『シルディ サイババ アバター ~その総括的プロフィール~』 (21) | 奇跡の聖者 シルディ・サイババ

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『シルディ サイババ アバター ~その総括的プロフィール~』 (S.P.ルヘラ著、渡部英機・訳、siba・編) 


【6、シルディ サイババの貢献】



 (下)



 5、著名なサイ帰依者スッブラマニヤ・バガバタールは、次のように述べている。

 「神人即ちアバター達は来たりて去る。全ての人が、神人がいることを役立てることができるわけではない。無知な人々は、自分のエゴ(利己心)という殻にとじこもって目を開かない。たとえ、神が彼らの正面に来ても、彼らは神を認めようとしない。イエスははりつけにされ、クリシュナは侮辱され、恥をかかされ、非暴力主義の主唱者マハトマ・ガンジーは撃ち殺された。このような出来事は本当に悲しいことである。私達はこれらのことから、自分達が偉大なる人物の存在と一緒にいるという好機を必ず最大限に利用すべきであり、その時には自分達が狭い心の態度を改めなければならないということを学ぶべきである。そいいう偉大な人物の没後でなく、一緒に生きている時に、その方達を崇めるのが分別ある態度である。」


 もし人が本当に神実感に熱心であるならば、その人の物質的必要は常に神によって世話を受けるだろう。このことについては、全ての聖典、賢人、聖者、帰依者が適当な実例としてある。しかし、一般に私達は無知のゆえに、本末を転倒する。貪欲と疑いの思いの中で、私達は自己実感の価値と重要性を忘れ、もっと多く金銭を手に入れようと頭を悩ませる。その結果、私達は贅沢な慰めを手に入れるかもしれない。しかし、金銭は人間の貪欲を満足させないし、平安を与えもしない。であるから、私達は神が与えて下さるものに満足し、自分がよくない手段によることなく、手に入れることのできるもので満足することが望ましい。

 ババは、「世の中は最善の教師であり、解放(解脱)は世間の中で世間を通して到達されるべきである。もし人が誠実でグルの教えを実践するならば、その人の生活は容易なものとなり、霊性の道の進歩は早くなるだろう。そして、誕生と死の輪廻は止まり、私達の人生は人にとっても祝福となるだろう」と言っている。


 これらの表明の全ては説明を要しないことである。これらはカリユガの時代にシルディ・サイババによって人類を霊性化するためになされた独特の貢献を示している。



 (続く)