2020年の人口減少、取り分け人口1000人当たりでの人口減少率の全国トップは秋田県、2位が青森県、3位が岩手県、4位が山形県でした。

このように人口減少や、そして事業所の減少が続く青森県において、銀行が生き残りをかけて行く為には、規模の論理に則り銀行の体力をつける為に、統合や合併は必要不可欠であり避けて通れない方法だと思います。

もはや、青森県内で青銀だ、みち銀だと、コップの中で争っている場合では有りません。

その意味で、今回の両行の統合は正しい選択であったと思います。

しかしながら、人口減少、青森県の衰退は今後も続くと予想されます、

そこで、更なる銀行としての体力の増強や新たな市場を求めて、例えば、岩手県や、秋田県の銀行とも統合を進める、場合によっては東北地方、更には北海道の他の銀行との統合を進め、あわせて技術革新による経営の合理化を図っていくしか、両銀行が生き残る為には、他に道が無いだろうと思います。

財務省は「国の借金」が1,212兆4,680億円となり過去最大を更新したとしています。

これは正確には「国の借金」ではなく「政府の借金」です。そして、その貸主の大部分は国民です。マスコミは「国民の借金」という言い方をしますが大間違いです。

しかも、政府の子会社とも言うべき日銀が、市場から政府の借金たる国債を大量に購入していますので、実質的には政府の借金はどんどん減少しています。

したがって、形式的には財政赤字ですが日本政府が潰れる恐れは全くありません。

なお、日銀は国債の償還期限が来ても、借り換えを繰り返すという手法で、政府が借金を返済しなくても良いようにしています。もちろん残余の国債については政府は返済を行なっています。

中国が香港を実力を用いて実質的な支配下においたのは、

中国から巨額の資本逃避が香港経由で行われていた為です。

つまり、主に経済的理由によるものです。

 

他方、にもかかわらず中国が一国ニ制度の建前を維持したのは、

中国は基軸通貨としてのドルが欲しいからです。

香港の国際的金融センターとしての立場を利用したいのです。

要するに、経済理由によるものです。

 

という事は、香港経由で中国がドルを入手出来ないようにすれば、

中国経済は一気に下降線をたどる事になります。

アメリカ、欧州、日本等が香港の国際金融センターとしての立場を否定すれば、

中国は直ちに手を挙げるに違いありません。 

【中国が急激に経済発展した理由】

 

中国は以下のような政策を実行した。

① 党益に反しない限りでの市場原理の導入

② 日本の総額約3兆円以上の対中ODA

② 通貨元を大量に印刷しての大規模な財政出動と金融緩和

③ (中国の巨大市場を外国への誘惑の餌にして) 

  外国の技術をあらゆる手段を用いてコピーし盗みまくった。

  また、欧米・日本企業の中国への進出投資の勧誘と合弁会社設立を強要した。

④ 安い賃金の大量の労働力の存在

⑤ 為替管理で元安を保持し輸出競争力を維持

⑥ 日本政府と日本企業あげての対中協力と技術移転。

⑦ 巨額の対米等への輸出 (逆に言えば米等の過度の対中輸入依存)。

 

以上が主なものであるが、⑥のアメリカ等の関与は極めて重要である。

アメリカは中国が経済発展すれば、その結果として、中国において民主主義革命が起きると信じていた(日本もその一翼を担った)。

しかしながら、中国においては民主主義革命どころか、国民に対する一層厳しい規制が行われただけである。

ポイントは香港である。その事については後日述べることにする。

【 父、故畑山典義とスクールブラスバンド(学校吹奏楽団)の歴史 】

 

昭和23年4月 弘前市立第三中学校へ畑山典義赴任

昭和26年5月 弘前市立第三中学校に畑山典義が学校吹奏楽団創設(東北、北海道初)

昭和28年      弘前商業高校が吹奏楽団創部

昭和29年      弘前市立第一中学校が吹奏楽団創部

昭和30年      青森県立弘前高校が吹奏楽団創部

昭和30年7月〜38年3月 弘前市立第三中学校吹奏楽団が畑山典義引率で青森県内及び隣                      県を演奏旅行

昭和31年8月  青森県吹奏楽連盟結成  畑山典義 初代理事長(28歳)

昭和35〜37年 弘前市立第三中学校吹奏楽団 東北大会銀賞(畑山典義指揮)

昭和38年3月  弘前地区吹奏楽連盟結成(35歳)

昭和38〜44年 弘前市立豊田中学校へ異動(後に第五中学校)

昭和44〜51年 青森県教育庁指導主事

昭和51年〜平成1年 弘前市内小学校校長

 

 なお、弘前市立第三中学校の吹奏楽団を、全国大会で3度優勝(昭和56〜58年)に導いた

一戸則夫氏は父の三中のスクールブラスバンドでの教え子である。

 因みに、昭和32年に故木村隆文氏(元青森山田学園理事長)が有志4名を募り吹奏楽団を創部し現在に至る。