言葉の暴力というか、言葉こそ暴力…SNS見てるとそんな風に思えてくるなぁ…誰でも一番手軽に使える凶器なのかもしれない。
そもそも凶器であるという認識が無いことが問題なのかも。
例えば包丁は便利だけど危険だ、という認識は大多数の人が持っていると思う。けど言葉に関してはそういう意識はかなり低い。たった一言が他人の人生を変えてしまうことって全然あり得ると思う。
他人を活かす事も殺す事もできる、それが言葉。
薬も毒も紙一重、結局は使う人次第。
自分が扱ってる物がどういう物なのか、常に考え続けなければいけないんだろうなぁ…。
使ってる物、食べてる物、作ろうとしてるもの…かと言って難しく考え過ぎて何も出来なくなるのも本末転倒。
大切なのはやはりバランスかなぁ。
内なる混沌の中を泳ぐ。
常に取捨選択し続け、変化を恐れずに動き続ける。
他人からのアドバイス、という物についても深く考える機会があって。
色々な人が色々な意見を言う、ただ基本的にその発言には責任が発生しないので、言った側は大抵言ったまま。その人の考え通りに行動した結果失敗したとしても、その人が責任を負ってくれる訳ではない。成功すれば何かせびられることはあれど。
それを自分が言う立場になった時、絶対にこれが正しいからこうしろ、とは中々言えなくなってきている事に気付いて。
自分がしたアドバイスに対してどう責任を持つか、どこまでの発言なら責任を持てるのか、そんなことを考えてみたりする中で、自分一人が出来ることなんてほんとに、たかが知れているなと思い知る。
けれど自分が経験してきた中で、これは絶対に伝えた方が良いと思えることはやはり伝えるべきで、そういうことをなるべくフラットな情報として伝達出来れば良いのかな、なんて事を考えているこのひと月程。