少し前から、ブログのタイトルに違和感を感じていて、
今日、タイトルを変えました。
このタイトルに変えたのは、2日前の朝、
夢うつつでみた記憶というか、イメージみたいなものが、
理由となっています。
夢の中で、わたしは小学校低学年の子どもでした。
その頃の私は、
多分今の時代であれば間違いなく発達障害と診断されたであろう、
皆んなと同じ行動をとることが出来なくて、
自分の心の琴線に触れる出来事があると泣いて暴れて嫌がる、
とても我の強い子どもでした。
そんな私は学校に馴染めなくて、教室に入りたくなくて、
よく授業が始まる時間になっても教室にいかずに、
学校の中の死角のよう薄暗い場所で、
一人で何をするでもなく佇んでいました。
ただ、昔の小学校というのは、
年老いたおじいさんが用務員という仕事をしていて、
皆んなが授業を受けている間も、
学校をキレイにするために、せっせと草取りなどをしてくれていました。
そして、そんな用務員のおじいさんは、
誰の目にもつかないような場所に隠れている私にも、
気付いて手を差し伸べてくれたのです。
用務員のおじいさんは、わたしを学校の敷地内にある、
用務員室に連れて行ってくれて、
わたしが自分から出ていくまで、そこに居させてくれました。
詳しいことは覚えていないけれど、
思い出すと涙が自然にあふれてくるくらい、
それは、とても優しい記憶でした。
なんで今まで、こんな優しい人のことを、
わたしは忘れてしまっていたんだろう?
そんな風に思った時に浮かんだのは、
わたしが今まで闘っていた時の記憶でした。
発達障害の性質のある自分を理解してくれない、
学校から、親から、社会から、
私は自分を守るのに必死でした。
自分を守るために闘うのに必死で、
自分の目の前にいる人達は、全て自分を押し殺そうとする敵に見えて、
そんなわたしの世界から、優しい人はいなくなってしまっていました。
一昨日の朝、
優しい用務員のおじいさんの事を思い出せたのは、
自分が世界を優しいものだと感じ始めているからだと、
そんな風に思いました。
それは、とても幸せな変化でした。
そしてわたしは、そんな自分の目に映る世界のことを、
皆さんに伝えたくなったのでした(*^_^*)