ダメ母で逝く。

ダメ母で逝く。

愚痴った相手に正論で反論されたくねぇーーー→。聞きたくなければ「お笑い」ネタで返してくれ。石原良純の笑いモノマネで爆笑して返すカラ。

日々のストレス疲れで我が子が嫌いになる。
そんな時の毒吐きとか抜け道探しに。

日記とゆーより、自称ダメ母の愚痴・自爆・ちくりとか
そんな感じで現実逃避記録。かもしんない。

だからリアルでのippoに、このブログについて何も聞かないで下さると幸い。

つーか聞かないで。アレ書いてんのアンタでしょ?とか言わないでね。

たまに文字色が変化してる部分をクリックすると別ページが展開しますが、
記事内容の詳細参考用ですので、あまり怖がらずにお楽しみ下さいです。


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※ブログタイトルにした『自称ダメ母』として
生き治そうとする迄を『ダメ母で逝く?』
「ダメ母でもいーんじゃね?」と思う最近の日々の育児記録
『ダメ母で逝く。』とに振り分けてみる事にしました。

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過去記事で、性虐待された年が曖昧になってる事に気づきました…。


すんません。

多分、正しくは

小学2年生の秋だったので、

7歳(早生れとゆーやつで)から

4年間ほどなので、11歳頃迄です。


この日は毎年、どうやり過ごすか

自問自答するです。


最近は外勤(アルバイト)したり、

呑み友と呑んだりしてましたが

今日は、毎日服用する薬も

効をそうしてるのもあり?

ゴロゴロしたり、

好きなJPOP(勿論アニソン)聞きながら絵を描いてます。


それでも?胸の奥の爆弾がゴロリと動き出したら、外出しようかとも思ったり。


こんなあやふやなブログに

いいねをつけて下さった方がいらっしゃいましたので、

訂正に参上させて頂きました。


読んで下さりありがとうございました。

でわまた。

今日が記念日

 

伯父が私の下半身を

引っ越しで疲れて皆で新居で雑魚寝中に

深夜に、穴をいじりだした日だ。

 

その伯父、叔父達も他界した

最期をみとっていないからか

 

絶縁したのは私なのに

 

終わっていない。

 

それをブログに書き留めたくなった。

それで少しでも気が晴れたなら

どんなにイイだろう。

 

とりあえずはためらっていた内容をメモしてたものを

書きだしした。

 

少し整理がついた。

 

毎朝観てるTV番組も始まったから、

これで一旦切り替えて

 

描きなぐり中のストーリー漫画原稿に向き合ってみようと思う。

LINEの新しいスタンプも描きだししてみよう。

 

今日は外勤も休みです。

好きな事をしよう。

 

でわまた。

いつか。

母方の親戚に叔父と伯父がいた。

父が亡くなった後は二人が私たち子供の父親代わり的にしょっちゅう一緒にいた。

2人はパチンコ依存症でタバコもやめなかった。

日雇いの仕事ばかり就いては辞めての繰り返しだった。

今で言うところのガテン系で汗臭い人達だった。

 

クダラナイ、そう言われればソコでおしまい。

 

絶縁して32年

とうに亡くなったとは風の便りで聞いてはいるけれど

未だに夢で苦しめられる時がある。

 

犬に嚙まれたと思いなさい

 

可愛かったから可愛がられただけと

初めて母に告白した時はつたない内容でしか伝えられなかったせいか

具体的には何ひとつ言えなかった。

 

思えばあの時のショックから母との確執が始まったのかもしれない。

 

どこかに隙があったんだと言ったひともいた。

 

けど、そうじゃない、そうじゃない、そうじゃないんだ!と

まだまだまだまだ叫びたい。

 

だって、生理がはじまる手前でさ

 

初めては、ただただ戸惑って口を塞がれたから声を殺した。

 

次は気持ち悪いのを我慢して、

なぜそんな行為をするのか理解できず

ただ身体を預けては

終わるのを待った。

 

当時の私の小さなその穴を自分のモノのサイズ感に合わせるかのように

何度も執拗に指を出し入れし、初めては入りきらずに断念したようだったが、

あの時の伯父さんの

私の穴に指を舐めまわしながら出し入れしていた顔を忘れられない。

 

その行為は、皆が寝静まった同じ空間で深夜に行われる事が多く

伯父さんの行為が始まると寝られなかった。

 

その分朝も起きられず、日中も眠かった。

 

時には握らされたり、さすらされたり。

汁が出た後も握らされた時もあった。

やがて穴が緩みを帯びると伯父さんの竿が出し入れされるようになった。

 

あれは性行為

大人の性行為

それがそういう行為だったと知ったのは

中学1年の今頃だった

 

母が仕事場か、電車の中か、美容室でか、持ち帰った女性用の週刊雑誌

「近親相姦」特集の号だった。

私のように近親者からの「性暴力」が沢山告白されていた。

 

私は「肉便器」

そう理解した。

 

初めてされた時は7歳だった

それから11歳まで続いたが、ある日パッタリしなくなった。

 

何にもされなくなった私は性欲に振り回されてさ。

 

どうして触って、中に入ってきたの?

どうして触らなくなったの?

何がいけなかったの?

どんな悪い事したの?

私、誰にも何も言ってなかったよ?

伯父さん叔父さん

どうして気持ちいい事もしてくれなくなったの?

 

生理が始まるのを恐れているかのように。

 

私は肉便器?

 

ただ捌け口にされていただけ

 

伯父さん叔父さんには女が居つき始めてた

 

私は肉便器

 

ただ捌け口にされていただけ

 

死んでやる。

 

夜が来るのが恐ろしくて、でも気持ち良ければ寝直せて。

それが日中ぼんやりしたり、

人の言ってることが理解できない状態になったりしていたのが

ただただ毎日のように怒鳴られる日々に

腐っていった。

それが、行為が無くなったのに出てきた後遺症だったのに

 

中学校での放課後

委員会があったのに覚えてられなくて、欠席したら

同じ委員だった子もまともに出席した事なかったのに

委員会が終わった後に、その日はその子に怒鳴られて

涙があふれた。

 

そばにたまたま居たいつも優しく接してくれる子に

抱きついて泣いた。

声を出して泣いた。

いつしか

廊下に座って彼女の膝につっぷして泣いていた。

 

用務のおじさんが見回りに来た時も泣いていた。

その泣きっぷりにおじさんも、泣き止むまで学校閉めるの待ってくれると言って去り

とにかく泣いた。嗚咽しながら堰を切った。

 

校舎が暗くなった頃

 

彼女のスカートが涙で濡れてて罪悪感が芽生えて

 

「ごめんね、もう大丈夫だから、ちょっと屋上で外の風にあたって

頭冷やしてくる」と

 

ふらふらと階段を登っていると

 

腰から下が重くなり見ると彼女が抱きついていた。

 

足をしびらせているであろう彼女が

待って!行っちゃダメ!と何度となく言ってくれた。

 

「ちょっと屋上で気晴らしするだけ」

 

そう答えても見透かされていた投身自殺衝動

 

ダメ!待って!一緒に帰えろう!!

彼女の重みに阻まれた。

 

我にかえった

 

貴方は止めてくれるのね、そう思ったら涙が引いた。

ありがとう。

 

あの日の貴方は辛かったよね。

痺れた足をひきずりながら必死で私を止めてくれた。

 

両足しびれたまんま

必死に私の腰に抱きついて

階段を引きずられながらも離さないでいてくれた。

 

なのに

 

私の家が区内から市外の都営に引っ越して

転校しても何度か会いに来てくれて

 

それが進学してからは会う機会を作れなかった。

 

ごめんね

 

私は未だ立ち直れない

 

何があったかも伝えられていない

 

母には結婚して長男を出産後数か月後で、

伯母と三人でファミレスで食事しながら、

やっと具体的にどういった行為がなされていたかを話せたのに。

その時は母も伯母も驚いてはいたけれど、

伯父、叔父達と絶縁などはしなかった。

 

その後も4人は助け合って?慣れあっていたから

私だけ絶縁した。

 

ごめんね

 

中学時代の貴方

救けて貰ったのに自暴自棄な人生を未だ繰り返し中

 

子供の事も他人の力を借りながら、

年老いて伯母を亡くした後に伯父達と疎遠になった母と

私なりに育児ノイローゼになりながら生活して

 

今二人の子供も成人したのに

 

昨日、精神障害手帳の更新しに市役所に行って

手帳に付ける証明写真撮影したら

マスクを取ったら、すっかり しわくちゃな顔の写真

 

それでもそれを提出して。

死にたいのか死にたくないのか自問自答する日もある

早く老齢になりたかった日もある。

こんなしわくちゃな顔でも、

まぁいっかと投げやりな気もする。

 

最近、去年から始めた勤め先で

精神障害あるように見えない、

ただ本人が気にしすぎているだけのように思える、と

上司に言われたのも不快でしかなく

 

理解って何だろう?

普通って何だろう?

 

癒しって何なんだろう。

 

30年前に比べれば、入院するほどの発作も不機嫌さも消えたけれど

 

性被害に遭った人は、男女関係なく

その経験に程度などなく

 

私よりも酷い扱いを受けながら、それでもその被害を訴え

闘ってる人も大勢いるけど

 

たとえば飲用する薬が飲んでみるまで、

その人の体質に合うかどうかが判らないように

 

その苦しみは苦しみには

そっと寄り添って、

そばに黙って見守っていてくれたなら

発作が出た時も

肩をさすってくれたなら

背中を優しくさすってくれたなら

 

そう思う日々が終わらない。

 

枯渇感が終わらない。