あなたがおしえてくれたこと

あなたがおしえてくれたこと

娘が拒食症になりました。恐怖と悲しみの暗闇の中で、少しずつ少しずつ手探りでかすかな光をとらえ始めました。娘の病気を通して分かり始めたワタシの心のこと、主人の心のこと、そして家族のあり方のこと。

Amebaでブログを始めよう!

母に対する私の中の未完の思いを書き綴ってきた。

父の死がきっかけで、母が制御不能になった。

父という後ろ盾を無くし、母はそれまで父の存在によって保たれていた、自分の立場が崩れていくのをひしひしと感じたに違いない。

取り繕うこともなくなり、我を顕にし出した。

これほどだったのか…

と、私たち兄弟は愕然としたネガティブ

自分が毒親育ちのアダルトチルドレンであることは嫌というほど分かっていた。

人間は窮地に立たされると本性が出るとはよく言ったものだ。 

私は、一時の感情の揺れにも我慢が出来ず、まるで赤ん坊のようにその時その時の感情にまかせて怒り、嘆き、暗く、不幸だと不満をぶつける、恐ろしく未熟な3歳児のような人の元に育った事実を改めて突きつけられた。


弟は母が本当に3歳児のように大声で喚き、地団駄を踏んだのを目の当たりにして、引いたそうな…ネガティブ


このやるせ無い気持ちをここに吐き出した。

でも…

自分の負の感情に疲れてしまったチーン

明るく、楽しく、幸せなものが懐かしくなった。

母を毒と感じるかどうかは私次第。

毒キノコを見ているだけでは毒されない。

毒キノコと知りながら、どうにかして食べようとするから毒になる。

どうにもならない毒母から、私が私自身を解放していなかったね。


父の死は私にこの大きな課題を突きつけたんだね。

父はどこまで知っていたのだろう…
そういえば、父は母が私たちにしていたことをどこまで知っていたのだろう?


全部知っていたのかも…滝汗






昨夜、携帯が鳴り、「母」の文字が目に入った。


一瞬でなんとも言えない嫌な気分になり構えるネガティブ


出るか出ないか躊躇うが、出るのも嫌だし出ないのも嫌だし。


えいや〜‼️と出ることにした。赤ちゃんぴえん


どんな声でどんなテンションで言葉を発したらいいか分からない。


重症だと思う。


いつものごとく、母の暗く私をなじる言葉。


「ちっとも電話してこないのね‼️」

( はあ? こういうのを聞かされるのが分かってるからかけたくないんだよ‼️)


「 お父さんが死んでからどうしてそんなに冷たくなったの⁉️」

(そもそも、父が生きていたころから、私はあなたに電話することなんてほとんどなかったし。父や弟の悪口を聞かされるのに辟易していたから。何も変わってないんですけど)


「 娘として本当に冷たいわ。いい‼️もうあきらめたから」

(あなたが私たちにしたことが返ってきているだけでしょう。私たちはとっくの昔にあなたをあきらめました)


「これが最後の電話にするわ‼️こっちにも考えがあるからね‼️」

(本当に最後の電話にしてほしい。何度もその言葉聞いてますから。こっちにも考えがあるって、どうせ遺産、お金のことでしょ⁉️どーでもいいわ)


ぜーんぶ、私が飲み込んだ言葉。


そして、私はブチっと電話を切った。


母はこういうことしか言えない。


私が子供だった頃の父や私たちへの言葉もこんなだった。なじる言葉の数々。


世間には一生懸命いい顔をして、家族にはぞんざいでワガママで甘えていた。


昔、母が怒って言った。

「 娘なんだから、お母さん大丈夫?手伝おうか?くらいのこと言えないのか⁉️」


私は呆れた。


その言葉をそっくりそのまま返してやるよ!


「 母親のくせに、娘に、大丈夫?とかありがとうね、の一言も言えないのか⁉️」って言い返したかった。


ありがとうね、ごめんね、大丈夫? すごいね、

えらいね、かわいいね、上手ね、頑張ったね…


どれ一つ、母の口から聞いたことがない。


ああ〜


やっぱりあのぐちぐち声を聞くと、私の心はドロドロになる。


こんなにドロドロで、冷たくて、愛情のかけらもない関係ならない方がマシだ…煽り


父が恋しい…












私は24歳で海外に移住したてへぺろ

弟は海外の大学に行った。

妹はダンサーだったが海外を転々と放浪した。


私たちは、世界のどこかに私たちの本当の居場所があるのではないか…キョロキョロ


と日本を飛び出したが、結局そんな場所はないのだと知って日本に帰ってきた。えーん




海外に移住する前の私は、バブル期に女子の花形職と当時言われていた仕事を2年ほどしていた。


高校以降、私はどこにいても孤立感や居心地の悪さを感じ、自分の居場所ではない‼️と感じてきた。


田舎が合わないのだと思い東京の大学に行った。

そこでも孤立感を感じた。


そして、就職した。

私が憧れていた仕事だった。

でも…


案の定、その会社でも同じ思いをし、2年で辞めて海外に飛び出した。


私がその頃考えていたのは…

「 私には日本の社会が合わないのだろう」

だ。てへぺろ


結論から言えば…


日本の社会が問題だったのではない‼️


私が子供の頃に母が口癖のように言っていた愚痴がある。


東京出身だった母は


「 私はこんな田舎にお嫁に来たから、不幸になった。東京に住んでいたら違ったのに…」


この言葉は私の心中に、いやきっと私たち兄弟の心の中に刷り込まれていった。


そして、私たちは東京に出て、思うように幸せになれなかったから、だったら日本を出て海外に行ったら幸せになれる、居場所ができると幻想を抱いた。


現実は…


自分の中に自分で自分の居場所を作り、自分を幸せにしない限り、そんな幻のような場所は世界のどこにも存在しない‼️だ。


当時はそれが分からず、母の言葉を抱えて、色んな国を巡って、結局幸せになれず、日本に帰ってきた。


私は日本に帰ってきて自分と向き合い、日本で居場所を見つけ、日本で今、幸せだニコニコ


刷り込まれた言葉は、いつの間にか私たちの人生を支配する爆笑