まめたののんきブログ

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のんきに言葉をつづっています。

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僕は大木に会いにゆく。鬱蒼とした山のなかに大木がある。ゆるい斜面。大木に甘い日差しが注ぐ。どんな種類の木なのか僕は知らない。僕は「あの木」と呼ぶ。シャーロック・ホームズがアイリーン・アドラーのことを「あのひと」と読んだみたいに敬意をこめて呼ぶ。勝手に名前をつけるのは失礼だし、種類を調べるのもなんとなく躊躇する。僕たちはお互いの名前を知らないでいる。そういう関係を僕は望み、それはとても安心なのだ。認識されたり認識したりすると緊張をおぼえる。友達や家族にすら遠慮をしてしまう僕の性質はいつから始まったのだろうか。友達を観察してみると(たぶんこれも間違いなのだろう。友達を観察するなんて!)無邪気に家族に甘えている。純粋な信頼をよせている。僕にはそれが出来ない。甘えることも信頼することもない。嫌いではない。もちろん愛している。しかし、それとこれとは別なのだ。母はときどき僕を叩く。僕の些細な失敗が許せないのだ。そのとき母の気持ちもかなり高ぶっているようで15分、30分と続く。止めるひとも、きっかけもないまま僕は叩かれ罵られる。だから僕は生きていることに罪悪感を覚えてしまう。ほんの些細な失敗。それに対するこの罰は相当のものだろうか。ふだんは普通の母だ。優しい母だ。だから僕は母を憎んだりしない。大好きだし、ちゃんと愛している。でもテレビでそういう類の、もっとエスカレートしたニュースが流れるとき、僕はそこにもうひとりの僕を見てしまうのだ。僕の変わりに消えた命を。母はどんな気持ちでそのニュースを見ているのだろう。僕はそういうとき母の様子を見ることが出来ない。確認するのが怖いから。あの、時間が始まる前の空気がざわつく、その瞬間、僕は僕が存在するのは何かの間違いなんじゃないのかと思う。体に対する痛みより魂を削られている感覚になる。体の痛みは我慢出来る。けれども痛みとともに僕のなかの大切なものがちぎり取られ、それはもう元には戻らない気がする。「母さんは僕を嫌いなの?」聞いてみたい。聞くのが怖い。僕は友達がたくさんいる。でもほんとうの友達はいない。親しくならないように、そつなく振る舞うから。大人は怖い。暴力で僕を壊してしまう存在だ。言葉で壊す。誰も信じていない。もちろん僕は僕自身も信じていない。「あの木」を見つけたのは、夏のはじめのことだった。ひとりの時間が欲しくて山道を歩いていた。蝉が鳴いていた。昼でもちょっと薄暗い道だった。竹藪が幾つもある。いろんな木が生えているし、枯れ葉や苔に敷き詰められた道はちょっと滑りやすかった。誰もいない。けものみち。風もない。湿気が高い。小鳥が鳴いている。高く、低く。僕の体から汗がにじんで流れてゆく。ハンカチで額を拭いた瞬間、うっかり足を滑らせ斜面を滑り落ちた。柔らかな湿った土が僕の体を流してしまう。ああ、もう、これで僕は終わりなのかな。ぼんやり思った。今思うと、そんな高い斜面ではないのだから、下まで落ちたとして死ぬことはないし、怪我もしなかったかもしれない。けれども、僕はやけにサッパリとした気持ちになったのだ。でも、ちょうど大木の根っこにお尻がぶつかって、下まで転げ落ちずにすんだ、僕は見上げる。お尻も痛いし変な格好で見上げる。そこだけ大きな枝や葉のあいだから綺麗な夏の空が見えた。葉の隙間から甘い光が織り上げる模様が地面に浮き上がる。「ありがとう」僕は自然なくらい素直に呟きその幹に抱き着いた。どのくらいこの場所にいるんだろう。僕の腕では全然足りないくらい幹が太い。僕よりもずっと長く生きているんだ。苔や土や木の、水のまじりあう生き物のつよい匂いがした。どくんどくん。僕の鼓動と大木の鼓動といっしょになる。どくん。重なる音にほっとする。大木の周囲は涼しい。サワサワと葉がゆれた。「いいえ。どういたしまして」その音は僕の耳にはそんなふうに聞こえた。そのまま僕は眠ってしまった。すとん。と眠りに落ちた。幹にもたれかかって、穏やかに眠った。こどもの頃のように、無邪気に安心して眠った。夢のなかでたくさん大木と言葉を交わした。けれども目覚めた途端に僕はすべてを忘れた。もったいないことに。ただ触れ合った心はあったかくて自然に、ふ。と微笑してしまった。気がつくと空の色が少し和らいでいた。帰らなければ。僕は「さようなら」と大木に告げ、斜面をのぼった。手探りでのぼった。落ちるときよりも、のぼるほうが勇気がいった。振り返ると大木はずっしりとした見かけによらない繊細な葉をふるわせた。「またね。気をつけて」そんなふうに聞こえる。僕は家路を急ぐ。帰りながら思いつく。大木のことを「あの木」と呼ぼう。と。帰宅すると母はから揚げを作っていた。にんにくの香りと油の香りがキッチンにたちこめる。「おかえり、いま出来たとこだよ」母は汗をふきふきお皿にから揚げを盛り付けていた。母は料理があまり上手ではない。いろんな料理を作ろうとしていた。けれども上手く作れないので諦めてしまい最近ではテーブルに並ぶのは定番のものになった。それでも、きっと僕や父のために心をこめて作るのだ。言葉にしなくてもちゃんと心はある。でも…。僕はから揚げをかじる。いつもの味がした。涙がにじむ。母は不器用なのだ。悲しいくらいに、いろんなことに。言葉にしなくちゃいけないんだ。いろんなことを。僕ははじめてそう思った。暴力だけではなく優しさが言葉にはあるんだ。その途端、「あの木」のぬくもりを手の甲に感じた。僕は無意識に涙をぬぐった。「うん、そうだったんだ。うん」涙からは「あの木」の香りがする。それは母に対する初めての感情だった。僕と母は似ているのかもしれない。「おいしいよ、母さん」僕は言葉にした。気持ちをきちんと言葉にして世界に表した。「えへへ」母が笑った。こどもみたいにチャーミングな笑顔で。「あの木」に会いに行こう。僕はたまらなく寂しくなったときいつもそう思い、そうしてそれを実行した、幹をのぼったり、眠ったり、「あの木」はいつでも僕の自由にさせてくれる。眠っているあいだ僕と「あの木」はたくさんの言葉を交わす。夢から覚めた途端、忘れてしまうけど、僕のなかにはいつも勇気や優しさがあふれている。言葉にすること。感情を言葉にして世界を作ること。僕は母が大好きなのだ。それをきちんと伝えた。「母さんは僕を嫌いなの?」母は泣きながら僕を抱きしめてくれた。「愛してるよ」たくさんの言葉を交わす。母と、幾つもの言葉。感情を伝えあう。不器用に真剣に。僕も母もまっすぐに意識を伝えあう。それを「あの木」が僕に教えてくれたから。
私はどうやら死んでしまったみたい。ふわふわと浮いている。形があるのかないのか分からない状態です。

透が泣いている。閉ざされたカーテンのなかの暗い部屋で背中を丸くして子供みたいに泣いている。髭も伸び放題。随分、痩せてしまったね。透の茶色の瞳から生まれる涙の粒が連なり、連なり、涙が幾筋も頬を伝う。床にいびつなお月様みたいに丸く染みをつける。潔癖症の透の部屋は信じられないくらいに荒れていて、思わず私は手を伸ばす。私の送ったお手紙が何通も床にならべてある。なんと初々しい文面だろう。割れた硝子ケースその中に散らばる貝殻、危ないよ、硝子の破片が散っているのに、透、裸足じゃないの。血がところどころにじんでる。透の足や硝子に指を伸ばす。けれども触れることが出来ない。いつかの浜辺でふたりで見つけた七色の貝殻が僅かなカーテンの隙間から差し込む日差しにきらりと光る。ごはん食べてないでしょ。キッチンはさめざめと鈍く光る。私は透の好きなドリアを作ってあげたかった。いつも私にラザニアを作ってくれたみたいに。ねえ、泣かないで。私は透の涙をぬぐってあげたかった。透が私にいつもしてくれたみたいに背中をぽんぽんってしてあげたかった。でも何もできない。透、透、透。名前を呼んだ。でも、透の耳には届かない。私は空気のように形をもたない存在となってしまったから。ねえ、泣かないで、笑って、透。そのとき目に入ったのはあるお手紙の一文。映画を見たあとしくしく泣きつづける私を馬鹿だなあ。って笑った透にあてたお手紙。私すごくすごく渾身のパワーをこめて、ああ、こんなに力一杯、何かをしようとしたことなんてなかった。かみさま。一枚の便箋を、それはドラえもんのレターセット。タイムマシーン。に指をのばす。便箋が持ち上がる。そのまま、透の膝のうえに置いた。透は目を丸くした。私のほうを見た。視線があう。私は笑った。たぶん。そういう感じだと思う。透は私が見えてないみたい。でもちゃんとお手紙を読む。「私のことを泣き虫だなんて笑ってたけど、きっと、透のほうが泣き虫だよ。だってちょっと泣いてたじゃん。気がついてないと思ったでしょ。今度、映画みて泣いたら私、笑ってやるからねっ」懐かしい文字。透は私のほうをまた見る。た私の名前を呼ぶ。私はすっ。と意識が消えかける。そのとき一枚の便箋を優しくなぞりながら、少し笑う、透の八重歯が見えた。