農産物は人間や家畜が食べるのか,あるいは自動車を走らせるのか.この「食料か燃料か」の争いが世界的に熾烈になってきた.日本でも遅ればせながら,環境省と経済産業省が,国内で使用されるすべての自動車用ガソリンを,2030年までにエタノールを10%混合した「E10ガソリン」に切り替える方針を決めた.砂糖キビやトウモロコシなどの植物を発酵させてつくったアルコールは,バイオエタノールと呼ばれる.
計画では,第1段階として3%のバイオエタノールを混ぜた「E3」を,ガソリン需要の半分程度まで普及させ,2030年には最終的に全量をE10に切り替える.現在販売されている新車はE3に対応できるようになっており,E10対応についても環境面や安全面の問題は,自動車メーカーがすでに解決済みという.砂糖キビの産地,沖縄・宮古島では昨年10月からE3の実験がはじまり,県と市の公用車の約100台に使われている.ただ,競合する石油業界はその普及に抵抗している.
植物やその製品を燃やして放出される二酸化炭素は,京都議定書では温室効果ガスとはみなされない.計画通り普及すれば,2030年には1000万トンの二酸化炭素の排出が削減できる計算だ.原油価格は史上最高の高値を更新しており,石油消費と二酸化炭素排出量を同時に削減できるバイオエタノールは,一石二鳥という呼び声も高い.果たしてそんなにおいしい話なのだろうか.
小麦,トウモロコシ,米,大豆,砂糖キビなど,私たちが食べる農作物はほとんどすべてを燃料に変換できる.また,菜種油など植物性の食用油はディーゼル燃料となり,こちらはバイオディーゼルとよばれている.
世界のエタノール生産量は,1975年は55万6000kℓだったのが,2005年には4487万kℓと80倍にもなった.とくに,最近の10年間は年率6%近い高い伸びを示している.エタノール生産は,それぞれ穀物と砂糖の世界の最大の輸出国である米国とブラジルが抜きん出ている.2005年の生産量はトップの米国が1620万kℓ,次いでブラジルの1600万kℓ,中国の380万kℓ,EUの230万kℓとつづく.日本は11万kℓしかない.
アジアでは中国とインドが熱心だ.2005年に,中国は約200万トンの穀物をエタノールへ転換した.原料はトウモロコシだが,一部米や小麦も含まれている.インドでは砂糖キビ,タイではキャッサバが原料になっている.
世界の砂糖キビ生産のほぼ10%が,バイオエタノールの原料に回されている計算だ.ブラジルだけをとると,この数字が50%にもなる.ブラジルは,1973年の石油危機の後に世界ではじめて大規模に導入した.順調に消費が伸びたものの,1990年代は石油価格の低迷で伸び悩んでいた.しかし,2000年以降の石油の高騰とともに消費も急上昇している.
穀物がどう自動車に食べられているのか.バイオエタノールの利用が進んでいる米国にみてみよう.米国農務省は,2006年は前年比で全世界の穀物生産量が約2000万トンの増収になると見込んでいる.だが,このうちの1400万トンは,アルコール発酵に回される.家畜飼料を含めて人間の胃袋に回されるのはわずか600万トンしかない.
自動車は人間よりも大食いだ.SUV(スポーツ汎用車)の25ガロン(約98ℓ)入り燃料タンクをバイオエタノールだけで満たすとしたら,1人が1年間に食べる穀物が必要だ.2週間毎に満タンにすれば,1年間に26人分の食事に相当する.米国ではすでにエタノールを85%含む「E85」が販売されており,絵空事ではない.
バイオエタノールは投資家にとっても魅力的で,バブル状態になっている.暴騰をつづける石油価格によってバイオエタノールへの投資が急増して,米国では毎日のようにエタノール蒸留工場の計画が発表される.トウモロコシの大産地であるアイオワ州では,55の工場が稼働中あるいは建設中だ.これらがフル操業をはじめたら,同州のトウモロコシ生産量をすべてエタノール原料に回しても追いつかなくなる.やはりトウモロコシの大生産地であるサウスダコタ州では,すでにトウモロコシ収穫量の半分以上がエタノール原料に回されている.
一方,ディーゼル車が普及しているヨーロッパでは,バイオディーゼルの利用が盛んだ.世界のバイオディーゼルの生産量は,1991年にはわずか1万1000kℓにすぎなかったのが,2005年には376万kℓと340倍にも増えた.トップはドイツの192万kℓ,次いでフランスの55万7000kℓ,米国の28万4000kℓである.
このために菜種油の価格が高騰して,同じ原料を使っているマーガリン,マヨネーズ業界は頭を抱えている.この4~6月だけでも,日本の菜種油の卸値は7%も上昇した.世界の菜種油生産量は,昨年は約4800万トンあったが,その半分はバイオディーゼルに回されたとみられる.2010年には欧州のバイオディーゼル需要のために,4400万トンもの菜種油が必要になると予測されている.欧州では食用油の高騰に悲鳴をあげたマーガリン業界が,欧州議会に救済を要請したほどだ.
ヤシ油の世界1位,2位の生産国であるマレーシアとインドネシアは,ヤシ油からバイオディーゼルを生産し,マレーシアは昨年1年間だけで32のヤシ油精製工場の建設が承認された.しかしその後はヤシ油の品不足が心配されて,工場新設は凍結された.
最近の数カ月,小麦とトウモロコシ価格は2割も上昇,世界で6億2000万人の裕福な乗用車所有者と8億5000万人の飢えた貧しい人々の間で,食料奪い合いの様相を呈してきた.米国で年間にエタノールにされるトウモロコシだけで,世界の1億人が食べるのに十分な量だ.
昨年の世界の穀物生産量は34年ぶりの低水準にあり,毎年あらたに7600万人が増える世界人口の増加も考えねばならない.米国は世界のトウモロコシ輸出の半分を占めており,米国にトウモロコシを依存している国にとっても輸入がむずかしくなる.とくに日本は世界最大のトウモロコシの輸入国であり,その95%までを米国に依存している.世界人口の約20億人は,収入の半分以上を食べ物に費やすほど貧しい生活を強いられている.穀物価格の上昇は彼らを直撃し,飢餓が広がれば社会や政治の不安定化にもつながる.
「食料か燃料か」と問われれば,食料に軍配を上げざるを得ないだろう.ガソリンにバイオエタノールを3%混ぜる「E3」は,価格的に自動車の燃費を20%上げるのと同じ価値があるという.それならば,自動車の小型化や低燃費化をうながす政策の強化,代替エネルギー開発と電気自動車の普及といったものの方が急務だ.いまや投機の対象となったバイオ燃料を市場原理にまかせておけば,エネルギー危機はいずれ食料危機に姿を変えるだろう.
しかも,砂糖キビやトウモロコシ畑がどんどん侵入しているブラジルのセラード(中央高原)やアマゾン,さらには東南アジアの熱帯林に急速に広がる油ヤシのプランテーションは,深刻な自然破壊を引き起こしている.バイオ燃料のバブルは,さらに破壊を広げることになるだろう.