わたしの感じる新しい世界のすがた | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

少し前から、ブログのタイトルに違和感を感じていて、

今日、タイトルを変えました。

 

このタイトルに変えたのは、2日前の朝、

夢うつつでみた記憶というか、イメージみたいなものが、

理由となっています。

 

夢の中で、わたしは小学校低学年の子どもでした。

その頃の私は、

多分今の時代であれば間違いなく発達障害と診断されたであろう、

皆んなと同じ行動をとることが出来なくて、

自分の心の琴線に触れる出来事があると泣いて暴れて嫌がる、

とても我の強い子どもでした。

そんな私は学校に馴染めなくて、教室に入りたくなくて、

よく授業が始まる時間になっても教室にいかずに、

学校の中の死角のよう薄暗い場所で、

一人で何をするでもなく佇んでいました。

 

ただ、昔の小学校というのは、

年老いたおじいさんが用務員という仕事をしていて、

皆んなが授業を受けている間も、

学校をキレイにするために、せっせと草取りなどをしてくれていました。

そして、そんな用務員のおじいさんは、

誰の目にもつかないような場所に隠れている私にも、

気付いて手を差し伸べてくれたのです。

 

 

用務員のおじいさんは、わたしを学校の敷地内にある、

用務員室に連れて行ってくれて、

わたしが自分から出ていくまで、そこに居させてくれました。

 

詳しいことは覚えていないけれど、

思い出すと涙が自然にあふれてくるくらい、

それは、とても優しい記憶でした。

 

なんで今まで、こんな優しい人のことを、

わたしは忘れてしまっていたんだろう?

 

そんな風に思った時に浮かんだのは、

わたしが今まで闘っていた時の記憶でした。

 

発達障害の性質のある自分を理解してくれない、

学校から、親から、社会から、

私は自分を守るのに必死でした。

 

自分を守るために闘うのに必死で、

自分の目の前にいる人達は、全て自分を押し殺そうとする敵に見えて、

そんなわたしの世界から、優しい人はいなくなってしまっていました。

 

一昨日の朝、

優しい用務員のおじいさんの事を思い出せたのは、

自分が世界を優しいものだと感じ始めているからだと、

そんな風に思いました。

 

それは、とても幸せな変化でした。

 

そしてわたしは、そんな自分の目に映る世界のことを、

皆さんに伝えたくなったのでした(*^_^*)