皆様、大変ご無沙汰しています。


長女です。




ときどきこのブログを読み、

母のことを思い出しています。




母の家系は脳血管疾患が多く、

長女の私も気をつけなさいと、

脳外科の先生に言われたことがあります。





くも膜下出血や脳梗塞は、

女系に遺伝することが多いのだそうです。





私は昨年ふくらはぎの肉離れを経験し、

1ヶ月間、松葉杖の生活となりました。

肉離れを起こす前兆はあったのですが、

特に治療などはせずにいました。





母が大好きだったバドミントン。

甥と一緒に毎週月曜日に体育館へ通い、

元バドミントン部の私は結構燃えていました。




毎週のようにふくらはぎが痛み、

途中でリタイアすることが続き、

とうとうブチっといってしまったのです。






その後、母の友達から伺ったのが、

「せいこちゃんもふくらはぎ肉離れしてたわよねー」

親子だなぁなんて思っていたのですが・・・






その私が通う肉離れ治療のクリニックで、

「あなた、右脳のトラブルが多いよ」

と指摘されました。






下にリンクがありますが、「読脳法」といって、

身体の不調は病気のサイン。

脳から身体の情報を引き出してそれを未然に防ぐ、

または引き延ばすという治療法があります。

私の先生はその「読脳法」で私の脳からの訴えを聞いてくれました。





私は母のように倒れたくありません。

もっと長生きして地球で皆さんと楽しく過ごしたいし、

もっといろいろ経験して、いろいろな感情を味わいたい!

もし、脳がサインを出してくれているのなら、

ちゃんと治療しようって思っています。





この治療法は独特で、

地球の軸と自分の軸がずれていると、

身体がいろいろ調整して、

様々なところに負担がかかり痛みなどの症状として出てくる。

そのずれを直すために、足首にある骨の調整をします。

なぜ軸がずれるかと言えば、

自分らしく生きていないから。

シンプルに言えばこういうことです。







この治療法のいいところは、

自分で「ここが痛いな」と思ったら、

脳(左・右)と心臓を順番に手を当てていき、

どこを抑えると症状が軽くなるかを探ることで、

原因が脳にあるとか、心臓にあるとか、すぐに分かるのです。

「自分で病気は治そう」というコンセプトで広めていらっしゃいます。





この動画は「脳梗塞の前兆」を発見し、自分で治すための調整法を教わっているものです。






そしてこちらの動画は「脳梗塞の後遺症」を少しでも減らすために調整法を教わっているものです。






もっと動画が観たい方はここをクリックしてください。

この団体の動画紹介ページ(Youtubeチャンネル)に移動します。





私も調整法を教わりがんばっています!

脳梗塞などの家系の方は興味があるかもしれないと思って、

動画をシェアさせていただきました。





このワークショップや治療法に興味のある方は

生システム研究会のサイトをご確認ください。

ちなみに、宗教でも怪しい団体でもなく、

私自身はこちらとは無関係なのですが、

もし母が生前に知っていたら、

きっとトライしただろうなって思ったので、

紹介させていただきました。




一人でも多くの方が1日も長く健康で長生き出来ますように!

そして薬知らず、医者いらずで生きていけますように!

天国からこんにちは。


長女が月に1度お墓参りに来てくれています。




このあいだは、せっかく来てくれたのに、

長女「あ、ママ、お線香忘れちゃった!!!ごめん!!」




私(もしもし?何をしにきたのかしら???)




長女「でも綺麗なお花買って来たから許してね」



勝手に許していました(笑)



元気ママのくも膜下出血闘病記☆



長女がお墓についたときに、

まだ枯れていないお花がありました。

私は誰だか分かっているけれど、

長女は「あれ?誰が来たんだろう。でもママよかったね。」




春が終わって、もう梅雨入りしちゃったね。

この墓地はあじさいも綺麗だから、

その時期が待ち遠しいわーー。

それにしても、私の孫は来ないわねー(苦笑)

今日、長女が孫と会うから言っておくって約束してくれました。




それではまたねー。

チーン!
こんにちは!

この世界にさよならしてから、半年が過ぎました。

まだ半年、もう半年。

早いのか遅いのかは分かりませんが、

私の肉体がこの世から消えて半年。

いなくなったらいなくなったで、

人はそれに順応していけるみたいね。

家族は健康に過ごしているみたい。

皆さんはいかがですか?



そうそう、こないだ長女の夢に出演してみたのだけれど、

ちょっと演技がうますぎたのかな。

長女が心配しちゃって・・・(笑)


その演技というのは、

6畳くらいの部屋の真ん中に座卓があって、

その前で私は雨に濡れたような状態で、

うつむき加減に座って「悲しい」オーラを放出したの。



あら、文字にして読んでみたら、

そりゃあ心配するわねー(笑)



特に台詞はなかったんだけど、

長女が読み取ったのは「ごめんね」という言葉だったらしくて。



私が何を訴えたかったかのかが分からず、

長女はモヤモヤしている様子。

遺影に向かってお線香炊きながら、

「ママ、あれは何だったの?」

と質問攻めされております。




先日は私の兄と幼なじみのお友達が、

お墓参りに来てくれました。

久しぶりに会えて嬉しかったわー。



桜の季節は終わってしまいましたが、

新緑が目にまぶしい季節。

私がいるところは、山のようなところだから、

緑が綺麗で今のところ清々しい風景を楽しんでいます。




また皆に会いたいなーって思うけれど、

天から見守ることにしまーーす!

時々思い出してくれたら、とびきりの笑顔を届けます!!

皆といた時間、本当に楽しかったもんね。

これからも笑顔の多い日々をお過ごしください。
皆様、こんばんは!

長女です。

母が他界してから5ヶ月がたちました。

街でよく母にそっくりな後ろ姿の女性をみかけます。

「あ、ママ? なわけないか、死んだんだよな」



他界してすぐ、夢を見ました。

母は大きなリュックサックを背負い、

私の部屋にあるシステムベッド(はしご付き)に登っていました。

「これから皆のところに挨拶に行ってくるから」

という様子で、長居はせずに・・

で、目が覚めました。



その後、父の夢に何度も登場したようです。

寂しそうな様子だったようで、

父がなぐさめてあげるような夢だったそうです。



少し前まで、何か悩んだり、困ったりしたときに、

すっと心にアドバイスが入ってきていました。

「大丈夫だから、このままやりなさい」

「それはやらなくても大丈夫」

「心配しすぎて時間ばかり過ぎてるよ」

なんか、ママっぽいなーって思っていました。

「亡くなったら、ずっとあなたたちのそばにいてくれるわよ」

って、葬儀のときに何度も言われましたが、

このことなのかなって思います。



「そばにいる」というのは、目で見えたり、

触れることができるだけではなく、

こうやって心に話しかけてくることなのかも知れません。

もちろん、私の勘違いかもしれません。

でも、誰も正解を知らない。

なら、ママのアドバイスって思ってもいいわけですよね。



このアドバイスで何度も立ち直ることができました。

ママに感謝です。



私、最初の1ヶ月は夜になると毎晩泣いていました。

最後の1週間の様子がすぐに浮かんできて、

かわいそうなくらい痩せた身体、

苦しそうな呼吸、

思い出すとすぐに涙が溢れていました。



でも、65年の人生で、こういう姿はたった1週間。

そう思ったら、若いときの元気な姿が思い出され、

涙が止まりました。

ママが若かった頃=私が小さい頃、

私はやんちゃだったのでよく怒られていました。

朝から晩まで仕事しながら私と次女を育ててくれて、

なのに私は自由人。

家事を手伝ったことがない。

よく爆発せずに我慢してくれたなーと思います。



人に甘えることが嫌いな母だったので、

全て自分の力で乗り越えようとする。

カッコいいと思うけど、辛いときの方が多かったんじゃないかなと思います。



亡くなってから、一緒に過ごしたときのことを考えると、

いろいろな結論が出てきておもしろいです。

あの時はこういう気持ちだったんだろうな、とか。

想像でしかないのですが、心の中で母と対話しています。



お母さんってやっぱりすごいです!!!

子供ってどんなに怒られて育っても、

愛されているからこそなんだなーってつくづく思います。

皆様ご無沙汰しております。
お元気でいらっしゃいますか?

母が他界してからもう5ヶ月になろうとしています。

母が眠る墓地は、桜並木があります。

先日、生前お世話になりっぱなしだった方々と、
お墓参りに行きました。

「あらー、セイ子ちゃん、死んでもお花見できていいわねー」

母が住んでいたところは多摩川の目の前で、
春になると家からお花見が出来ます。
お花見の季節になると、朝から料理をしてお友達を誘い、
ずっとお花見していました。

亡くなった今、「春になったらお墓にお花見しに来て!」
って言っているようです。

偶然なんですけどね。

もう桜は散ってしまったかもしれませんが、
母を思い出すのには最適な墓地なんです。

やっと暖かくなってきたので、
お墓のご案内状を皆様にお送りしました。
ずっと「作らなきゃ-」って思いながらも「今度」と後回し。
すみませんでした。

毎年桜が咲く頃、母を感じながら生きて行くんだろうなー。

私がこの世を去ってから早いもので1ヶ月。

月日がたつのはあっと言う間ですね。

充実していても1ヶ月。

ボーっと過ごしても1ヶ月。

長女は、なら楽しんで毎月を送ろうって決めたそうです。



12/15(土)は涙雨?小雨の中、四十九日法要と納骨式をしてもらいました。

$元気ママのくも膜下出血闘病記☆

「南無阿弥陀仏」って唱えてもらえると嬉しいです。

親族だけ集まり、小さな法要と式でした。

長女は「いやー、もう涙出ないよー」なんて言ってたけど、

結構泣いたシーンがありました(笑)

家族の死をなめちゃいかんよー(笑)




長女は毎月15日前後に、お墓参りに来てくれるみたいなので、

もしご都合が合えば長女に連絡してみてね。



そうそう、長女がパソコンいじってたら、

私のかわいらしい動画が出て来たの、

時間があったら観てね♡

長女です。


身内の好きな食べ物。

把握していますか?



母が老人介護保健施設に入り、だんだん体力的に弱ってきたときに、

施設の介護士さんによく聞かれました。

「お母さんの好きな食べ物は何ですか?それを食べさせてあげましょう。」



長女は母が何でも食べる姿を見てきましたが、

特に好きな食べ物は分かりませんでした。

よく一緒にお菓子を食べながらお茶していたので、

「お菓子や甘いものは好きです。」

そこで、夏だったこともあり、アイスクリームを食べさせたのですが、

ほとんど食べなかった状態なのに、アイスクリームは完食していました。

そして孫とよく一緒に飲んでいたポカリスエット。

いつもはお茶にとろみをつけて飲ませていたのですが、

ポカリスエットに変えたら、好んで飲んでいたそうです。


やはり好きな食べ物や飲み物のパワーってすごいなと感じました。


どんな健康状態であっても、病院食、施設食より、

今まで口にしていたものが一番のクスリなのかもしれません。

喜んでくれているのか、分かりませんでしたが、

口に運ぶ回数が増えたということは、きっと嬉しかったのだと思います。



身内の好きな食べ物、飲み物は把握しておくといいと思います。



このブログのテーマ、

「産んでくれてありがとう」が言える日までがんばります。

が達成できたのかどうか、の話です。






母が息を引き取り、息つく暇もなく葬式会社に連絡。

ドラマなんかでよく見る、

遺体におおいかぶさって「ママーーーーー!!!」と叫ぶ光景。

あんなの出来ませんでした。

「お身体を綺麗にしますので、その間にお迎えの手配をお願いしますね。」

と施設の方に言われ、私は悲しい思いで母から離れ、電話をしまくったわけです。






そして、安置する場所まで移動し、業者さんと打ち合わせ。

「お棺の中に入れたいものを用意してくださいね。」

わー、どうしよう、何を入れよう。

母が好きだったものはすぐ用意できるけど、

私から渡したいものを用意していなかった。

悩んでいたときに、「私は手紙書いたのー。」と母のご友人。

そうだ、私も手紙なら書く時間ある!

で、書きました。

もう母以外、誰も読まないし、素直に、率直に。

目の前にいたら絶対に言えないようなこと。






で、納棺式。

母を棺に移す式です。旅支度をしてね。

その時に、棺に入れたいものを一緒にいれるのですが、

私が手紙を入れようとしたら、

「この手紙、告別式で読みましょうよ」

告別式では通常「弔辞」最期のお別れの挨拶をどなたかにお願いしたり、

喪主が務めるのですが、この手紙がその大役を任されることになりました。

私自身、ゆっくり、母を想いながら書きましたが、

詳しく思い出せず・・

変なことは書いてないだろうから、きっと読まれても大丈夫・・





で、告別式の最期のほうで、その手紙が読まれたのです。

覚えていることだけ書きます。





「ママへ

何から話していいかわからないよ・・

とりあえず、セイコさん、お疲れさまでした。

(途中覚えてないです。)

たくさん苦労をかけてしまってごめんなさい。

私たちはいろいろなことを話し合える、素敵な親子だったと想う。

ママは世界一のママだよ。

絶対、絶対、絶対、また会おうね。

どんな形でもいいから、また会いたい。

セイコさん、本当にありがとう、お疲れさまでした。

最後に、ママ、産んでくれて本当にありがとう。」




というような感じで書きました。

ということで、ブログのテーマ、

「産んでくれてありがとう」が言える日までがんばります!

は達成できました。

支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
長女です。

身内の死は、覚悟していたとしても、
結局は「突然」やってきます。

何月何日何時何分に亡くなる、なんて、誰にも分かりません。

ただ、私達のように『もうすぐかも』と、予測できる場合、
亡くなったらどうするのか、
事前に知っておいたほうがいいと思います。

それはとても辛いことですが、
愛する身内が亡くなったときに、
どうしていいか分からず、
人のいいなりになって葬儀を行うくらいなら、
辛い気持ちを押さえて、
後悔のないように送り出してあげるのが、
最大の愛情表現かもしれません。


私は事前に下調べをしました。


亡くなってからだと、自分のペースで調べる余裕はないと感じていたからです。
調べたことと、様々な助言をいただいて、
結果として後悔のない、きっと故人も満足した葬儀になったのではないかと思っています。

ウチの場合は、危篤状態が3回ありました。

1回目はくも膜下出血で倒れたとき。
このときはパニックすぎて葬儀のことを調べる余裕はありませんでした。
2回目は2012年の夏。余命を告げられたとき。
3回目は2012年11月。栄養不足、脱水症状と言われたとき。

2回目のときに葬儀についてインターネットでいろいろ調べました。

ここに、私が何をどうしたか記しておきますので、ご参考いただければ幸いです。



①葬儀の規模
②葬儀会社の選択
③参列者への連絡の取り方
④宗教/宗派の確認
⑤お墓(ウチの場合はすでにあるので購入の必要なし)
⑥喪主になる覚悟



①葬儀の規模
今、いろいろな種類のお葬式があります。
盛大にするのか、小規模で仲間、身内、親族だけで行うのか、
金額にもよると思いますが、故人の最期にふさわしい葬儀がいいと思います。
生命保険、預貯金、御霊前(あくまでも予測)が資金となります。



②葬儀会社の選択
その土地、家のやり方があると思いますが、
ウチの場合、
小さなお葬式
イオンのお葬式
から資料を取り寄せて、比較検討しました。
ウチは「小さなお葬式」を選びましたが、
選んだポイントとしては、
通夜、告別式、初七日、火葬がセットになって行われること、
ご住職様への「お布施」が決まっていて、戒名もつけられることです。
結局、亡くなってみるとお布施のことで悩む時間なんてありませんでしたから、
ちょうどよかったと思います。
家で特に決まった寺院やご住職様がなければ、
こういうネット葬儀社で十分です。



③参列者への連絡の取り方
母の場合は本当に楽で、友人関係はこの方、会社関係はこの方に連絡すれば、
かなりのスピードで広まっていくのを、1回目、2回目の危篤の際に分かっていたので、
携帯メールに「ママ関係」とグループを作り、登録しておきました。
現在ではほとんどの方が携帯を持っていらっしゃるのですが、
数人の方はメールアドレスが分からない。
電話番号が分かるなら、電話番号宛に短いメッセージが送れるので、
活用しました。



④宗教/宗派の確認
浄土宗、浄土真宗など宗派の確認はしておくといいです。
葬儀会社から「何宗ですか?」と聞かれます。



⑤お墓(ウチの場合はすでにあるので購入の必要なし)
どこのお墓に入るのか、
そして親族/親戚に「ここにいれたいのですが、よろしいですか?」
とお伺いをする。
私はほとんどの親族が「当然」だと思っているだろうなと思い、
「お伺い」をするのを忘れましたが、父がフォローしてくれていました。



⑥喪主になる覚悟
喪主は悲しんでいるヒマなんてほとんどありません。
しいて言えば、ご住職様が読経されている時だけは、思い切り悲しめます。
今回分かりましたが、身内や友人などで葬儀に慣れていて、
お手伝いしてくれる人がいるなら安心。
もし家族の人数が少なく、葬儀の経験も少ない場合は、
喪主は全ての管理をすると覚悟しなければいけない。
まあ、葬儀会社の方々が助けてくれますが、
どのような葬儀になるのかは喪主にかかっています。




①~⑥まで、「当然だ」と思っていても、
亡くなってからするのと、
亡くなる前にしておくのでは、全然違います。



私たちの場合、15日朝に亡くなり、16日に通夜、17日に葬儀でした。
15日朝に亡くなったといっても、安置場所まではずっとつきそいます。
安置が終わってから、初めて通夜葬儀について葬儀会社とミーティングをするのです。



私はこのことが分かっていたので、
事前に「小さなお葬式」に連絡をして、
亡くなったらまずすることは何か。
決めておいた方がいいことは何か。
伝えておいた方がいいことは何か。
考えられる全てのことを電話で話しておきました。



「小さなお葬式」は葬儀の革命を起こすと、
たしかメディアでも取り上げられていたので、
電話対応も丁寧でしっかりとした口調で、安心できました。



ということで、事前に調べられることは調べておいたほうがいいです。
家族が元気なら尚さらです。
縁起でもない!と怒られそうなら、

「元気ママのブログを偶然見て、うちも確認しておいたほうがいいと思うよ!」
「お母さんじゃなくて、ボクの方が先かもしれないんだから、お互いに確認しよう!」

順番や時期など、本当に分からないのですから、
分かり合えるうちに確認をしたほうがいいですよ。


病気ではなく、災害、交通事故、「死」は常に目の前にあるのですから。


元気ママはくも膜下出血で倒れてからは、
意思疎通ができませんでしたから、
いろんな人に聞いたり、引き出しを次から次へ開けてみたり、
手帳や日記などを読み返さなければいけないんですから、
お互いに辛いです。


いつか機会があれば、確認しておいてもいいかもしれません。


元気ママのくも膜下出血闘病記☆-DSC_0181.jpg


ハロー!

今日は天気が良くないですね。

空まで私が旅立つのを偲んでくれてるのねキラキラ(ポジティブに!)


朝早くから夕方まで、いろんなことがありました。



まずは長女がパパに『イライラ』することから始まりました。

イライラはイヤだけど、あまりに喪主のやること、気配りが多く、協力してくれるだろうと思ったことも、結局、喪主がやらなければいけなかったり。


長女は以外といろんなことに気付き、手回しするのも慣れていますが、足りていない。でも限界。誰も手伝えないことが多い。


で、パパに八つ当たり。


パパと長女は控室で時間をかけて話し合い、仲直りしてました。


ママとしては、ハラハラしましたが、二人とも気持ちを伝えて一件落着。式が始まる前には『イライラ』はなくなってました。



まったく二人とも~!




ま、そんなスタートでしたが、告別式には朝早いのにも関わらず、たくさんの方々がいらしてくれました。



読経が終わり、弔電を読んでもらった後にサプライズ!


長女からの手紙。


司会の方が読んでくれたのですが、これで親戚一同泣きました。


長女は読まれるために書いた訳ではなかったので、本当に正直な気持ちで書いてくれたみたい。


私もちょっとウルウル。
私のために、ありがとう。



その後、皆で私の棺の中に花を置いてくれました。今まで旅行先で見たどんな花畑よりも美しい仕上がり!


皆様、ありがとうございますキラキラ私も親族も感動しました。



花畑に包まれたまま、棺に蓋が被せられ釘を打たれました。


親族が石で釘を3回ずつ叩きますが、最近はやらない家族が多いみたい。これは辛いからね。分かる分かる。



で、出棺。



家族が一番辛い瞬間、火葬の時間です。




たったの1時間で、私の姿形がなくなってしまうのね。




炉に入れられ、扉が閉まる瞬間、パパが小さな声で言った一言が長女を号泣させました。



悲しみの絶頂だったみたい。



あらあら、このブログ書きながら長女はまた泣いてるわ(汗)



火葬中の1時間、精進落としの料理を皆に食べてもらいました。



親族、バドミントン仲間、高校同級生と一緒に、私も昼間っからビール飲んじゃいました(笑)


長女が料理を忙しいサラリーマン並みに早食い(笑)
食べ終わり、外に出てみると、炉のある建物から白い煙が上がってるのをみました。


『ママだ。本当に天に登ってる…。』


で、また涙(笑)



その後、拾骨の時間。



パパと長女がお骨の確認。



チビな私。
最終的な肉体はやせっぽちだったけど、かなりしっかりした骨がたくさん残っているのを見て、『あらママは以外と骨が太いね』だって!



拾い甲斐があるでしょ?
今まで、血圧を下げる薬以外はあまり服用したことがないから、骨が丈夫で綺麗に残ったみたい。




皆で、お骨上げをしていただきました。




骨壺に入った私。
長女が運びましたが、長女の内心は『ママ、すごく重い!やせっぽちだったし、お骨になったら軽いと思ったのに!』


失礼な長女だわ!




そんなこんなで全てが滞りなく終わり、いざ我が家へ出発~キラキラ


これを一番楽しみにしていたの!



1年9ヶ月ぶりだよ!
ドキドキでした。




ただいま~キラキラ




長女がお線香に火をつけた時に、私の遺影を見て、


『あれ?涙ぐんでるように見えるよ。嬉しいんだね!ママ、おかえり!』



うん、ただいま~キラキラ
綺麗に片付いてるわ~キラキラ
次女、ありがとうキラキラ



孫よ、絶対に私の近くでサッカー練習しないでね(汗)!




ということで、ひとまず自宅に帰りました。



やっぱり我が家サイコ~キラキラ



お風呂に入りたいな~(笑)キラキラ
あ、無理か!



ということで、しばらくは自宅で過ごしま~すキラキラ