イルジメ〔一枝梅〕 公式応援ブログ
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「イルジメ」ブログ後日談

皆さん、アンニ・ヨン。

最終回を迎えたはずのこのブログ、しつこくも、もう一度だけアップさせてください。

最後に、以下のようなメールを、ポニーキャニオンの担当さんから頂きました。

ちょっと感動したので、勝手に載せさせていただきます。


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イルジメのジャケットデザインの打ち合わせをしたことや、
字幕・吹替えのチェックや、映像のチェックや・・・
未熟でありながら、「イルジメ」の仕事はすごく楽しくいきいきとやっておりました。
実は、最後の入校を終えてからは、若干燃え尽き症候群状態でした。

たいしたことしていないのに;
作品に愛情を持つってことを、経験させてくれた大事な作品でした。


イルジメはまだまだ全国各地でかかります!まだ終わっておりません!!
密かにイルジメを応援してくださいー!
そして今後とも私どもを宜しくお願いいたします…!!!!

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担当さん、断りなく載せてごめんなさい!

多くの人に愛された「イルジメ」。関わる人に、愛を伝染させる「イルジメ」。

愛されていることが分かると自分まで嬉しくなってしまう。

というわけで、まだまだ全国各地で放送があるようです。

ぜひぜひ、皆さん、地元で布教活動に励んでください。

このブログもしばらくは公開されていますので、新たな「イルジメ」視聴者にご案内頂ければと思います。

では、今度こそ、最後になります。

アンニ・ヨン~!!

「イルジメ」時代背景と雑感その2

アンニ・ヨン・ハセヨン。

さてさて、第1920話の補足所感を最後に語らせてください。しかし、今、このラスト2話を吹き替えと字幕オリジナル音声版とで見直してみて、えらく発見があるんですよ。何度も言いますが、わたくし、仕事の都合もあり、リアルタイム視聴を含め、おそらく数十回見ていると思います。でも!まだ発見がある。なんだか、全話解説し直したい気分です(苦笑)。

が、そこはキリがないので、ラストの2話にとどめておくことにします。

さ、では、始めましょう。


19話。ウンチェのもとから戻ったヨンはポンスンを探しますが、彼女はすでにヨンのため身代わりとなって追われておりました。ヨンはちゃんとポンスンのもとに帰ってきたんですね。彼女に言われたように、「心臓を取り戻してきた」のかもしれない。

が、人生は残酷です。ヨンはポンスンもまたセドル同様、自分のために犠牲となろうとしていることを知ります。必死でポンスンを探すも、見つけたときはすでに遅しで、ヨンは彼女とコンガルが共に崖から身を落とす瞬間を目にしてしまう。この瞬間です!!!なんと、ヨンがポンスンの死を目にする瞬間の表情は、父ウォノの死を目にしたときと、姉ヨニの死を目にした瞬間と、まるで同じ表情なのです!

大事な人が、自分のかわりに自分の目の前で殺されていく瞬間。何もできず、そこで息を殺して見ているしかないヨン。突然のことで呆然とし、その後に襲われる自分を責める気持ち。決してヨンのせいではないのです。むしろ残される者の悲しみと罪悪感という大きな大きな傷を負うわけです。そういった瞬間の感情を、決してぶれることなく、一貫して演じているジュンギにあらためて関心&感動してしまうのです。

そうだ!書き忘れていたことがあります。

ヨンの変化には、大切な人たちの死が必ずきっかけ・導因となっています。

父ウォノの死が、記憶喪失を引き起こし、ギョムをヨンにし、

また同時に、それを思い出したことが復讐のスタートとなり、

姉ヨニの死が、復讐を具体的な行動(=盗賊として真犯人を捜し始める)へと移させ

ヤンスンの死が、自分の復讐のためではなく、民のために行動する真の義賊という道を歩ませ、

セドルの死が、再び復讐への道を決意させ、

ポンスンの死(誤解だったが)が、仲間との連携という道を広げる。

ひとつひとつの死に意味があり、ヨンを成長させているのです。ただ単に、視聴者を泣かせるために「死」があるわけじゃないのです! それぞれの死に絶望し、自分を責め、落ち込み、それでもなお立ち上がり、前へ進んでいく。だからこそ、ヨンが愛おしく思えるのです。


しかし、セドルの次はポンスンと、ヨンには打撃が続くわけですが、落ち込むヨンをフンギョンは叱咤します。イルジメ=民の英雄は、個人的悲しみに心揺れ動くヒマも許されないのです。何度も言いますが、スターと言われる人々、集団を率いる人々には、孤独が付きまといます。自分でありながら、自分の悲しみに暮れることも許されないのです。いついかなるときも、笑顔で、成すべき事を成さねばなりません。その悲しみを知りながら、叱咤するフンギョンは素晴らしき友人であり、同志と言えますね。こういう仲間が常にいたからこそ、ヨンはどんなに辛い状況でも、明るくいられたのかもしれません。そして、そういう仲間がそばにいてくれるほど、ヨン自身に人を引きつける力があったのでしょう。


そして、ヨンとウンチェの別れのシーンです。父ピョン・シクの左遷に伴い、済州島に行ってしまうウンチェとの最後の挨拶の場面は、なんとシワンの計らいでなされるのです。今まで、ヨンとウンチェのことばかり見て、うっかり流していましたが、ここでのシワンはなかなか生かしています。というか、後半のシワンは本当にいい!ヨンのことが大好きなんですね。で、ヨンがウンチェのことを好きだと察し、人肌脱ごうとして、ウンチェに会わせてやるわけです。シワンの計らいがなければ、このシーンはなかったわけです。う~ん、シワン、ナイスサポート!「イルジメ」というドラマにあたたかさを感じてしまうのは、こういう人の小さな優しさ・気遣いの部分なのでしょう。

またこのシーン、イルジメとウンチェの最後のシーンに映像を被せているのが見事です。2人が並ぶ画面の構図、互いに振り返る瞬間の対比、イルジメ×ウンチェ、ヨン×ウンチェの関係が、表裏一体になっているのが上手く表現されている。20話で済州島から帰ってきたウンチェが梅の花を見上げ、ヨンが話してくれたウグイスと梅にまつわる話を回想するシーンが出てきますが、ウンチェの心にもヨンは引っかかっているのですね。

そして、最後の復讐のため(またデシクを助けるため)、宮殿を狙うヨンのアジトを訪ねてくるタンです。アジトまでわざわざやってきて(ヨンがイルジメであることがばれないように、ですね)、新しく仕立てた「イルジメ衣装」を手渡します。この時のセリフが、「イルジメがボロボロの服では、モニャンパジゲ(かっこわるいわ)」。

出ました!ヨンの口癖である「モニャンパジゲ(ダッサイ)」を、タンが使うんですよ!あのタンが!生きて戻ってくるように告げたこと以上に、私はその「モニャンパジゲ」にタンのヨンへの歩み寄り、愛情を感じ、えらく感動してしまったのであります。

さらに、もう1人の母、ハン夫人とヨン(ギョム)の再会です。清の使臣になりすまし、宮殿に侵入するヨンは、ここで母に気づいても背を向けるしかありません。このシーンのハン夫人の表情がまた…第2話で、謀反者の家族として連行されるハン夫人がギョムに微笑みながら「石を投げるよう」目で訴えるシーンに重なります。

群集の中でギョムの母であるハン夫人にタンが気づくシーンがありますが、この2人の構図はポンスンとウンチェにも似ていますよねぇ。こういう対比が本当にたくさん出てきます。見るたびに、あ!ここ重なってる!なんて、発見しちゃうのが面白い。


そして、ラスト。仁祖と向き合ったイルジメが仮面を外す場面です。イルジメは初めて、敵対する人間に自分の顔を見せるわけです。これまで決して顔を明かさなかったイルジメが、最後の敵にして真の仇、仁祖には顔を明かすのです。これは、自分の命を賭けた闘いだからですね。その覚悟が、仮面を脱いだヨンの表情から感じ取れます。

ヨンの表情で大好きなシーンはたくさんありますが、このシーンのヨンのかっこよさも群を抜いていますねぇ。このときの凛とした表情、怒りや悲しみや様々な思いが噴出しそうなのを、ぐっと抑えているヨンの表情に、「かっこえ~~」とメモっている自分がおりました。メモするまでもないことですが、興奮して走り書きした跡がノートに残っておりました(笑)。


終盤は、ジュンギが体調を崩し、高熱で扁桃腺が腫れる中、撮影を続投していたため、ひどい風邪声になっており、見にくいという声もあったようです。確かに、こちらまで心配になるような声で、見ていてまた別な意味で切なくなりますが、何度も見ていると何もかもしっくり受け入れられるようになる。そんな声は関係なく、ただひたすら、ヨンの思いに引き込まれていく。なんだか不思議な力を持ったドラマです。


結末の解釈については、前前回書いたような感じですが、その前に、サチョンに斬られたヨンが梅の花咲く庭に横になったまま、過去を回想するシーンがあります。ここで彼の頭に浮かぶ、ギョム時代の家族の映像と、ヨン時代の家族の映像は、とても似ているのです。つまり、2つとも本当の家族だったんですね。

それに、このシーンで、ヨンは目を閉じることはありません!!そう、亡くなっていないのは、そういうところでも分かりますね。


最後に、コメントで質問にあった、シフのセリフの謎について。「自分が血書を持っていれば、弟が守ろうとした人に害が及ばずにすむ」というその血書に意味ですが…

シフが見つけた血書は2つありました。1枚は、クォン・ドゥヒョンが清に送ろうと残したもので、仁祖が謀反と見せかけてウォノを殺した真実を書いたもの。もう1枚は、そのウォノを謀反者に見せかけた血書で、ピョン・シクに命じられたセドルの代わりにチャドル(シフ)が軒下に埋めたものです。この2枚が公開されたなら、仁祖は間違いなく罪を問われます。関わったピョン・シクらにも及ぶかもしれません。でも、ヨンは仁祖が自ら王位を退くことは望みましたが、殺そうとはしませんでした。だって、仮にも伯父さんですから。というか、「剣は人を殺すために使ってはいけない」という世の道理を、父から教わっていましたから。


シフは、師匠サチョンの教えに従い、そのサチョンを斬ってしまいましたが、その後はヨン同様、「人の命をむやみに奪うべからず」という生き方に転向したのでしょう。彼もまた、ウォノの息子です。だから、弟が守ろうとした仁祖ら父の仇を、彼もまた守ろうとしているのではないでしょうか。

仁祖がまた悪政を繰り返せば、イルジメによって懲らしめられるのです。凝らしめるのは、イコール、殺すことではありませんから。


そして、コメントで回答もありましたが、ラストに登場する前歯のない少年ケットンについて。これは、セドルとタンの息子です。なぜなら、セドルが当初、記憶を失ったヨンに付けようとしていた名前が「ケットン」ですから。タンはそのことを覚えていて、ケットンと付けたのですね。しかし、ヨンがケットンでなくて、よかったわ。「犬の糞」なんて名前で、呼ばれたくないですもん(笑)。ヨン(龍)という名前は、ほんといいよなぁ。

あ!以前、コメントで「ヨンという名前は女性の名前にもありますが…」という問いがありました。確かにありますが、漢字が違うと思います。それに、日本でも「純」のように、男でも女でも使われる名前がありますね。なので、男性のヨンがヨンでもおかしくはありません。って、今頃、回答するなよ!って感じですが(苦笑)。


そんなわけで、最終回っぽくないですが、これでブログは最終回です。

このような機会を与えてくれたポニーキャニオンの担当さんに、心から感謝したします。本当に一生懸命、「イルジメ」を宣伝しよう、布教しようとしていて、こちらもノリノリで行かせてもらえました。だからというわけではありませんが、「イルジメ」DVDをよろしくお願いいたします(笑)。いや、ほんと、いいスタッフが担当してくれたと思います。でなけりゃ、こんな応援ブログなんて提案、ないと思いますもん。本当にありがとうございました!

そして、最後までお付き合いくださいました読者の皆さん、ありがとうございました。

ブログは終わりますが、まだまだ布教活動は続けてくださいね!私もこっそり続けるつもりです。

また、どこかで、いい作品を通してお会いできる機会があれば、そのときはまた是非、お引き立てくださいませ(笑)。

ではでは、これにて店仕舞いです。

アンニ・ヨン~!

「イルジメ」時代背景と雑感その1

アンニ・ヨン・ハセヨン。

すみません。もう少し更新したかったんですが、今日がブログの最終回です。

で、久々に「イルジメ」を見直しています。といっても、時間がなくて、1920話のみですが。

あぁ、ほんと、優れたドラマだなあ。

久々ではありますが(といっても、10日ぶりくらい?)、しかも鬼のように何度も見ているのですが、また発見があったりして、すげぇすげぇすげぇ!!!!!って、しつこく思ったりして、もう本当に大好きであります。本当に大っ好き!


実は最近、某一般週刊誌の依頼で、韓流シネマ&ドラマについてのコメントをしまして。これまで見た作品の中で好きな作品を4本を選べというものに、迷いなく入れてしまいました、「イルジメ」を。ちなみに、他の3本は「バリでの出来事」「魔王」「宮」でした。いずれも、私を廃人にさせたドラマですね。で、この4作、いずれも違うタイプで、違う魅力を持っているんですが、「イルジメ」に関しては、人が人に対して、あったかい感じがいいんだよなぁ。

韓流初心者にお勧めの入門作品にも「イルジメ」を入れちゃったりして。布教活動は、いろんな形で地道に続けていこうと思います。

ま、好きだ好きだって騒いでいると、結構みんなが気にしてくれるようになるんですよね。だから、うるさがれても、少々恥ずかしくても、好きだ好きだと折に触れ、口にしていこうかなと。


あ、本題に入る前に、先日、某雑誌に載っていた嵐のインタビューについて少し。この記事の中で、リーダーの大野君がこんなことを言っていました。

「愛を込めて作ったものは、面白いほど伝わるんだよね」

この言葉に私は思わず号泣してしまいました。そうなんです。面白いほど伝わるんです。逆に言うと、愛がないモノ、手を抜いたモノも、怖いほど、よく伝わってしまう。モノ作りの現場にいる人間として、いつも心にとめておきたい言葉です。

そして、この言葉を読んだとき、嵐はもちろん、「イルジメ」という作品のことも思い出しました。こんなに温かさが伝わり、こんなに胸締め付ける作品です。よほど大きな愛が詰め込まれているのでしょう。監督、脚本家、現場のすべてのスタッフ、そしてイ・ジュンギをはじめとした役者達。すべての人たちの愛が詰まっている。だから、多くの人にそれが伝わるのでしょう。そういうことを思い、また感極まってしまったのです。

愛っていいなぁ。

誰かが、何かを(誰かを)、愛している姿・大切にしている姿は、周囲の人間まで、幸せにします。う~ん、だから、「イルジメ」が好き!


と、なんだか、全く、客観的な解説になっていない文章ですが(苦笑)。

で、最終回の今日は、1920話をもう一度、語りたいと思います。

あ、その前に(これ、多いなぁ・苦笑)、以前のブログの記事でエコってないものを発見しました。もったいないので、まずそれを加筆しつつ公開しますね。

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さて、第8話である。今回も笑いあり、涙ありの60分強満腹コースだったが、皆さんもお気づきのように、ポイントはパロディ(笑)。

「捕卒になるには盗賊を捕まえる試験がある」なんぞ嘘を言って、セドルから盗みの要領を教わるヨンのシーンは、反転『フライ、ダディ』。カエルのように塀にへばりつくヨンが個人的お気に入りで、何度でも見たくなる(笑)。こうしてイルジメは誕生したのだなぁと、なんだか愛おしい気分になってしまうのだ。

もうひとつ、デシクが求刑を宣告されたときに回想する父親の大道芸シーン。もう『王の男』まんま(笑)である。思えば、『王の男』も身分差別の話だからなぁ…なんて、思い返したり。二重三重に意味を読み取ることができて、あらためて「深いっ!」って思うのだ。


そして、ここらで時代背景の解説を。

舞台となるのは17世紀初頭、朝鮮第16代王・仁祖(在位16231649年)統治の頃で、日本でいうと江戸幕府第3大将軍・徳川家光の時代。

前王・光海君(クァンヘグン)は、大陸の大国・明(のちに清に乗っ取られます)からの圧力と倭国(日本)の侵略(秀吉の進撃ですね)で疲弊した国を建て直すため、外とは闘わない「中立」の対外政策を取っておりました。光海君は兄や義理の弟を殺した暴君という評価がありましたが、近年、その外交政策を評価する動きがあります。ちなみに、そんな流れの中で制作されたのが、ドラマ「王と女」です。光海君をチソンが演じ、彼の悲しき運命を描いています。

で、この「イルジメ」においては、その光海君をクーデターで倒して王位についた仁祖について描かれています。

実はこの仁祖、これまで映像化されたことがなかったんです。「イルジメ」によって、初めてスポットを浴びた歴史的人物です。それくらい、地味な(苦笑)存在だったんですねぇ。大きな功罪もなかったのでしょう。でも、そこは歴史ドキュメンタリーの構成作家を長く務めてきたチェ・ラン脚本家のキャリアがモノを言いました。彼女は、あえてこの仁祖の時代を背景に選びました。仁祖はちょっと狂気的な傾向があったことが理由のようです。


で、順に説明しましょう。

中立を保ち、明とも倭国とも仲良くやっていた光海君の政策を「生ぬるい!」と思う政党がありました。いってみれば、当時の野党ですね。光海君と与党・北人-大北派を批判し、クーデターで追いやってしまったのが、光海君の甥である仁祖と彼を支持する西人派、つまり、イ・ウォノら「天友会」の面々です。

大陸では明にかわって清(後金)が勢力を拡大していましたが、仁祖は清に対して抵抗姿勢をとったため、清のお怒りを買い、2度に渡って侵略を受けることになってしまいます。この2度目の戦(丙子胡乱)で朝鮮は惨敗し、労働力として多くの男子が清に連行されますが、その1人がデシクの父親だったわけです(デシクは戦争遺児、酒屋の女将シムドクは戦で夫の子供を失ったという設定)。

ちなみに、このとき人質にとられた2人の王子については、後半のエピソードに登場しますね。仁祖は実子である一番目の王子を親清派と疑い、毒殺してしまうのです。この世子殺しについては、ドラマ「必殺!最強チル」でもキーとなる事件として登場します。


なにせ、仁祖はクーデターで王位に就いた人。自分もいつか同じように誰かに騙され、倒されるのではないかと常に疑心を抱き、多くの人間を逆賊として処刑したことでも知られています。『王の男』の燕山君や前述の光海君が強烈すぎてあまり話題にはならないのですが、仁祖も悪評高き王とされているのです。

ウォノら天友会の面々については、フィクションになるようですが、なかなか怖ろしい人だったんですねぇ。

ここで面白いのは、仁祖がクーデターで倒したのが伯父の光海君で、仁祖はだからこそ甥であるギョムを怖れたという点です。自分が犯した罪は、巡り巡って帰ってくると怖れていたんでしょうね。だから、イルジメがギョムと知った時の仁祖の衝撃は大きかったわけです。


そうそう、「天友会」と言う名前にも大きな意味がありますね。「天」=「太陽」=絶対的存在です。サチョンが仁祖を「天」と呼び、盲目の占い師が予言した新たな「太陽」=「天」の誕生に仁祖が怯えたように、当時、「天」という言葉には絶対的な意味があった。日本でも、かつて「天」皇がそうでしたね。なので、「天」という言葉には、我々が考えている以上に、深く重い意味があるのでしょう。


そして、韓国人にとって、「天」はイコール「父」でもあります。

最終回、仁祖と向きあったイルジメ(ヨン)は、2人の父について語ります。

「僕には2人の父がいる。1人は。世の道理を教えてくれた人、1人は僕のために犠牲になった人。でも、あなたはどんな父親だ? 子供にとって、そして民にとって」

「天」は、民にとって「父」でもあるのです。

そう、「イルジメ」では、様々な父性が描かれている。セドルやコンガルといった養父の父性、コンガルやサチョンがヨンとシフに見せた師弟関係における父性、仁祖やイルジメといった民の精神的支柱としての父性、ピョン・シクや猟師のチャン父子のようなリアルな父性…。そういう様々な観点が同時並行して描かれながら、決して混乱することなく見られるのも、脚本力かもしれません。役者の演技も見事だしなぁ。


というわけで、長くなりました。

後半、第1920話の補足所感をもう一度だけアップしますね。

アンニ・ヨン。

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