『少女が僕に残したもの』
ダッカの街、裸足で歩く少女に出会った。
僕と目が合うと、彼女はそれからずっと僕の後ろをついてきた。何かくれ、何かくれと手を差出しながら、いつまでも、どこまで行っても諦めようとしない。
僕はポケットから飴玉を取り出して、仕方なくその子にあげた。
少女は当たり前のように受け取ると、どこかへ去っていってしまった。
―きっと貧しさを売りにした彼女なりの商売にでもなっているんだろう。
ため息交じりにそんなことを思いながら、僕は近くにあった歩道橋の階段にしばし腰を下ろした。
数分が経った頃、そこへ先ほどの少女がトコトコと戻ってきた。
彼女は右手に小さなバナナを持っていて、それを僕に食べろと言って嬉しそうに差し出してきた。熟しすぎているのか、握りすぎていたのか、バナナは腐りかけに近いひどく黒ずんだ色をしていた。
正直、僕はそれを汚いから食べたくない、と思った。
いらないよ、と手を振って断ると、少女は何度もそれを食べろ食べろと言って差し出してくる。それでも拒み続けていると、彼女は「つまんないの。おいしいのに」といった表情を見せながら、皮を剥いてひとちぎりを口に頬張った。
妙な罪悪感が募ってきたのは、少女がいなくなって、少し歩き始めた頃だった。
「汚いから食べたくない」
そう思った自分にひどく嫌悪を覚えた。
それをとても美味しそうに食べていたあの子の表情が忘れられなかった。
あの子にとって小さな一本のバナナはとても大切なものだったんじゃないだろうか。あの子は、好意で僕にその大事なものを差し出してくれたのだ。それを僕は完全に拒絶した。せめてあの子の好意だけでも汲み取って、バナナを受け取るべきだったんじゃないだろうか。
僕は急いで歩道橋まで戻った。そこから来た道をたどって、出会った場所まで行ってみた。
でも、もう少女の姿はどこにも見当たらなかった。
それから何日もダッカの街を歩いたけれど、その少女に再び会うことはできなかった。
バナナを差し出した時の、嬉しそうな笑顔だけを残して。
少女は、僕の前から消えた。