・・・昭和時代のドラマには、子供が風邪を出した時に、抜けさせる経営者像が描かれていることがある。
また、子供を従業員が交互に見守ったりする姿があったりする。
一方で、野麦峠のような、劣悪な環境で何時間も就労させ、結核で工場内で倒れて死ぬ、という姿も描かれている。
令和になっても、朝から夜まで働きづめの日々でふらふらだった、と記述した話が書かれていて、それは労働法上どうなの?と・・・労働法上、というより、経営者として残業代とかコストはどうなの?という風に読める話が出ていたりする。
上記は、ある元アナウンサーの本の内容の主旨から書いたものだが、人気アナウンサーは、東京にも地方にも山のようにいるわけであり、それにもかかわらず、1アナウンサーが複数番組を兼任し、残業残業で体を疲弊させると言うのは、どうなのだろうか。
アナウンサーが短期間でやめることが数年前話題になったりしているが、それは、ひとりにすべて負わせる体制が酷いため、かもしれない、と危惧している。
それは、教師の世界やほかの業種でも同様のようで、たとえば、教師の世界でも、教師にすべて任せずに、講師(授業を教えるだけの人)清掃職員、部活の指導員、赤ペン先生(採点をする職員)、そのほか事務職員、などに分業すれば、うまくいきそうな感があったりする。すき間であれば就労したい方も多くいたりする(学生、主婦、定時で帰れるサラリーマンなど)足りない職場を見ていると、作業の見える化、分業、に失敗しているのではないか。そう思えてならなかったりするのである。
分業すればおかしくなるのは、分業の条件がおかしいからであろう。分業でなくても、簡易テストであれば、OCR(マークシート)を使えばよいのではないか?テストでよくつかっていたマークシートの機械は、平日どうしているのだろう?
これは、新聞配達の話でも言え、朝刊と夕刊以外、大半のバイクが眠っているとか、そう言う実態もあったりする。
ふと、そんなことを想ったりしてみた。