以前、草なぎ剛主演の『僕の生きる道』というドラマが話題になりました。その番組紹介は、こうでした。
人間は、生まれた時から余命何年かの人生を生きている。
でも、そのことは忘れて過ごしていると思う。
まるで永遠の時間があるかのように。
死ぬ、ということ。どうしてタブーなのだろう。
明日、来年、自分がここにいないかもしれない。
もしそんな事実を叩き付けられたら、何が変わるだろうか?
何が大切になるだろうか?
このドラマが挑戦するテーマは、死。
Have a good die.
草なぎ剛演じる生物の教師、中村秀雄は余命1年を宣告されます。
普通の幸せさえあればいい、こまごまとした問題はあるだろうけれど、大きな問題さえなければOKといったドライな生き方をしていました。
しかし、どんなに「普通の生活」にあこがれていても、そうはいきません。なぜなら「死」という大問題に、遅かれ早かれ、例外なく、100%対面させられるからです。
このことをビートたけし(北野武)は、次のように警告しています。自身が、原付で大事故にあった時の赤裸々な告白を聞いてみましょう。
◆人生観の訂正 死にかけた、たけしの言葉
たけしは、「人生観の訂正」と題し、元気な時には考えもしなかったことを、こうつづっています。
人生って、生まれながらにして死ぬ時のその対応の仕方をいかにして模索していくかが人生のような気がする。
息抜きに色んなことをしてるだけであって、基本ラインは死ぬことに向かって一直線に突っ走ってて、それに人間はどう対応するんだろうかってだけのような気もする。(中略)
(死は)頭のいいのからバカから、金持ちから貧乏人から、人間全部に対しての問題提起なんだ。そうすると、バカでもなんでも対応せざるを得ない。
では人生観は、一体どのように訂正されたのでしょうか。
今度の事故というのは凄いショックだったね。物理的なショックのみならず、精神的ショックがマグニチュード8という感じだった。
死というものの凄さというのは、自分の人生振り返って何をしたとか何をしてないとかいうのは全然関係ない。そんなことはビタ一文かすんないんだよ。
ふだん元気な時は、人と争ってまで求めていたものが、臨終にはビタ一文
役に立たなくなってしまうのです。
死を前にすればお金も地位も名声も、〝それがどうした〟の七文字によって霧散してしまうでしょう。
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