ブーフ、ブーフ、ブフフフフ……
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テスト

仕事が見えない!

今回は、『学士会会報』No.872
工学院大学理事長・日本技術者教育認定機構会長

大橋 秀雄氏の原稿から。


物理学賞に続き、化学賞受賞。


一挙4人がノーベル賞を受賞するという快挙となった。


今回の両賞受賞の理由となった業績は60年代から

70年代の研究。

いずれも受賞者が若いころに挙げた成果である。


ノーベル賞受賞の秘訣は長生きすること、といわれる

ように、評価されるまでには長い年月がかかる。


その意味で、若手科学者の育成が重要であるが、
現在、若者の理科系離れは進行する一方である。

とりわけ、工学離れは深刻である。

過去15年間で、工系学部への志願者は6割減少した。
その間18歳人口は4割減っているから、差の2割は

他分野に流れたことになる。

技術者になりたい若者が増えない理由


筆者の指摘するところによると、工学離れの最大の

原因は、工学に従事する人、つまり技術者の仕事が

見えないことにある。

例えば、医者であれば、テレビドラマを通じてその

活躍するシーンを見ることができるし、
何より、誰でも小さいころから病気や怪我を直して

もらう経験を通じてその有難味を実感できる。


また、先生や運転手、ガードマン、お巡りさんなども、

学校やバス、工事現場、交番といった日常的な光景の

中にその仕事を見ることができる。

しかし、技術者はどうか。

ほとんどは見えないところで働いている。

家族ですら、どんな場所でどんな仕事をしているのか、
話を聞いて想像するより他、仕方がない。

実際、技術者の仕事は、工場の敷地内やオフィスビル

など、一般に立ち入れない場所で行われることが多い。


最近では、パスカードが必要なセキュリティ完備のビルが

増えているので、オフィスも工場並みに警戒厳重になった。


誰でも自分の職場は見慣れているから、外から見え
ないことに鈍感になっている。知識社会というのは、

仕事がますます見えにくくなる社会かも知れない。


誰でも見えるのは、通勤途上の姿だけである。

2003年に村上龍著『13歳のハローワーク』が出版され、

ベストセラーになったが、そこに紹介されている500余りの

仕事の中に「技術者」の項目は見当たらない。

日本では260万人の技術者が働いているというのに。

代わりに「エンジニア」という項目があるものの、

それは「スポーツ・遊び」のジャンルの扱い。このジャンルは、

スポーツ、賭け事、収集など6つの分野に分かれているが、
その中の「メカ・工作が好き」分野にやっと「エンジニア」が

顔を出す。


技術者の存在のあまりの軽さ


試しに、一般の人が技術者をどう認識しているのか、

大人と中高生それぞれにアンケートを実施した。

「技術者またはエンジニアと聞くと、どんな名前が

浮かんできますか?できたら3人まで挙げてください」


と問いかけた結果、

大人の場合は、

本田宗一郎とエジソンが突出して1、2位を占め、

この2人で全記名票の31%を集めた。

3位以下は、ぐっと下がってジェームズ・ワット、

豊田佐吉、ライト兄弟、田中耕一、井深大、
島秀雄、松下幸之助、堀越二郎、中村修二と僅差で

続いている。

10位までで記名票の60%を占めた。

無記名票は18%にのぼった。

比較として、「科学者またはサイエンティストと聞くと、

どんな名前が浮かんできますか?できたら3人まで

挙げてください」

と問いかけると、
アインシュタイン、湯川秀樹、ニュートン、小柴昌俊、

キュリー夫人、ガリレオ、江崎玲於奈、エジソン、

朝永振一郎、ダ・ビンチの順。無記名票は7%だった。


無記名票を見る限り、大人にとって科学者よりも

技術者のほうが、かなり縁遠い存在であるとがうかがえる。


中高生の場合は、エジソンが全記名票の30%を集め

ダントツの1位。

次いで、ライト兄弟、本田宗一郎と続く。この3人で

記名票の半分を占めた。

以下、4位はアインシュタイン、5位は学校の先生、

次いで、ビル・ゲイツ、グラハム・ベル、田中耕一、ニュートン、

アルフレッド・ノーベルと僅差で並ぶ。

この10人の中で、アインシュタインとニュートンは明らかに

科学者である。

中高生の意識の中で、科学と技術が混然としていること

が推測できる。

技術者に限らず広く技術に関わるものと分類できる票は

わずか1%に過ぎない。


また無記名票は37%に達した。


中高生の中で技術者イメージがいかに希薄であるかが

浮き彫りとなった。

その背景には、やはり、仕事が見えないということによる

認知の遮断があるだろう。


技術者の仕事の「見える化」は可能か?


工学系でも、医者に劣らず、魅力的な仕事はいくらでもあるが、

残念ながら、それを全く見せていない。

優れた人材を呼び込もうと思ったら、強い意識で可視化に

取り組まなければならない。

いかに魅力的なロールモデルを提示するかによって人材

誘引の勝負がきまってくるからである。

企業は、新製品の宣伝に、新聞やラジオなどで巨額の広報費

を投じている。

それは明日の売り上げには役立つだろう。

しかし、その製品を作り上げた技術者たちの挑戦に満ちた

仕事ぶりを紹介すれば、それはその企業に人材を呼び込む

未来投資になるのである。

その記憶、間違ってます。

今回は、『学士会会報』No.851から、
千葉大学文学部教授 須藤 昇氏の原稿を
要約、一部構成を変更して、紹介します。



記憶のバブル現象とは何か?


私たちの生活する社会は、記憶が正確であることを

要求する社会である。

入学や入社など、然るべき資格や身分を得ようとすれば、

必ず試験を通過しなければならないが、
そういった類の試験はたいてい物ごとに関する正確な知識を

記憶しているかを問うものである。

私たちの記憶が万全ではないだけに、

確度の極めて高い記憶が貴重であり、そのような記憶の持ち主が
社会的に重要であるというわけである。


実際、2日前の夕食は何を食べたか?とか、

出かけるときに玄関に鍵をかけたか?など、
己の記憶の不確かさを思い知らされることが多々ある。

確実に分かっていたはずの出来事を想起できないか、

誤って想起するような経験は誰もがもつだろう。


このような記憶の錯誤を手がかりに、記憶の仕組みについての

研究が心理学の領域で進められている。

その過程で明らかになってきたことのひとつは、記憶には、時間を

超えて経験を保持するだけではなく、保持している情報を利用して

誤った記憶を生成する働きがあるということだ。


これは、実際の経験を通じて形成される記憶ではないため、

記憶のバブル現象と呼ばれている。


記憶のバブル現象は、経験した出来事と、以前からもっている知識と

の相互作用によって生ずる。



連想が誤った記憶を作り出す


その典型的な例は、簡単な単語リストの記憶実験によって示される。


米国の心理学者ディーズは、1959年に、

睡眠」という単語の連想語である

ベッド、休息、目覚め、疲れた、夢、起きる、夜、食べる、音、うたた寝、

いびき、枕
という単語リストを被験者に学習させ、直後に自由再生テストを行った。


その結果、学習リストに含まれていない単語「睡眠」が誤って再生され

やすいことを示した。


単語の学習中に単語リストと関連の深い単語「睡眠」が生成され、

記憶に保存されたと考えられる。


記憶のバブル現象が生じたのである。

ただし、どのような単語リストでもそのような現象が等しく起こる

わけではない。


例えば、

希望」とその連想語

明るい、未来、すばらしい、夢、将来、理想、燃える、輝き、失望、
望み、美しい、人生、もつ、野心、平和
」の場合と、
」とその連想語

椅子、ノート、本、勉強、固い、学ぶ、四角い、居眠り、木、らくがき、

汚い、鉛筆、スタンド、筆箱」の場合では、

「希望」のほうが記憶のバブル現象が著しく生じるという実験結果がある。



記憶は光景と密接に結びつく


記憶のバブル現象は光景の記憶においても生ずる。


例えば、黒板、リュックサック、机、椅子、時計、くずかごなどを描き

いれた教室のイラストを用意する。


それを10秒間被験者に学習させた後、項目の名称を提示して再認

判断を求めた。


その結果、絵に描かれていた項目の再認率は76%だった。


いっぽう、絵に描かれていなかった項目や教室と関連のない項目が

実際にあったと思い込む誤認率は、それぞれ40%、13%となった。


これはイラストのテーマである「教室」からの連想による記憶の

バブル現象であると考えられる。


イラストの記憶においては、テーマの認知が記憶のバブル現象を

引き起こすのである。


このことを実証するために、空間的な配置を変え、教室というテーマが

判然としないイラストを用いて同様の実験を行ったところ、

絵に描かれていた項目の再認率は58%、絵に描かれていなかった

項目や教室と関連のない項目が実際にあったと思い込む誤認率は、

それぞれ13%、11%となった。


つまり、テーマの認知が妨げられると、記憶のバブル現象は生じないと

考えられるのである。


以上のように、記憶は、経験を保持するだけではなく、経験した出来事と

関連のある事項についても経験したかのように想起する傾向をもつこと

が分かる。


このような記憶のバブル現象を成立させる仕組みとして、

最近、ブレイナードらは要旨的記憶という考え方を提案した。


この考え方によれば、出来事を経験する場合、その出来事に含まれる

事物や発話をほとんどそのまま記憶する逐語的な記憶と、出来事全体

について意味やテーマを保持する要旨的な記憶が形成される。


経験した事物や発話については逐語的な記憶から想起するいっぽうで、

要旨的な記憶に基づく想起によって経験していない事物や発話が生成

されるのである。


この説によれば、要旨的記憶が記憶のバブル現象の原因と考える

ことができる。



間違った記憶を間違っていると認識できない怖さ


記憶のバブル現象は、私たちが経験を統合する認知活動を行うこと

と関係する。


私たちは、経験する多数の出来事から相互に関連のある出来事を

抽出して総合する基本的傾向をもっている。


そのおかげで、物ごとの規則性に気づいたりする。


統合のためには、出来事についての経験を分析し、相互に比較し、

場合により異なる経験を統合する。

こうして、経験した出来事についての記憶が加工され、未経験の

事項が生成される過程で記憶のバブル現象が発生するというわけだ。


もしかしたら、まったく経験のないことを経験したと思い込んでいたり、

経験したことを経験していないと思い込んでいたりするわけだ。


あなたの記憶もひょっとして…

知られざるヨーグルトの歴史

今回は、『学士会会報』No.846より、

(財)日本乳業技術協会常務理事・信州大学名誉教授

細野 明義氏の原稿を要約、一部構成を変えて、紹介します。



「健康増進法」が平成14年に公布された。 


この法律は、「特定保健用食品」や「栄養機能性食品」を

商品として販売するときの表示手続きになどについて定めたもの。


平成16年1月現在、「特定保健食品」として認可されている商品

400品目のうち、その6割以上を乳酸菌やビフィズス菌を用いた

「お腹の調子を整える食品」が占めている。


乳酸菌やビフィズス菌といえば発酵乳、その代表格はヨーグルト。


一般に、食品の機能について語るとき、

効用を強調しすぎたり、逆に不安を扇動したりといった、

科学の領域を踏み外した俗説が闊歩しがちだが、

殊ヨーグルトに限っていえば、常に乳酸菌やビフィズス菌に

関する科学的裏づけとともに、その機能が語られてきた。


その起源から現在にいたる歴史をひも解くことで、

知られざるヨーグルトの姿を明らかにしていこう。



「命の妙薬」ヨーグルトの発見


そもそも「ヨーグルト」という言葉の起源を探ると、ブルガリアに行き着く。

先住民族であるトラキア人が、ヨグ(固い)とルト(乳)を合わせ

ヨーグルト(固くかたまった乳)と呼んだのが、はじめとされる。


その普及に大きな役割を果たしたのが、ロシアの科学者メチニコフ

(1845年~1916年)である。


20世紀初頭、彼はブルガリアを旅したさい、

現地人がブルガリア菌を多量に含有するヨーグルトを常食している

ことを知り、それがこの地方の人たちの長寿の秘訣と考えた。


ヨーグルトに含有されているブルガリア菌を生菌の状態で多量に摂取

すると、大腸で腐敗菌が抑制され、早期の老衰と短命を防止させると

推論したのである。


その推論は、ヨーグルトの価値を「命の妙薬」と過大評価したもの

だったが、彼が免疫に関する研究でノーベル賞を受賞したこともあって、

当時のヨーロッパにヨーグルトを広めるきっかけとなったのである。



日本ではセレブの食べ物だった発酵乳


日本において、最初に乳加工の技術が導入されたのは、中国大陸との

交流がはじまった6世紀半ばのこと。


大伴連狭手彦が戦のためにいった高句麗から大和の国に帰還するさい、

引き具した中国人(呉人)の智聡によって牛乳の加工技術が伝えられた。


『類聚三代格』には、智聡の息子である善那が大化年間に孝徳天皇に

牛乳を献じて和薬使主の姓を賜り、

以後彼の子孫は乳長上という世襲職が与えられ、乳を扱う職をもって

朝廷に仕えたと記されている。


8世紀になると、大宝律令が制定されて、平城京に都が移され、

律令国家が誕生した。


新しい国では、律令が整えられ、医薬局に相当する典薬寮に乳戸

(宮中御用酪農家)を所属させるとともに、別院として乳牛院を置く規定が

定められた。


乳牛院で搾乳された牛乳は宮廷に用意され、

酪や酥、醍醐などが作られた。


これらの中で、「酪」がヨーグルトに似た乳製品であることが

『本草綱目』から推定されている。



幻となった発酵乳を徳川吉宗が復活


しかし、平安朝の没落とともに衰退し、酪もまた幻の発酵乳となった。


その後、日本では牛乳・乳製品は姿を消し、長い歳月が流れた。


発酵乳復活に寄与したのは、8代将軍徳川吉宗である。


彼は、安房嶺岡牧場(千葉県)に白牛を導入し、

チーズ様乳製品「白牛酪」を江戸幕府の官製品として作らせたのだった。


しかし、一般には、乳製品が流通することはなかった。


というのも、この時代の庶民、特に農民は、牛を農耕のための貴重な

財産として大切に飼育し、そこから得られる乳は孔子に与えてしまって

いたのである。


安政年間の黒船来航のさい、

牛乳を飲みたいというハリスの要望に対して、

周りの人たちが牛乳を求めて東奔西走したという話は、

いかにその時代、牛乳が一般的に飲まれていなかったかを物語る。


ようやく庶民の口に入るようになったのは、開国後の慶応2年に

東京で牛乳業者が誕生してからである。


大正元年には「滋養霊品ケフィア」の名前で東京麹町の阪川牛乳店

において日本ではじめてケフィア販売が開始。


ヨーグルトという名称での発酵乳の販売は大正3年、ミツワ石鹸

株式会社の創始者、三輪善兵衛によってはじめられた。


大正6年には、神戸市に株式会社神戸衛生実験所が設立され、

日本で最初の乳酸菌生菌製剤である「ビオフェルミン」が製造・

販売された。

後に商号をビオフェルミン製薬株式会社に変更し、現在にいたって

いる。


さらに、昭和10年には代田稔博士が人腸管から分離した乳酸菌を

用いた、ヨーグルトとはまったく形態の異なる日本独自の乳酸菌飲料

の製造に着手。

昭和13年に「ヤクルト」を商業登録した。


工業的規模ではじめて本格的にヨーグルトが作り出されたのは、

第二次世界大戦後の昭和25年のこと。

明治乳業株式会社が最初である。



プロバイオティクスの誕生


私たちのお腹には約100種類、数にしておおよそ100兆個の

細菌が棲みついている。


細菌の種類は大きく分けて、有用菌種と有害菌種がある。


前者は、食物の消化と吸収を助け、健康維持に役立つもの。

後者は、腐敗物質や発ガン物質、そして毒素を産出し、老化や疾病を

引き起こすもの。


有用菌種の代表的な例が、乳酸菌やビフィズス菌である。

免疫力を強めたり、有害菌の異常繁殖を抑え、様々な病気予防に

貢献している。


最近は「プロバイオティクス」という言葉が広く使われている。


この言葉を確立させたのは、イギリスの微生物生態学者フラー博士。


彼は1989年にプロバイオティクスという言葉を発明、

それを「腸内細菌フローラのバランスを改善することにより、

動物に有益な効果をもたらしている生きた微生物」と定義した。


乳酸菌やビフィズス菌も、プロバイオティクスの一種である。


抗変異原性、腫瘍抑制作用、血中コレステロール低減作用、

高血圧低下作用、病原菌に対する拮抗作用、腸管内有害物質の低下

作用といった腸内環境改善作用が期待され、

様々な研究が広く国内外で行われている。



プロバイオティクスがひらく未来の健康法


20世紀に抗生物質がもたらした恵みは計り知れないほど大きな

ものだった。


しかし、いっぽうで抗生物質に対する耐菌性の出現が新たな問題を

引き起こしている。


これに対し、プロバイオティクスは、抗生物質のように幅広い治療

効果はあまり望めないものの、疾病予防のうえで大きな期待がもた

れている。


21世紀はプロバイオティクスの時代であるとの指摘もなされている。


予防にまさる健康法はない」という見方を根拠にした考え方だと

いえるだろう。





なぜ日本人は骨が好きなのか?

今回は、趣向を変え、

『学士会会報』No.859から

東北大学大学院文学研究科教授 佐藤 弘夫氏の原稿

を要約、一部構成を変更し、紹介します。




日本人は骨を大切にする民族である、といわれる。

毎年お盆になると、故人の遺骨が納まる墓を訪れては、

花と香を手向ける。

第二次世界大戦終了後60年以上が経ついまなお、

戦死者の遺骨の収集は続けられている。


広く世界を見渡せば、インドのように、死体を河に流して

しまうような葬法もまれではないことを考えると、

日本人の骨に対する執着は異常とも思われる。


この、日本人独特の感覚はどのように形成されてきた

のだろうか。


筆者によると、それは決してこの列島上で連綿とはぐく

まれてきたものではない、という。



死んだ人の何を拝むべきか?



たとえば、11世紀ぐらいまでは、天皇家や貴族・高僧など

ごく限られた人々を除いて、墓が営まれることはなかった。


庶民層の死体は特定の葬地に運ばれると、簡単な葬送

儀礼を行なったあと、そのまま放置され、カラスのついばむ

ままにされた。


裕福な人々の間では、土を掘って埋葬し、土饅頭型の

墳墓を造ることも行なわれたが、現代のように定期的に

墓参が行なわれることはなかった。


死後は故人の骨や遺体に関する関心がほとんど失われて

しまったのである。


これに対し、12世紀ごろから新しい葬送儀礼がはじまる。


聖地=霊場に対する納骨の信仰である。


誰かが亡くなったとき、身内の者が火葬骨を袋に入れ首に

かけ、特定の霊場に納めるという風習が確立するのである。


霊場に対する納骨信仰は高野山や比叡山ではじまり、

やがて全国に広がっていった。


しかし、この納骨信仰も、骨への関心は骨を霊場に納める

ときまでで、それ以降骨の行方に関心が払われることは

なかった。


遺体と遺骨に対する態度が大転換を迎えるのは、

戦国時代から江戸時代の前期にかけてのことだった。


広く庶民層にいたるまで、現代まで続く「家」の制度と

観念が確立し、「―家の墓」が一般化していく。


故人の骨が納まる墓を訪れれば、いつでも故人に会える

という現代人につながる感覚が社会に定着していったの

である。


以上のように、古代、中世、近世と人々の死者に対する

態度は大きく変化してきた。


この三者に、死者や霊魂について共通する観念を見出す

ことは難しい。


それは、「日本人の死生観」と総括されてきたこれまでの

通説への根本的な見直しを迫るだろう。


日本人は骨を大切にする民族であるという俗説は、

遺体を放置することが当たり前だった古代には通用しない。


では、それぞれの時代にどのような死生観の変容を見て

取ることができるだろうか。




あの世が大切か? この世が大切か?



まず、古代について当時の史料から読み取れることは、

人間は霊魂と肉体というふたつの構成要素から成り立って

いるという認識である。


肉体に内在している魂が離脱し、再び肉体に帰ることが

不可能になった状態が死を意味すると考えられていた。


残された肉体や骨は魂の抜け殻に過ぎない。


古代において、葬地に運ばれた遺体が放置されたまま

再び顧みられることがなかった背景には、遺体は抜け殻、

モノに過ぎないという観念があったものと考えられる。


それが、12世紀になると、思想や世界観の両面で大きな

変動期を迎える。


仏教の本格的受容と浄土信仰の浸透に伴って、

平安時代後半から此土と隔絶した遠い彼岸世界の観念が

確立。

院政期には、死後に往生すべき他界浄土の観念として

定着する。


古代的な一元的世界観に対する、他界―此土の二元的

世界観の形成である。


多くの人々は、死後極楽に代表される理想の浄土に往生

することを、人生の究極の目標と考えるようになるのである。


こうした世界観の転換に伴い、奥の院に祀られた聖徳太子・

弘法大師などの聖人は、彼岸におわす仏の仮の姿であり、

人を浄土へ導く存在であるとされた。


彼らが統べる空間(霊場)はこの世の浄土であるとともに、

はるかなる彼岸の浄土への入口であり、そこへ足を運び

祈りをささげることによってこそ、他界浄土への往生が可能

であると説かれた。


霊場に骨を納めることによって死者の救済が約束されると

いう観念も、こうした見方の延長線上に成立するものに

他ならないのである。


ここに、死後も一定の期間霊魂はそのまま骨に留まり続け

るという、新たな観念の成立を見て取ることができる。


魂が容易に骨肉から離れた古代とは異なり、中世では骨と

魂との結びつきはより永続的で強固なものとなっている。


ただし、ひとたび霊魂が遠い世界への往生を遂げた暁には、

骨は最早霊魂の依り代ではなく、ただの残骸に過ぎなかった。


霊場に納められた遺骨が継続的な供養の対象にならな

かった背景には、こうした認識があったと推定される。


中世後期から近世初頭にかけて、この列島の思想世界は

再度大きな変動を経験する。


中世前期において、圧倒的なリアリティを有していた

他界浄土の観念が縮小していくのである。


往生の対象としての遠い浄土のイメージが色あせ、

現世こそが唯一の実態であるという見方が広まっていく。


その結果、死者の安穏は遠い浄土への旅立ちではなく、

この世界の内部になる墓地に眠ること、そして子孫の

定期的な来訪と読経の声を聞くことにあると信じられる

ようになった。


死者は遺骨とともに、永遠に墓地に留まり続けるのである。


日本では、死者が遠い他界に去ってしまうことなく、

自分の生まれ育った故郷を見下ろす山の上にいつまでも

留まる―


民俗学の祖として有名な柳田國男の死者の行方に関するよく

知られたこの学説も近世の死生観を表している。




葬式の方法はいろいろ。故人への思いはひと



これまで時代ごとに死生観が変容してきたという事実を踏ま

えると、今後も当然それは変容していくと考えるべきだろう。


すでにその兆しは見えはじめている。


近年注目されている自然葬や樹木葬がそれである。


それらは、高度成長の中で問題化した大規模な墓苑開発に

よる自然破壊や、伝統的な「家」の解体により促された

伝統的な葬法への反省と見直しから生まれてきたものである。


今後もその時代の状況から生まれた思想・世界観を映す

葬法が営まれていくだろう。


しかし、どんなに葬法が変わろうとも、変わらないものが

ひとうだけある。


それは、縁者の死を悲しみ故人を偲ぶ人々の心である。

美食時代の落とし穴

今回は、『学士会会報』No.858から、

共立女子大学名誉教授 泉谷 希光氏の原稿を

一部構成を変えて、ご紹介します。



寿命は延びる。出生率は下がる



日本人の平均寿命は、平成12年以降、インフルエンザが

流行した平成17年を除いて、男女とも延び続けている。


しかし、そのいっぽうで、不妊症の増加など生命の再生産能力に

関わる問題が顕著に見られるようになってきた。


山梨県のある村で、3世代の婦人に対して母乳分泌の可否や

多少を調査したところ、

明治中期生まれの既婚女性の妊娠率はほぼ100%で、

明治後期生まれと大正生まれはいずれも90%以上

子供を母乳で育てた婦人の割合も90%以上を示した。

それが、昭和生まれになると、妊娠率は1歳若くなるにつれ、

数%ずつ低下母乳分泌ができる婦人の割合にいたっては、

50%以下という状況となった。


長寿化のいっぽうで進行するこのような傾向の背景には、

一億総美食時代」という言葉に象徴される美食傾向がある、

と筆者は説く。


ふたつの現象の相関関係が仮説として浮かび上がったのは、

中米の原住民(インドヘナ)の食習慣についてのある情報から

だった。


インドヘナはほとんど例外なく1年365日朝昼晩の食事が

同じであるというのだ。



とうもろこしだけで元気、の謎


彼らの90%以上がとうもろこし(トルテイリャ)と主食とし、

他はわずかながら煮豆(フリフォーレス)、サルサ

(野菜サラダのようなもの)、イナゴのようなバッタ、

雑草の新芽、サボテンの果肉などを食べていた。


とうもろこしから作るトルテイリャから摂取されるカロリーと

たんぱく質の量は、インデヘナのほとんどが栄養失調と

それに伴う疾患で生きていけない状況になると思われる

水準だった。


ところが、実際には、多少の貧血が見られる程度で、

近代社会で見られるような疾患は彼らの間ではほと

んど見られなかった。しかも、乳児を10カ月以上

母乳で育てられない婦人、妊娠できない婦人がともに

皆無だったのだ。


一般にとうもろこしのみからアミノ酸を摂取している

者は、ぺラグラという、栄養欠陥から発生する疾病を

引き起こし、死に至ると言われている。


しかし、現地ではペラグラに起因する死はまったく

見られなかった。ひょっとして、インデヘナが食べて

いるとうもろこしは、我々が食べているとうもろこし

とは成分が異なるのではないか……


分析結果は筆者の予想通り、両者の間にはアミノ酸

組成おいて明らかな違いが認められたのである。



元気の差は、完熟作物と未熟作物の違い


すべての植物は、新しい生命力をもった種を実らせる。

このような生命の再生産力をもった植物を完熟作物

いうならば、まだ生命の再生産力のない植物を未熟

作物という。


インデヘナが食べているのは前者、日本をはじめ

一般に先進国といわれる国々で好まれるのは

後者である。


日本人が好んで食べるとうもろこしも、

アメリカ人がよく食べるカットコーンも、未熟作物

からなる未熟食品だ。


インデヘナは未熟なとうもろこしは甘くて美味しいが、

それを食べても、働くのに必要な力が湧いてこないと、

口をそろえて言う。


インデヘナが食べるとうもろこしは完熟であるだけ

ではなく、トルテイリャのようにとうもろこしの実の

すべてを食べ、よく吸収できるように調理されて

いる。



たんぱく質がからだのバランスを乱す


すべての生命にとってたんぱく質とその関連物質は

生命の本体といっても過言ではない。

人間は、たんぱく質を摂取すると、アミノ酸レベルに

まで分解し、自身に適応できるたんぱく質に作り変え、

不要のものを排泄する。


こうして、からだのもつたんぱく質の構成を守っている。


従って、多種類の食品からたんぱく質を摂取すると、

人間のからだにとっていわば異物をたくさん摂取して

いることになる。


日本人の食品摂取数は3日間に72品目と、

インデヘナに比べ非常に多い。

そのぶん、多量の異物を体内に摂取していることになる。


一般に植物では、栄養条件を過剰にしていくと、

植物体は大きくなるが、花が咲かなくなったり、実が

ならなくなったりする。同様のことが動物でもいえる。

よい栄養をということで、窒素化合物(たんぱく質)を

多種多様に摂取すると、動物の再生産能力を低下

させると考えられている。


いつも同じたんぱく質を食べているならば、からだは

ペプチドを完全にアミノ酸に分解するので、からだに

悪い影響を及ぼすことはないが、多種類のたんぱく質を

たくさん摂取すると、ペプチドの量が過剰となり、

ペプチドホルモンのような余分な物質が生み出され、

生体のバランスが崩れる。


このため、いい栄養をとっているにも関わらず母乳が

でなくなったり、妊娠に関わるホルモンに異常が見られ

たりといったことが起こる。


今日のように種々のたんぱく質を摂取し、

栄養学的には優れた食事をしていても、

人間の本質的な昨日を保持するためには

決してよい栄養条件ではないのだ。

漢方は口に苦し!?

今回は、『学士会会報』No.872から

薬石花房 幸福薬局代表 幸井 俊高氏の原稿を

要点し、紹介します。




3時間待ちの3分診療―

いまの医療現場を言い表す言葉である。


ろくに話をする時間がない…

どれだけ自分がつらいのか伝える機会がない…


医療現場で患者の話をろくに聞かない背景には、医療不足

などの物理的要因のほかに、検査重視の基本方針がある。

すべて検査結果に基づいて判断するので、患者の直訴を

聞かない。

いくら頭が痛くても、検査で異常が見つからなければ、

「あなたは健康」ということになってしまう。

人体をまるで精密機械のごとく扱う、いわば車検のような

ものである。


漢方には「病気ではなく病人を治す」という言葉がある。

胃が痛いときに胃だけを調べても、

頭が痛いときに頭だけを調べても、

十分とはいえないという考え方である。


そこには、生まれつき人が持っている自然治癒力や免疫力、

いわば「生命力」を高めることにより、

全体としてよい方向を目指すという古代哲学が伏流

している。


漢方のそうした哲学を端的に表わす言葉に、


治病求本

心身一如

調節陰陽

扶正去邪


がある。


それぞれの言葉の持つ意味を具体的な症例とともに

見てみたい。



治病求本 ―アレルギーを治すには?


34歳の女性の話。

小さいことからアトピー性皮膚炎に悩まされてきた。

当時は頭に皮膚炎が広がり、赤くただれていた。

小学生くらいから少しよくなったものの、社会人になってから

再び悪化し、首やひじ、手首、膝の裏などにも皮膚炎が

広がり、かゆみもひどく、乾燥して皮膚が赤黒く堅くなって

いた。皮膚科で処方される外用薬を塗ると、かゆみなどの

症状は緩和されるが、よくなったと思って薬をやめると皮膚炎

は再燃する、そんなことを繰り返していた。


現代の医療の本流である西洋医学では、対症療法を主体と

した治療をすすめる。

アトピー性皮膚炎に対しては炎症を抑える薬が処方され、

花粉症に対してはアレルギー反応を抑える薬が処方される。

それらの薬を使えば症状は緩和される。

しかし、それは一時的な改善に過ぎない。

アレルギー疾患の根本にあるのは、アレルギー体質という

体質である。

この体質が改善されない限り、対症療法の薬をやめると症状

が再燃するのは理の当然である。


漢方は、このアレルギー体質そのものの改善をすすめる。

病気を本質から改善に導く、それが「治病求本」という治療

原則である。

先の女性も半年間は西洋薬と漢方薬を併用し、そのあと

約一年間漢方薬を服用して根本治療を果たした。


心身一如 ―心の病をどう治す?


45歳の男性。

心療内科でうつ病と診断され、会社を休職していた。

一年前の人事異動で重責を担うようになり、そこから気分が

すぐれず、からだがだるく、集中力が低下し、大好きだった

ゴルフも楽しくなくなった。新聞を読むのもつらくなった。

動機や息切れも起こるようになり、会社の診療所に相談に

行き、抗うつ剤を飲むようになった。

抗うつ剤を服用していると症状は軽くなり、気分的にも少し

落ち着くような気もした。しかし、頭が働かず、考えがまとま

らず、どうしても出社できずに遅刻するような日もでるように

なり、相談のうえ休職するようになった。


西洋医学では心と肉体とを別々に考える心身二元論が基礎

にある。

うつ病は脳内神経伝達物質が大きく関わっている、という

ことから、うつ病には抗うつ剤で神経伝達物質量を人工的に

増やすという対症法がとられる。


漢方では、心と肉体は切っても切れない関係にあると

とらえてきた。これを、「心身一如という。

うつ病も単に神経伝達物質の問題とは限定せず、

五臓六腑という人体のバランスの乱れから生じたものと

とらえ、そのバランスを整えることにより体調を回復させて

いく。

自律神経失調症や不眠症、不安神経症、パニック障害

なども漢方薬で心身のバランスを調性することで改善して

いく。


先の男性も、漢方薬を半年ほど服用する間に無事会社に

復帰。抗うつ剤も必要なくなり、元気に仕事をしている。



調節陰陽 ―血流がとどこおるとどうなるか?


40歳の女性。

生理が重く、鎮痛剤でも抑えきれないほどの激痛に毎月

おそわれていた。

婦人科にいくと、子宮筋腫と子宮内膜症と診断された。

筋腫はセンチ以上あり、月経過多と貧血もあったので、

手術をすすめられたが、手術は受けたくなかった。


漢方は、からだ全体のバランスを重視する。

根底に流れるのは、中国古代哲学の陰陽五行説である。

体内において陰陽のバランスや五臓のバランスを整え、

安定させることにより、病気を治し、健康の増進を図る。


気血のバランスも陰陽のバランスのひとつ。

気とは、生命やエネルギーのことで、陽。

血とは、からだを潤す栄養のことで、陰。

気は血の帥、血は気の母」などという。

陰陽が互いに助け合ってこそ、健康が維持できる。

これが、「調節陰陽」である。


子宮筋腫や子宮内膜症の場合、「血」の流れの停滞

と関連が深い。したがって、気血、つまり陰陽のバランス

が不均衡な状態にある。そこで漢方薬で「血」の流れを

円滑にする。


先の女性も筋腫の手術をせずにすみ、

内膜症による激痛も緩和された。



正去邪 ―がんに漢方は有効か?


69歳の男性。

3年前に大腸がんの手術を受けた。

それまで病気とはまったく縁のなかった彼にとって、

それはショックなことだった。

手術は成功し、持ち前の体力と気力で予後も順調だった。

ところが、その後の定期健診で骨盤への転移が見つかった。

さっそく抗がん剤治療を始めたところ、副作用が強く、

中断せざるをえなくなった。


がんの場合、重要なのは免疫力を高めることである。

漢方は、免疫力や自然治癒力を高める。

人が潜在的に持つ生命力を高め、病邪の排除に作用する。

これが、「扶正去邪」である。正とは正気、人が生きるために

必要なものや機能のことである。

がんに対しては懸命に「扶正」し、病巣の拡大や転移を止め、

手術などのダメージからの回復を促進し、抗がん剤治療など

の副作用の軽減にも役立つ。


先の男性も、漢方薬の服用を始めて2カ月後の検診で腫瘍

マーカー値の劇的な低下が見られ、気がつけば骨盤の痛みも

なくなっていた。

翌月の検査では、転移巣の消失も見られた。



漢方はオーダーメード


以上が、漢方の効能である。

しかし、西洋医学がうつ病ならばセロトニンで対症するといった

具合に、漢方で、かぜに葛根湯というふうに単純にはいかない。


漢方には「同病異治」という考え方がある。

同じ病気でも、その人の体質や病態が違えば、治療法も異なる

という意味である。

医師が患者と話し合いながら、その患者に合った漢方薬を

オーダーメードする。時間はかかるが、これ以上確実な方法は

ない。

王道に近道はないのである。



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