手児神社(福島県大沼郡会津美里町) | ゴシュインデイズ

手児神社(福島県大沼郡会津美里町)

手児神社(てごじんじゃ)。



福島県大沼郡会津美里町に鎮座。
御祭神は素盞嗚命(スサノオノミコト)。
国幣中社・伊佐須美神社の境外摂社。


そうです!
伊佐須美神社の摂社なんです!
諏訪大社にお参りに行った時はすかさず摂社の手長神社・足長神社をチェックしたというのに、
今まで地元福島県の国幣中社の摂社を見落としていたとは、なんたること!

わざわざ福島県の神社に特化したブログにしてるってのに見落としていたとは、
己の不明を恥じるばかりであります(´・ω・`)



『新風土記』によると、伊佐須美神社と同様に欽明天皇の十三年(552年)に明神ヶ岳より勧請され、その後、享禄二年(1529年)に宗輔という者が再興したと伝えられている。
享禄二年という年号は社殿に残された棟札によって裏付けされているが、
この棟札によると260人を超える番匠を要したことから、
かなり大きな社であったことが推測されている。


残されている文献によると、勧請の由来は複数あるらしい。

一つは、役行者がこの地に来た時に児大神が出現したので大宮山手児大神として崇祀したというもの。

そしてもう一つは、『日本旧事本記』に書かれているという次のような話である。
伊勢国度会郡神乳山で大きな光り物が国中に充ちていた。
神官が駆けつけると、猛々しく恐ろしい大きな獣に乗った、極めて尊い姿の児が居たのだという。
すると天照大神が
「このような大神は辰旦国五峯山岳におわす『世知の中知世、聖の中聖、天知の師』であるからこれを崇めて祀るべし。また、この獣は悪神の恐れるところであるので神前に置くべし。」
と言う。

すると児大神はなんと分身!
一身は留まり、もう一身は空に飛んで陸奥国会津郡永居の荘厳山に降臨したのだという。


上記の「辰旦国の五峯山にいる聖にして天知の師」「恐ろしい獣に乗っている」ということから連想されるのは文殊菩薩の姿であり、神仏習合の色合いの濃いものとなっている。


ちなみに当社の御祭神は素盞嗚命だが、これについても伝承がある。

大きな沼に住んで人々に害をなしていた大蛇いた。
これに困って伊佐須美大明神に申し上げたところ、小童に神が乗り移り、

「岳山に祀られている素盞嗚命を勧請して祈れば、憂いが取り除けるぞ!」

と告げられた。
これを受けて、松岸(現在の鎮座地)に宮を遷し、『奥の院の牛頭天王』として崇めたのだという。

お会いした宮司さんのお話によると、この辺りの川は暴れ川であったために、それを鎮めるために素盞嗚命を祀ったのではないか、とのこと。



ちなみに、伊佐須美神社の御祭神の一柱、伊弉諾尊は素盞嗚命の父神。
御祭神同士のご縁が深いということで伊佐須美神社の摂社というのも納得なのであります。


ただ、伊佐須美神社の摂社・末社については文献によって差があるらしく……
wikipediaあたりで参考にしているところだと手児神社の名前が載ってなかったりするんですね。
でも戦前からの社号標があったりと、摂社なのは間違い無いと思います。



【 神社近くの社号標 】
こちらは神社に向かう道の途中に建っていた、古い社号標。
戦前からのもので、『国幣中社摂社 手児神社』と彫られているとのこと。
敗戦の際、GHQの統治が始まると国幣社に関わる神社は取り壊されてしまうのではないか、との懸念が広まり、社格に関わる部分を埋め潰してしまったそうです。



【 鳥居 】
石造りの鳥居。
鳥居の周辺からそうなんですが、境内は高い木々に囲まれています。
なので、ここに神社があると知っていないと通りかかった程度では分からないかもしれません。

ちなみに、宮司さんによるとこの高い木にけっこう雷が落ちるそうで。
宮司さんが生まれてから覚えてるだけで5,6回は雷が当たっているそうです。
コワイデスネ(´・ω・`)



参道。
まだ7月の中旬だというのにヒグラシの鳴き声が響いていました。
周囲の木々に止まってるんでしょうかね。




【 手水舎 】
参道左手にある手水舎。
井戸から水を汲んで清める形なんでしょうか。
やり方が分からず気持ちだけお清めしておきました(;´・ω・`)










【 拝殿 】
そしてこちらが拝殿。
雪深い会津のお社らしく、屋根がどっしりとしていて迫力があります。
屋根は銀色のトタン葺なんでしょうか。
日の光を反射して眩しいくらい。

御神紋は菊紋のようです。








【 本殿 】
そしてこちらが御本殿。
本殿の周囲に彫刻が施されていたので何枚か撮ったのですが、ブレたりしてちゃんと撮れておらず……
この1枚だけが辛うじて見える感じの写りになりました(´・ω・`)


【 境内社 】
拝殿の右手にある境内社。
木の枝がお社を隠すかのように被さって伸びていて、より一層、ひっそりとした感じを演出しています。


【 蔵 】
そしてこちらは境内の右手にあった蔵。
扉の格子のところから中を見させて頂くと……


【 国幣中社摂社 の扁額 】
内部には立派な扁額や、戦時中の御祈祷に関するものが。
拝殿に扁額がかけられていなかったので、「あれー?」と思ったんですが、
蔵の中にあったんですね。


さてさてさて。
無事お参りも済みまして、御朱印をお願いします。
上記の蔵の後ろのほうにある建物が宮司さんのご自宅になっておりまして、そちらでお願いしました。



そして頂いた御朱印がこちら。
シュッとしていて素敵な御朱印ですね。


実はこちらの手児神社にお参りする前、会津美里町内の別の神社にお参りしたところ、
拝殿から出てこられた宮司さんにバッタリ……という形で、手児神社さんのことを教えて頂いてお参りしたわけなんですね。
なので、タイミングが良かったというか、たまたまのご縁が無ければお参りしていなかったという感じでして……
お忙しい中、道順を教えて下さった宮司さんにも感謝ですね。


そんなわけで、次回の更新ではその宮司さんとバッタリな神社をご紹介します。





御朱印をお待ちしている間、何気なく拝殿を眺めていたら、木鼻に羽化途中のセミの姿が。
このセミも今頃はあの参道の鳴き声の一つとして参加しているのでしょう。



◆ 神社への地図



◆ 神社の情報

手児神社    てごじんじゃ

御祭神 : 素盞嗚命
社格等 : 国幣中社伊佐須美神社の摂社
鎮座地 : 福島県大沼郡会津美里町松岸字北沢田275