3108

 人間は生まれてくるとき「おぎゃ~」(息を吐く)と言って泣いて出てくるが、周りの人たちは笑顔で赤ちゃんを迎える。そして、死んでいくときは息を吸って(引き取る)あの世に旅立つがみんなが泣いてくれる。このとき、笑顔で「私の人生は最高だった」と言って死んでいけると最高の人生といえるであろう。中井勝典さんのように、好きなお酒を飲んでそのまま椅子に座ったまま眠るように逝ってしまう人もこれまた珍しいが、これぞ最高の人生の最期である。




しかして、よく考えてみると、人間としてこの世に生を受ける確率は「一握の砂」ほどのものでしかないという。それほど尊き「人間様(万物の霊長)神様の分け御霊」生命を授かったのに、何千年の間ずっと人類は「戦争」という名目の下に殺戮を繰り返してきた。強い者が弱い者から力ずくで命も財産も奪い取る。今や、世界の富のたった2%の人間がそのほとんどを占めていると言われている。それは、正義の味方ぶった商人たちが「戦争」という金銭回収マシーン




を政治家などを上手く、巧みに利用しているからである。過去、どれだけの善良なる一般市民が何の理由もなく戦争に借り出され、あえなく無惨にも死んでいったことだろうか。本当に無念であっただろうと思う。どこでその恨みを晴らせばいいのか、浮遊霊となってこの宇宙空間をさまよっているのであろうか。しかし、人間はどんなに権力を持とうが、どんなに数え切れないほどのお金を持とうが、間違いなく死んでいくのである。死亡率100%、否、無限大%であると




言うことは誰でも分かっている。みんな「死ぬときは裸」も知っているはず。・・・安倍晋三さんも大病を患い死の恐怖に怯えたこともあるだろう。あなたのお父さん晋太郎さんも、お爺さんの岸信介さんも、目の前で死んでいったはずである。「自分も必ず死ぬんだ」と自覚したならば、「平和外交による積極的平和主義」という発想が浮かばなかったのだろうか?。平和の上にしか幸福せは絶対に存在しない。「和の国」日本人の使命はそこにあると思のだが・・・・


3107

 昨日のめだかの楽幸は、天候不順の中、しかもみなさんお仕事が終えて駆けつけてくださり頭の下がる思いです。続けることはなかなかやおないことです。人生において最大の課題は「続ける」と言うことではないだろうか??いろんな障壁が次から次へと現れてくる。それを一つ一つ乗り越えていく。順風満帆が続くことなんか絶対にないからだ。



昨日、来られた方々は本当に運がいい。東京吉祥寺の「小ざさの最中」をみなさんと頂くことができたのだから。「たった一坪の売り場面積で年商4億円という考えられない商いをされていて、ここの羊羹は一日150本しか販売されず、しかも40年以上に亘って、この羊羹を買い求めるために早朝より行列ができている。しかし並大抵のご苦労ではなかった」などのお話



しして食べていただいたので、皆さんもより親しみを持って食され、「わあー、やっぱり本物だ」。「すごい、すごい!」「何だ、この味は・・・旨すぎる」「さらっとして、後味が全く残らない。こんなの生まれて初めて・・」などなど大変喜んでいただいた。たまには日本一のお菓子を食べることも、また心の栄養剤だ。そして、本番の植松努さんの講演ビデオ鑑賞。これも、みなさん大感激。「今日は本当に良かったです」「なんだか自信が付きました」「次回も是非みた




いです」と嬉しい声が飛び交う。植松さんは、子供の頃から「変わり者」と言われてきた。学校では問題児だった。紙飛行機やロケットに夢中になって取り組んだ。それが大きな夢となって、諦めず続けたことでついに自前のロケットを飛ばすようになったのだ。かのロケット好きで有名なホリエモン2年半ほど研修に来ていたという。世界で三つしかない無重力体験ができる施設まであり、世界中から見学や研修に来るようになった。次回も続きを・・・



3106

 昨夜、早速賞味第一号として小ざさの最中をいただいた。黒あんと白あん、どちらもねっとりとした甘みもなくさらっと品の良い味だった。 昨日の続き・・・これをみずみずしい状態とするには、技術上簡単ではなく、最も苦心した中の一つでございます。みずみずしさは、煉りの不足や邪道によってではなく、そのときの気候や天候などを予測し、細心の注意を払って製造しております。 ―記― 最 中 農林大臣名誉賞牌 羊 羹 厚生大臣賞 



現在は、二代目稲垣篤子78才)さんが当主であるが、それはそれは長い年月をかけて父親からの厳しすぎる修行を耐えての賜物である。朝は早朝から仕込みをし、夜中まで働きずくめの日々が続いてのことだ。18才で高校を出て家業を継いだのはいいが、厳格な父親の検査は常に「だめだ!」である。苦労に苦労の末、やっと「風が見え始めた。澄んだ炭



の炎の力強さを感じた、小豆の紫の一瞬の輝きの声が聞こえた」・・・平成4年の元旦、午前2時に仕事を終え父親に報告すると、「これからお前のいいようにやれ」と言ってくれた。その数時間後、救急車に運ばれ父親は眠るように92年の人生の幕を下ろした。そのとき彼女は還暦の60才。42年の歳月が流れていた。そして、その父親の職人魂職人技を「小ざさ」の伝統として今も守り続けているのである。




お父さんは、福岡県出身で早稲田の政経を出ているインテリだ。満州で事業を興して成功するが終戦時にシベリアに抑留されること3年。帰国後東京に戻り、昭和26年現在の吉祥寺にて一坪の店を開く。それから自らの修行が始まる。全国の和菓子を食べ歩き試行錯誤を重ね、苦労に苦労の末ついに、逸品小ざさの羊羹が出来上がるのである。・・・

282930日のありがとうございます15,5005,40011,600回。9月計400,900回。43,062,400


3105

 20103月に発売された著書「ちっちゃいけど、世界一誇りたい会社」の冒頭に取り上げられた、東京吉祥寺の「小ざさ」。このときは一坪(畳二枚)のお店の売り上げが何と3億円と知って仰天した。ところが、この本の著者坂本光司先生の最近の講演CDを聞いてまたビックリ。3億円から4億円と跳ね上がっているのである。お店の売り場面積が増えてい



るわけでもない。恐らく先生の著書を読まれた人々から連鎖反応を起こしインターネットなどを通じて顧客がどんどん増えていったのではないだろうか。私も、明日のめだかの楽幸に間に合わせるように取り寄せてみた。みなさんに「日本一の最中」を賞味してもらって元気を出してもらいたいから。このお店では、40年前から「小ざさの羊羹」を求めて行列



ができる。朝の45時から並ぶ。盆暮れには夜中の1時ぐらいから列ができるという。北は北海道、南は沖縄からやってくるという。しかし、この羊羹も一日に150しか作らない。一人5が限度。従って30人しか買えない計算になる。8時には整理券が配られ打ち切り。この店の凄いところは、店主のご主人(奥様が社長)が、お土産に持参する際でもちゃんと並ばなければならないという、極めて厳格で且つ公平なやり方を保ち続けている



と言うことで、到底羊羹は無理なので最中を注文することにした。挨拶状にこのように書かれている。「原料本来の特色を生かし、砂糖の甘味をならす、言い方をかえますと、丸い味をすることが、和菓子を創る上の、究極の奥義と信じます。最中としての、味の品位もそこから生まれるように思います。大げさな言い方でございますが、心を打ち込んで製造しております。本品程度に材料を充分使用しますと、ねっとりとなり易くなります。これをみずみずしい・・・・



3044

プチ紳士からの手紙」の中に熱血先生中野敏治さん(現役中学校校長)の感動の話が載っていた。・・・サングラスをかけたお父さんがやってきて、子供が当分学校に出てこられない旨の相談をされている。話し中もずっとサングラスをかけたままだ。あまり気になるので先生は、「どうしてサングラスをかけたままなんですか?」と訊ねた。「先生、恥ずかしいん



ですが息子の病名が信じられずに、毎日涙が止まらず、眼が腫れてしまい、それでも涙が止まらないんです。腫れた眼を隠すためにしているんです。息子の方がもっと苦しいのに、情けないです。息子は、冷静に医者にまだサッカーできますか?ときいているんですよ。生きて欲しいんです息子に」と、うつむき涙を流していた。息子さんは悪性の腫瘍で大きな病院で手術をす



ることになった。息子さんは、学校に行ってみんなに挨拶をして手術に臨みたいという。同じ学年の生徒たちが体育館に集まり、彼はこう話し出したという。そして自分の病状を詳しくみんなに語った。「入院して手術をするのでしばらくはみんなとは会えないが、大丈夫、元気になるために手術をするのだから、みんな待っていてね」と挨拶。みんなが玄関前で見 



送るために出てきたところへ、彼は立ち止まって「先生、行ってきますね。また帰ってきますから」と。泣いてはいけない、泣いてはいけないと思いながら、両親も先生方も涙があふれてきた。本当は一番つらいのは彼自身なのだが、なんと精神性の高い少年だろうか??いつも何かにつけて思うのだが、「魂のレベル」は年齢にはまったく関係ないということを、このお話でも改めて痛感させられた。しかし、魂は意志さえあればいくらでも磨けるそうだ。


3103

 26日の土曜日、恒例のうたごえすずめの楽幸39サンキュー回が無事終えた。秋だからキノコの炊き込みご飯をしたが、おかげさまで今回も完食。川﨑君が旬の葡萄の差し入れ、その他みなさん方のお菓子などたくさんの差し入れで、いつもお腹いっぱいのうたごえです。中休みでは田中省三さんが竹チェロの演奏を披露、拍手喝采。後輩の大島千代子(参議院議



員の妻)が田中さんの竹チェロワークショップの生徒になって、「本邦初公開です」と出来たてほやほやの竹チェロをご披露。見事な出来映えだ。彼女はこれを携えて全国を回って北九州の宣伝をしてくるそうだ。嬉しいですよね。仕事柄、北は北海道から南は沖縄までたくさんの支援者がいて、ほとんど毎日全国を飛び回っている。この日は、竹害と言わ


れている里山の実態観察ツアーに行っての帰りであったが、「竹に浸食された悲惨な実態を見て胸が痛みました。竹チェロ、竹バイオリンがこの竹害を救うものと思います。そして環境都市北九州市が全国に先駆けてこの成功事例を発信していくために竹チェロを引っ提げて全国行脚して参ります」と。それが終わるとまたまた裏方に回って皿洗いをしてくれる。この


日は本当に疲れ切っていたのでとても助かりました。ありがとうございます。誕生月は川﨑君一人だったので、「血管が詰まらないためのつまらない話」のお笑いを一席。「おお、どんどん腕が上がってるね・・」と、みなさんから笑いと拍手の渦が。いつも受付をしてくれたり、たくさんの葡萄を振る舞ったりと何かにつけて助かっています。ありがたい限りです。

252627日のありがとうございます123001310011000回。Cafe昭和の時代





3102

 昨日、店から帰ってきたら孫の詩はんからハガキが届いていた。シルバーウイークに遊びに来てくら寿司に行ったお礼状だ。一年生になったらこんな事もできるようになるんだね。子供の成長は本当に早い。元気にすくすく育って頂戴よ。たまちゃん先生の小冊子に「勇者の石」というのがあって、ここにはこう書いてある。ネイティブアメリカンの言葉だそうだ。



人間は生まれながらにして石を背負ってやってくる。一番軽いのは、子亀くらいの石で、この人たちは俗に言う成功者。幸せな人生を送る人たちで、子亀くらいの石しか背負っていない。ところが野生の猫くらいの石を背負っている人もいる。そして最後に「勇者の石」といってバッファローくらいの大きな石を背負って生まれてきた人たちで、障がい者や不治の病と闘っている



人たち。その人たちが世界で一番偉いと言うこと。ネイティブアメリカンでは、障がいを持って生まれてきた人たちは神様で、この世で一番最高の修行をしにやってきた人だという。このような話は精神世界でもよく言われていて、小林正観さんや斉藤一人さんもよく言っている。人間は10万回くらい生まれ変わるそうだが、「どうして俺だけが・・」と苦しんでいる人



たちは可成り修行を繰り返してきている人たち。障がいを持って生まれてくる人たちは天に最も近い人たちで、この苦しみに耐えられる精神力(神に近い魂)を持った人たちだという。その子を持つ親もまた同じような精神性を持った人たちである。もしもそうでないと、とてもではないが耐え切れないであろう。しかし、どんなに医学や科学が進歩しても、必ず2%の確率で障がいを持って生まれてくる子供がいる。これは絶対だそうだ。

21222324日のありがとうございます12100126001130015400回。昭和の時代


3101

 昨日お客様のご案内で、勝山公園での平和集会に家内と参加した。「安保法案の反対集会」であったが、私は敢えて「平和集会」と表現するし、そうして欲しいという願望もある。なぜならば、若い女性も発言していたが、これは国家国民の大問題であり、与党や与党を支持している人たちにも一緒に聴いて欲しいし、共に語り合い、お互いの意見を尊重する



ところからしか「平和」は現実しないからである。私は個人的には政治に利用されてはいけないと思っている。現に政治家たちは自分たちの発言が終わったら早々と引き上げていった。若者たちが立ち上がり、自分たちの言葉で語っているその真摯な姿に耳を傾け、その想いを実現していく責務があると思う。若い人たちがこうして立ち上がるのは本当に



久しいことである。何人集まったかではなく、ここから本当の民主主義が生まれてくるのではないか。否、きっとそうであるからみんなで見守り育てていく必要がある。話を聞いていて感動で涙が噴き出しそうになった。子供がいる主婦が壇上で話していた。多くの憲法学者たちが「憲法違反」と言っているのに、それをねじ曲げて押し通していくやり方は、日本人として道徳的にも恥じる行為である。子供たちの教育に宜しくない、と。若者たち





は決して国家の防衛を否定しているものではなく、時間をかけて国民総意の理想的な安全保障を構築すべきであると。そして暴力は暴力の連鎖を呼び決して「平和」は実現しないと。武力による鎮圧は絶対に不可能なことは歴史が示しているとおりだ。私がなぜ純粋なる市民集会を切望するかは、受け取った一枚のビラで一層意を強くした。「革マル派」の人たちに利用される可能性があるからだ。これではどんどん盛下がっていくこと必至だ。

3100

 昨日嬉しい報告があった。真宝の水素水生成器を買って下さったお客様からの電話。「飲み始めて二週間の報告です。家内がパーキンソンの薬の効き目が3時間だったのが4時間に伸びました。朝起きたときのむかつきが今までが7とすると10くらいに上がった。それだけ脳の反応がしだした訳で期待が持てます。私は脳の疲れが取れました。片眼でしかも酷い弱視のため



に目を酷使すると同時に、脳ももの凄く酷使しているので疲れが酷いのです。片目で見たものを両眼で見たと同じような映像を映し出すために脳がもの凄いスピードで働くので、その分酷く脳に負担が掛かるのです」と。「そりゃあ、良かったですね。それにしてもたったの2週間で凄いですね。ビックリしました。わざわざありがとうございます」とお礼申し上げた。とにか



くみなさんがお元氣になって下さることが何よりです。 昨日のつづき・・・

四つ葉のクローバーの出現率は10万分の1という。四つ葉のクローバーの花言葉は「幸運」で「ラッキー」という。その「幸運」を見つけるために人は探し回っている。ところが三つ葉のクローバーの花言葉は「幸福だという。この花言葉は誰も知らない。10万分の一

の「幸運」を探し求めて、目の前にある「幸福」に気も付かず、それを踏みにじって歩いているという。そう言われれば全くその通りである。今ここに生かされ活きているという大きな「幸福」を当たり前と錯覚し、もっと良いものもっと素敵なものを探し求めて彷徨い歩いているのが私たち凡人ではないだろうか?? 今を大切にし、今に深く感謝していく生き方が最も大事ではないかと、たまちゃん先生はそう伝えたかったのだろう。




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 小林正観さんは昭和23年生まれ、私と同い年である。斉藤一人さんも同じく。小林正観さんは、精神世界の在り方を大きく変えた人として後世に名を残す人であろう。また哲人・中村天風先生の最後の弟子である斉藤一人さんも同じく物心両面で多くの人たちに影響を及ぼし、本当の精神世界とはどんなものかを、誰にでも分かりやすく説き、そして平易に実



践できる方法を編み出した偉大なる人物である。同じ23年生まれでも天と地の開きがあるこの私。しかし、私にしかできない使命があるのではないかと模索を続けている。「四つ葉のクローバー」のたまちゃん先生はこの小林正観さんと斉藤一人さんをとても尊敬されている。だから言っていることはほとんど同じであるが、キャラクターや表現方法がちょっ



と違うだけ。たまちゃん先生と私たちの違うところは、たまちゃん先生は徹底して突き抜けて実践して結果を得ている。例えば、笑顔の訓練。「笑顔の鏡」なるものを据え付けて、超すてきな笑顔になるまで訓練する。この笑顔をどこででも振りまく。そして、「ありがとうございます」もカウンターを持って徹底して唱える。2万回に達したときに、なぜか訳も分からないのに自然と涙がこみ上げてきたという。このことは小林正観さんも言われてい



る。ところが私は、4000万回以上も唱えているのにこの涙がないんだよね。トホホ・・。だから大きな変化がないのかも・・・この「ありがとうございます」も笑顔と一緒に大きな声で誰にでも言う。ここが凄いね。そして極めつけは、「プレゼント」をしまくったこと。終いには給料のほとんどを筆文字のプレゼントに費やしてしまったこと。「出せば入る」を徹底して実践した結果、公務員(先生)を辞めても全国から引っ張りだこに。・・・つづく