思ったのだ。

エフエム熊本の番組では「ドライブの時聴きたい曲 ベストテン」があっていた。

俺が聴いたときは第三位だった。第二位はハイロウズの「日曜日よりの使者」だった。

そこでも感激していたのだが、第一位が、なんと「イージューライダー」だったのだ。

もう驚いたのなんの。

たった今、その話をしたばかりなのに。

初めてつけた、ラジオなのに。

でもね、俺にはそんな偶然にしては出来すぎていることが、頻繁に起きるのです。

でもね、今日はこの「イージューライダー」を聴いて、泣けて泣けて仕方なかった。

最近、メンタル的に極限まで追い込まれてしまって、何も出来なくなっていた。

しかし今日、ああ俺はあたたかく見守られているんだと、強く思うことが出来たのだ。

大いなる宇宙に抱かれている感覚。

これがある限り、俺は死なない。