8/31に、NGOの上司のひとりが心臓発作で突然亡くなりました。

四連休明けの悲しい出来事。急過ぎて実感が湧きませんでした。

今回は、出来れば体験したくなかった、フィリピンのお葬式について書こうと思います。

まず9/3のお通夜でびっくりしたのは、みんなトランプをしていたこと。しかもコインを賭けながら時々大爆笑…。トランプをするのが伝統だそうで、四つくらいありました。

また、白か黒のドレスで来いといわれたのでモールで喪服を買って行ったのですが、みんな色とりどりのポロシャツ…。

日本で誰か死んだ時もこんな感じ?といわれたので、Totally different!!!と言ってしまいました…。

そして二週間ほど経った9/10~11に泊りがけでお葬式。

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夜に80人近く集まって、神父さんが色々と儀式をしたあと(儀式中でも構わずピーナッツや夜ごはんを食べる人々。)聖歌を歌い、追悼ビデオを流しながらひとりずつ別れの言葉。

ここでもジョーク炸裂なのか、みんな大爆笑。

そしてその後はカラオケ大会の様になり、夜通し歌い続ける。

亡くなった上司の息子や娘など16~23歳の人たちとお喋りしていたのですが、そこでも笑いが絶えない。

『俺のお父さん死んじゃったぜ、イェーッ!!!』ってウォッカを一気飲みする姿をみて複雑な気分でした。

そして朝、霊柩車に棺を運び入れて教会に行き、聖歌を歌ったり聖水を棺に振りかけてお墓に向かう。

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霊柩車。

火葬とかはせず、棺をそのままお墓の空きスペースに入れて、お花を入れてコンクリートで蓋をします。

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死化粧も日本とは違ってガチガチに塗りたくった感じなので、まるで蝋人形のよう。

この時、はじめて遺族が泣いているのをみました。

どんな宗教を信じていても、たとえそれが死後の世界は幸せだと説くものであっても、

やっぱり目の前から親しい人が急にいなくなる喪失感は埋めることは出来ない。

幸せは数字で正確に測れないけど

自分が死んだときに、今まで会った人達が少しでも思い返して

寂しく感じてくれたら、幸せなんじゃないかなぁ。

夏の終わりの切なさが、寂しさに拍車をかけています。

Kuya John, how can I describe my feelings...I spent great days with you. You took me out some communities, also Mindoro island. It's too early to pass away, but I could make great memories with you. I believe you still alive in our heart. Salamat po.

ではヒヨコ


ケソン市の上の方にパヤタスという大きなゴミ処理場があります。

ゴミが自然発火することからスモーキーマウンテンと呼ばれていると知っている方も多いと思いますが、本当に高い山でした。

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麓の街から撮りました。

入り口には検問があり、ゴミを拾って生活をしている人(スカベンジャー)以外は現地の人でも中に入ることは出来ません。


パヤタスという地域は9割以上が不法居住地区で、住民のほとんどが農村部(ミンドロ島やイロイロなど)の貧困に苦しみマニラへ機会を求めて出てきた人々です。


希望をもって出てきたのに、ゴミやメタンガスの脅威の中で暮らしている現実を彼らはどう考えているのでしょうか…。


そして、2000年に巨大な台風がこの地域を襲いました。

ゴミ山の一部が崩壊し、ゴミの波が人々のテントを襲ったため多くの人が生き埋めになり、今もゴミの下には多くの行方不明者が眠っているそうです。

人の命がゴミに飲み込まれたなんて、まだ現実だと思えません。


フィリピンの多くの人はその辺にポイ捨てするし、ゴミの分別はしないし、汚いのも臭いのも彼らの自己責任だと思っていました。

じゃあ、日本での私の態度はどうだろうか。

ペットボトルのラベルを剥がさないで捨てることもあるし、ゴミ箱に捨てたあとそのゴミがどうなるのか知らない。

多くのゴミがリサイクルされてノートやランドセルに生まれ変わってると信じて、埋め立て地には目を向けていない。

埋め立て地の液状化現象は、今回の震災でも多くの方が恐怖を感じたと思います。

夢の島や夢の国の下にあるのは、何十年も前に捨てたゴミだったりするのかな。

フィリピンにも埋め立て地はあるけれど、ゴミを上に積むか下に埋めるかで、そんなに違いがあるとは思えません。

それでも、今日も何かを買ってゴミを出しちゃうんだよね。
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ではヒヨコ

遅くなりましたが、こないだの続き、そして補足を。

前回の記事で言及した海岸の不法居住地区。

潮流や津波、台風で甚大な被害を受けるとのことで、NGOが安全な場所への引越しを説得中です。

Tabukという所なのですが、Tabuk住民の9割が漁師の家庭だそう。

引越したら仕事はどうするの?
と質問したところ、

トライシクル(バイクの横に人が乗るカゴがついてるような乗り物)で通勤できる距離にある、Sablayanという所の土地をローンで購入して引越すように提案しているそう。

先輩からコメント欄に質問があったのですが、住民とは既に良い関係を築いており書類もそろってローン申請しているので、12月までに引っ越しをするとのことでした!

なのでどうやってその関係を築いて行ったか、失敗したコミュニティもあるのでその原因は何だったかをファイナルレポートの課題にしたいと思っています。

つまらない記事でごめんなさい…
ではヒヨコ