泣かないで。~白血病を経験して

泣かないで。~白血病を経験して

元気にすごしてた・・あの日白血病と
診断されるまでは。。。

19歳で白血病に
予後不良で移植に

今は22歳になりプチ社会復帰!

Amebaでブログを始めよう!

脱毛が始まってしまって落ち込んで

いたら看護師さんが

「まだあんま抜けてないし髪の毛を

洗ってあげる。」って言ってくれました


私はベットから降りずに、仰向けになって

看護師さんがいろいろ用意してくれて

洗ってくれました

「大丈夫よ!この病院から退院して

今遊び来てくれる子もおるし

まっつんちゃんもそうなるよ!」


嬉しくて大好きな看護師さんでした。

けど次の日、、昨日の看護師さんが

いません。聞くともっと忙しい東京?

か、どこかの救急病院で働くために

やめたみたいです。

最後に私の髪を洗ってくれたみたいです


どうか頑張っててほしいです



はい。それと弟みたいな存在の子。

あの子はTと書きます

私より年下なのに私より強かったです


「まっつん姉ちゃん!髪の毛抜けよる?

女の子やけ辛いよね。俺はもう

抜けてますよ。ツルツル笑」


「まっつん姉ちゃん夜怖くない?

いつでも連絡してください。

おれ夜中も寝てないけ('◇')」


Tは本当にヤンチャな今どきの

男の子です。なのにだれよりも

優しいんです。


Tの話も書いていきますね。




私には高校の時の家族みたいな存在の

仲間が6人います。


白血病になってその日に

仲間には報告しました


「あのね私今病院におるんよ。

白血病らしいよ。」


「はっ?嘘やろ?」


これがみんなの第一声です。笑


私の電話ではみんな泣かずに

「まっつんなら大丈夫やろ!!

絶対に!!」

とか言ってくれてましたが

本当は電話を切った後

仲間同士で電話をしてたみたいで

号泣しながら

「まっつんなら大丈夫よね?」

って励ましあってたみたいです。


あと男子の本当に信用できる友達が

一人だけいます。その人はK君です

私が辛い時や泣きたい時は

電話をしてきてくれました。


脱毛が始まって気にしていたら

みんな白血病のことを調べてくれてた

みたいで

「髪の毛は抜けてもまっつんはまっつん

やし、髪の毛なくてもまっつんは

可愛いし!」とか励ましてくれました


K君も「髪の毛とかまた生える。前だけを

向いて頑張ろう!今辛いけどその分

何年後かに笑える!お前は幸せになる。」


はい。前を向く決心がつきました。


仲間の一人は耳の横の髪の毛を

刈り上げにして

「少しでも気持ちを共有できたら」

って言ってくれました。




私は入院していっぱい泣きました。


辛い検査の前の日や熱を出した日

など今まで経験してない辛いことを

一気に経験してしまったと

思うくらい辛かったです


けど一番泣いて治療を

やめたくなったのが

  「脱毛」

でした。


19歳。来年は成人式でした

髪の毛を伸ばしていたので

余計ショックが大きかったです


脱毛に気づいたのは

夜中にトイレに行って

手を洗うとき鏡の前で

髪の毛を触ったときに

髪の束が指に絡まってとれました。


その時は心臓が止まるかと

思うくらいドキドキしました


どうしたらいいのかわからず

母親に夜中の4時近くに

メールをしました

「もうだめ。髪の毛がなくなる。

もうやだ!どうすれば良い?」


すぐに電話がきました。

「大丈夫。今日帽子を買ってから

行くし!またはえてくるよ!

大丈夫やけね。」


その日は泣きながら寝ました。

覚悟していたことだったけど

いざ自分が体験すると

泣くことしかできませんでした。




脱毛の事では家族だけでなく

友達にも助けられました。



その話は次に。。




吐いて吐いて苦しくて吐き気止めの薬を

何回も点滴でしてもらったけど

わかったことが!!!


私には吐き気止めが体に合わない。



まだ吐いてるほうが苦しくなかった


吐き気止めをしたら体がウズウズして

暴れたくなる。とにかく動きたくなって

動くけどウズウズは止まらなくて

ベットの上から枕やティッシュや布団を

投げまくった。


「吐いてるほうが楽だから薬はいらない」


ずっと吐いてると喉が痛くなる

やっと吐き気が収まり始めたら次は

高熱が!朝方から39℃以上。


その日母は久しぶりに仕事の予定が

あったから姉に連絡したらすごく心配を

していた


先生たちは電気毛布や氷枕を用意して

くれたけど途中できつくて眠ったみたい


お昼に少し目を開けたら母が視界に!

クロスワードをしてたみたい笑


その時は何も気にせずすぐまた

眠りに。何回も目を開けたけど

話す間もなくまた眠りに。


夕方に目を覚ましたら姉もいる!!


母親は心配で仕事を休んできてくれたみたい


「眠っとっても目が覚めてお母さんが

おったら少しは安心するやろ?」


めちゃめちゃ安心しました。

19歳でもやっぱり母親がすごく

恋しくてだからとても嬉しかったです


けど面会終了時間いつもより

すごく寂しくてお母さんとお姉ちゃんが

ドアを閉めた瞬間から号泣してしまいました







とうとう始まった寛解導入。


私の中では死へのカウントダウンみたいだった。


なんの薬を使ったのかも覚えていない。

毎日家族がお見舞いに来てくれてたけど

私はずっと寝ていた。目を開けたくなくて。


私の入院していた病院は無菌室が

個室で家族は入れたしビニールもベットの

半分まであるだけだった。



7階に入院してた。窓から保育園が見えた。

子供たちが楽しそうに遊んでるのを見て

少し羨ましくなった


窓を開けて蝶になって飛んでいきたかった



1週間もすると副作用で吐いて吐いて

吐いてきつくて辛い日が続きました


それでも薬は毎日飲まなだめだから

頑張った!・・・・・けど


イトリゾールだったと思うけど

あの液体の!!!!!!!

あれはさすがに熱出した日は

ゲーゲー吐いてしましました。


あれはいまだに思い出すだけで

嗚咽をしてしまうくらい苦手です。笑