いろいろな事がありブログを離れていました。

 

4月29日、長男が亡くなって18年(多分)が経ちました。

 

早いのか、遅いのか!

 

娘が亡くなって5年。

 

早いのか、遅いのか?

 

息子が存命していれば34歳、娘は32歳

どんな青年になっていただろう?か?

 

と、言うような余裕もなく現在5歳(間もなく6歳)の孫息子に振り回せれる

齢63歳(今年で64歳)の父親もどきの爺さんはまだまだ隠居の目途たたずあと 15年は働かなければなりません。

 

15年???79歳?????ありえないかな?

私の親父は73歳(肺がん)で兄貴は70歳(大動脈解離)で他界してます。

父方は比較的短命なので

ただ、母方は90歳超えですのでそちらにいくと大変な事になりますが!

まぁ、それはないと思います。

いまだ、ヘビースモーカーですので。我が父の後を追って「肺がん」

というストーリーを勝手に描いています。

そう考えると「余命10年」くらい。

孫息子16歳、高校に入るか入らないか?位の計算になります。

できれば孫息子成人(二十歳)くらいまでは見届けていとも思いますが。

 

さて、直近の問題として孫息子にこれから本当の親のことをどのように話せばよいか?もう間もなくそういう疑問をもつことでしょう。

母親は死んだ。

父親は逃げた。

とは伝えられませんし

母親は孫息子を出産して亡くなったんだよ。

とは言えますが、父親がホームレスとは言えませんしね。

もちろん、父親に今後合わせるつもりはありませんが。

 

孫息子のことを考えるとこの先、気が重いです。

 

下手に長生きすれば介護が必要になり、孫息子を「ヤングケアラー」という事にもなりかねませんし、何とか75歳くらいまでシャキッととして、ある日パッタリと逝くのが希望なのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色々とありまして

 

またもや、ブログを更新していません。

 

コロナ第4波・・・・・・これは・・・・・・

かなり深刻な状況だと思います。

 

にもかかわらず、

私は三重に住んでいますが。

三重県長島町のアウトレット(ジャズドリーム長島

岐阜県、土岐アウトレット

そして、伊勢神宮。

 

かなりの人出です。

 

昨年の同じ時期の「緊急事態宣言」とは比較になりません。

 

「自分は大丈夫!」

という変な確信をもっていません?

 

統計もデーターもエビデンスも

今の変異型は全年齢に感染は拡大していますし

若年層にも亡くなる方は増えています。

何の根拠もない

「自分は大丈夫」

これほど危険なものはない。

 

保険という商品を扱って思うのですが

皆さん「自分は大丈夫」だと思っています。

入院「自分は大丈夫」

がん「自分は大丈夫」

まぁ私もそう思う時がありますが・・・・・

実は2回手術をしています。(整形外科を含めれば4回です)

 

時に「死」ですら

「自分は大丈夫」

と思っている。

自分の「死」は他人事?のように思っています。

 

「緊急事態、蔓延防止」

いずれも経済を考えれば難しい問題です。

 

事実「緊急事態、蔓延防止」で

「自殺者」も増えているのも見逃せなとは思います。

 

経済を回しながら、感染者を抑える。

 

ほぼ、無理な話ですが。

一人一人の自覚しか方法は無いとしか言いようがないです

 

 

 

昨年の12月を最後にブログ更新していません。

 

忙しかった!

 

12月に還暦を迎え、前職の65歳の定年では

息子を育てていくには定年のない会社に転職

しなくては!!!!!!

 

という事で12月1日、60歳寸前で転職を。

といっても

同じ保険業界で

お情けで入社させていただきました。

 

業界が業界ですので、定年はありません

が、成績が上がらなけらば給料もありません。

し、解雇もあり得ます。

 

60歳でも新人は新人。

1か月はミッチリと研修

まだ、デビュー3か月の新人です。

 

そんなこんな、研修も終わり1月

25日は娘の三回忌を迎えました。

 

コロナ過、娘の友人や親せきも呼ぶことなく

ちんまりと。

 

もう2年経つんですね。

あの日・・・・・・・

何が起きたんだろう??

今でも記憶が定かではありません。

 

 

救急車は来ましたが・・・・・乗せてはくれなかった。

救急隊員の人の「心肺蘇生の機材は使わないんですか?」

と尋ねると

「この状態では・・・・・」

 

そして気づくと救急隊の人たちは

全員警察官に入れ替わって。

 

覚えているのは警察署に移動したことくらいで

どうやって移動したのか?も覚えていません。

 

「娘さんは司法解剖になります。夜になりますが

連絡しますのでその時引き取りに来てください。」

そう言われました。

 

 

この記憶がない。というのはもしかしたら「自己防衛」

なのかもしれません。

もしもあの時の記憶がいまだに鮮明なら、精神的に

破壊されているかもしれませんね。

 

娘が亡くなり2年が経ち、子供は今年の5月で3歳になります。

「僕のお母さんは?お父さんは?」

と尋ねられる日をひやひやしながら子育て中です。

 

私を採用していただいた支社長は

「息子さんの事、娘さんの事、そして孫の話聞いたら採用するしか

なかったでしょ。」と

お情け採用ですが

先月はかなり頑張りました。

 

同期入社では成績No1にはなりましたから。

ただし、入社翌月の1月は成績0

いわゆる「タコ」でしたけど。

 

さてと、還暦おやじの子育てを始めながら

また、ブログも更新していこうかな。