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ジャズ詩大全電子版

フレッド・アステアのダンス靴は彼の生活のすべてをまかなっていた。彼の靴は一足20ドルもする値段ですべて注文であつらえ、だいたい70~100足くらい常時そろえていた。特別にあつらえた軽い造りの靴ばかりだったから、どれも五、六回のダンスにしかもたず、これほど多くの数量を必要としたようだ。しかもそれらは一切だれにも触らせず、踵やつま先に打つアルミの金具まで、彼は自分で打ったんだそうだ。

《ジャズ詩大全》別巻アーヴィング・バーリン編より
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フレッド・アステアはテニスきちがいだったし、スポーツならなんでもこいの万能選手だった。それだけでなく競馬が大好きで、とうとうあるとき厩舎を買い、馬を調教し、キャリフォルニア競馬に出馬しはじめた。そして10年もたって、1946年にやっと彼の馬トリプリケイトがハリウッド・ゴウルド・カップに勝って、10万ドルを手にすることができた。

《ジャズ詩大全》別巻アーヴィング・バーリン編より
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映画『Top Hat』の撮影もおしつまってダンス曲がもう一つ必要になった。バーリンは沈痛な面もちで「じゃあ考えなくちゃいけないな」と呟いて帰っていった。つぎの日偶然、振付のヘルメス・パンはバーリンが一人でいるところに出くわした。

「ああ、パン、きみとフレッドが話していた曲ができたよ。聴いてくれるかい?」
「もちろん」とパンは言った。
「じゃあ、事務所に来てくれ、弾いて聴かせるから」とバーリンも言った。

それは[Isn’t This a Lovely Day]という曲で、バーリンがニューヨークからもってきていた曲の一つだった。そこでバーリンはそれを弾いて聴かせた。パンはその最初の8小節をすぐ憶えてしまった。ところでフレッドは毎週バーリンとジンラミー(トランプのゲイム)をやっていた。パンはフレッドにこの曲の最初の8小節を教え、フレッドは音符の一つ一つを憶えこんだ。つぎに彼らがジンラミーをやったとき、フレッドはこの新しい曲をなにげなく歌いはじめたのだ。バーリンはギョッとして顔をあげた。

「フレッド、それどこで聴いたんだい?」とバーリンが言った。アステアは無頓着な顔をして答えた。「ああ、これかい? ヒット・パレイドで聴いた曲だよ」

バーリンは、『Top Hat』のスコアに書いた曲がじつは不注意にもヒット・ソングの盗作かもしれないと思うと、ぞっとするような気分になり、だんだん落ち着かなくなってきた。そうしているうちにアステアがもうこらえきれなくなり、爆発するように笑いこけてしまい、結局、バーリンにすべてを話した。あとで〝バーリンの顔に現れたショックの表情たるや、見せてあげたかったよ〞とアステアとパンは話して笑いこけたものだ。

それにしても、この曲は映画では一番最初に出てくるが、それを撮影の最後の段階でつくったり入れたりするのだから、撮影の混乱ぶりがよく見てとれる話しだ。

《ジャズ詩大全》別巻アーヴィング・バーリン編より
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