ダービーを圧勝。NHKマイルカップ・ダービー、『変則2冠』を達成したキングカメハメハ。
秋には古馬を相手に天皇賞秋をめざす予定が組まれた。かつてない『変則3冠』。
前哨戦となった神戸新聞杯を勝利後、右前浅屈腱炎を発症。引退となった。
8戦7勝、3着1回、キングカメハメハ。無事であれば、1歳下、『21世紀の最強馬』といわれるディープインパクトと世紀の対決が実現していたかもしれない。
たられば、のない世界。それでも・・・・・・いま、種牡馬として産駒対決を見るたびに、思わずにはいられない。
ちなみに、キングカメハメハのダービー優勝タイム、2分23秒3は従来のアドマイヤベガのレコードを2秒短縮。2015年、キングカメハメハ産駒ドゥラメンテに0.1秒破られるまで、不滅のレコードだった。
さらに付け加えるなら、2005年、ディープインパクトが叩き出したダービー優勝タイムは、2分23秒3。
引退したキングカメハメハ。無念だが、現在は種牡馬としてディープインパクトと双肩をなす活躍。
同じ世代を走ったコスモサンビーム。報われない運命にあった馬だった。
朝日杯フューチュリティSを4番人気で制覇。2歳チャンプとなったコスモサンビーム。
だが、同じ『コスモ』、道営ホッカイドウ競馬のコスモバルクに注目は集まった。
道営所属のまま中央に挑戦、百日草特別、ラジオたんぱ杯2歳S、勝ち続けるコスモバルク。
皐月賞4着コスモサンビーム、皐月賞2着コスモバルク。
悲願の誉れは、コスモバルクだった。ますます注目されるコスモバルク。
NHKマイルカップ,2着に激走したコスモサンビーム。
だが、キングカメハメハから5馬身差。
誉は、ただただ、キングカメハメハの強さにあり。
ダービー、12着と敗れたコスモサンビーム。
マイルで栄冠、朝日杯。マイルで2着、NHKマイルカップ。
ダービー2400m。長いといわれようと懸命に走った。
その結果が12着。尚且つ、左第一指節種子骨骨折が判明。
競走能力喪失も考えられる重度なものだった。
長きにわたる休養。
走るため、競走馬として走るため。その一心で復帰をめざした。
そこにはもう、コスモバルクはいない。キングカメハメハも。
コスモサンビーム、自分自身との闘いだった。
復帰したのは2005年、7月31日。新潟・関屋記念・芝1600m。
最後方から追い上げ、サイドワインダーの5着。
9月11日、京成杯オータムハンデ・芝1600m。
中団から直線沈み、マイネルモルゲンの10着。
10月22日、富士S・芝1600m。
3番手先行崩れ、ウインラディウスの9着。
『痛みを気にしているのかも』・・・・・・復活へ慎重に計られていた立て直し、逆療法がなされた。
10月29日、連闘でのスワンS・芝1400m出走。G3からG2へ、よりハードルが高くなったレース。
18頭立て11番人気。中団に控えたコスモサンビーム。
痛みなど気にするな、臆病になるなッ。
オレは、オレのために走るんだ。
自分に言い聞かせたコスモサンビーム。
直線、馬群を割った。思いっきり、ターフを蹴った。
軋む脚。もし、折れたら・・・・・・。
よぎる思い。
振り払った。
追い上げてきた1番人気サイドワインダー。
振り払った。
1年10カ月ぶり、1着でゴールしたコスモサンビーム。『復活』の2文字が、輝いた。
2006年、2月26日、阪急杯・芝1400m。
短距離にシフトしたコスモサンビーム。狙うはマイル王・安田記念。
希望への戦い。
1番人気オレハマッテルゼ、2番人気がコスモサンビームだった。
11番手後方につけたコスモサンビーム。
逃げるローエングリンを先頭に、馬群は3コーナーから4コーナーへ。
突然、1頭の馬が馬群からズリ下がった。
コスモサンビームだ!
明らかに速力が落ちた。
故障か!
再び故障なのか!
走るのをやめないコスモサンビーム。
もう、歩くように。
それでも、やめない。
4コーナー手前までたどり着いたとき、鞍上・本田優が下馬した。
競走中止だ。
と同時に、コスモサンビームが前につんのめるように崩れ落ちた。
急性心不全。
即死だった。
3コーナー、下がり始めた時はすでに意識は朦朧としていたのかも。
何が、彼を4コーナーまで走らせたのか?
ゴールへ、ただただゴールへ・・・・・・競走馬コスモサンビームの執念か?
それとも、
崩れるわけにはいかない。
騎手が、本田が私の背中から下りないうちは、崩れるわけにはいかないッ!
鞍上を守ったのか?
父ザグレブ、母ロビースレインボウ。コスモサンビーム号。
忘れえぬ名馬として、ここに特記しておきたい。
(つづく)