つとむのブログ

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私『いのうえつとむ』がフリージャンルで思ったことを気まぐれに思ったように書きます!

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生きたいのに生きることができなかった人がいる

 

生きたいのに死を選んだ人がいる

 

生きたくないのに生きている人がいる

 

命とはそういうとてつもなくははかないもの 

 

そのはかない命が

 

昨今大事にするふりしてないがしろにされている。

 

このコロナ渦のなか

 

人の心の世知辛さが

 

ウイルスよりも猛威を振るう

 

皆自分を守ろうとして一体何をやっているのかもわからず

 

偉い人たちは世の中をよくしようと

 

市民のためにといいながら

 

市民の本当の気持ちもわからず

 

自分たちの自己満足の中で踊っている

 

その踊りを冷ややかに見る人間を

 

民意とはとらず悪意ととり

 

自らを絶賛する者たち一部の人間と

 

そう、まるでノアの箱舟の話。

 

一部の選ばれしものたちのための政治。

 

それを否定はしない

 

しかし、それを正義などというのにはあまりにもおこがましい

 

信じる者だけ救われる

 

ほとんどそういう宗教

 

指導者たちの根本的な誤りに市民が気づかなければ

 

世の中は絶対に変わらない

 

視聴者のためとか言いながら、芸能人のスキャンダルなどというどうでもよいもので人民をひきつけ

 

堕落させていくメディア

 

世の中のためというならばスキャンダルなんかより大事なものは億とある

 

そんなバカ者どもが変わることを見せぬことであきれ果てた市民は

 

インターネットに終結する

 

しかしそこで人々はまた、仮面をかぶりながら誹謗中傷を飛びかわせ

 

人の未来を、平和を、幸せを、命を奪い続けている

 

人間が変えなきゃならないもの、気づかなきゃならないものは心。

 

見えない心を考えられる力。

 

人は人を生きすことも殺すこともできる。

 

自分の大事なものを思い、そして自分以外にもそういう人がいるのだと

 

軽はずみなことをする前に、少し考えてほしい。

 

命とははかないもので、はかないからこその人生。

 

 

 

 

 

今、巷で検察庁の問題でざわざわしているので個人的意見。
まず大方のお人好しな日本市民でも昨今のメディアのいい加減さには、肌で感じていると思います。
テレビや新聞その他もろもろ、いい加減なものばかりで
すべてはそのシーンの一部の人間に忖度したまったく公平でないシステムの上に構築されているということ。
ほとんどの一般市民は日々の生活に向き合っているので、生活に関係のない他人の起こす何かなんて報道される内容の通りに受け取る。
テレビドラマを見るような感覚。
わかりやすく言うと、テレビドラマはフィクションであったり史実ですから内容を疑う作業は必要がないですよね?
ただ、楽しむだけの娯楽ですから。
しかし、ニュースや記事に出てくる事件って実際に起こっていることの見解であって、その報道内容はメディアが作ったもので必ずしも事実なかったりする。
しかし、市民の反応はどうでしょうか?
大概の人がテレビニュースで、あたかも有罪と決まったような被告の情報、その時点で皆『悪い奴』って認識してると思います。
けど、それは報道が、報道の立場から作り上げるニュースであって、フェイスブックなんかに出てくる出どころのわからないニュースと全くと言って変わりない不確定なものです。
ドラマなら1話があれば最終話まで順々放送します。
しかし、ニュースの殆どは、1話~せいぜい5話くらいまで放送すると打ち切って違うニュースの1話にとって変わる。
そしてたまに新聞で最終話のけっかだけちょこっと載るだけでテレビに至っては結果はほとんど放送しない。
視聴率とるのに全く必要のないものだから。
僕はテレビや新聞は悪い意味でなく別にそういう媒体だと思っています。
それ単体は各々新聞社やテレビ局という民間で国の何かではないから。
一番の問題はそのただの一つの民間媒体が発信することを=真実
みたいな価値観で多くの国民がいていること。
これは本当にひどいと思います。
一方的に一記者に殴られることが正義であれば、それは実は本当に恐ろしいことでそ記者の価値観がものすごい数の人々に知識として流布されてしまう。
これからの時代義務教育課程で、メディアというものは、取材等により事実をそのの各々の社風や記者の思想や価値観、知識により着色されて伝えられるもので、見聞きしたものは自らインターネット等でしらべたりして深く探ってから頭に自分なりの見解をとどめることが重要だと個人的に思いますし、物心つけば自分の子供にはそういうことを教えたいと思う。
そしてそのメディアと司法の関係がズブズブの関係だということが大きく報道された。
これが何を意味するか? いつはおれはとんでもないことである。
検事長が新聞記者と賭け麻雀、それ自体も、問題だが、この図式から想像できる
記者からのリークによって司法が動かされている危険性。
そもそも検事と記者が職務外で麻雀を楽しむようなことがまかり通っていることの危険性です。
このYOUTUBEOUTUBEにあるように人の密告から事件が始まり、司法が民間からYOUTUBEOUTUBEにあるように人の密告から事件が始まり、司法が民間の甲やYOUTUBEOUTUBEにあるように人の密告から事件が始まり、司法が民間からYOUTUBEOUTUBEにあるように人の密告から事件が始まり、司法が民間の甲や乙のどちらかに偏った判断がなされていくということ。
メディアがイメージを作り司法がその流れにのって固めていくリーク元と検察とメディアの合わせ技。
こんなものに一個人が立ち向かえるわけがない。
それを公平と思えないことと、世間が思ってるイメージとかけ離れた事実があるからかれは亡命したのでしょう。
検察庁定年延長法案に反対みたいな野党とそのサポーターの人に個人的に言いたいのは、それを問題とすることは別に考えの一つですから、僕の個人的見解では受け入れられないもののそういう考えがあることは当たり前だと思ってはいます。
しかし、そういう『正義』を重んじるのであれば、検察という司法一部が独立性を持ったり、傍から干渉できないことがどれほど理不尽で危険でダークか、そういうところを徹底的に声を上げてほしい。
政権が悪だから政権の陰謀だ!みたいなんじゃなく、もうひと踏み込みしてほしい。
特に芸能人の方々は影響力があるのだからそういう権力にちゃんと対峙してほしい。
同じ仲間である芸能人が理不尽にマスコミの餌食になってリークされて罪人とされていく様を一番見てきてるはずです。
勇気ある芸能人の方、正義感というものがあるなら
理不尽な国家権力に対する楔になってほしいと願います。
正義というものが悪だったり、テレビドラマで皆さんもみてるでしょう?
その感覚をフィクションとして持たず常に疑心すること、その国民一人一人の意識が問題ある正義を変えていけるものだと思います。
#報道 #堀江貴文 #カルロスゴーン #国家権力 #正義 #当たり前を当たり前と思わない
僕にとっての平成

おおかた15歳〜44歳の間。

多分、人生の中の大方の出来事がこの中に詰まってます。

本当に色んなことがありました。

色んなものを手に入れて、手に入れたものよりもたくさんのものを失って。

楽しいより苦しいのほうが

嬉しいより悲しいのほうが

いっぱいあったと思います。

大事なひともいっぱい亡くしました。

自分の心さえ何度も亡くしました。

それでも今ここに元気に前を向いて立っていられるのは、僕の味方でいてくれたすべての人たちのおかげです。

44歳、平成最後、令和最初の今

家族や仲間に囲まれて、本当に幸せだなって、思います。

あの、どうしようもなかった僕が。

今は自信をもって自分の足で立っていられるのは。

僕を大事に思ってくれた人たちのおかげ。

色々あった平成の結果。

そして、これからの令和の時代。

僕がやるべきことは、今まで僕が受けてきた嬉しいこと、楽しいことを次の時代の主役たちに快く惜しみなく与えていくことだと思います。

与えるためにはまだまだ頑張らないと駄目なので。

令和で僕は大成しないと駄目だと思っています。

今まで期待してくれたいろんな人に。

ちゃんと目に見えるように期待に応える。

そんな時代にしたいと思います。