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手のひらの中のアジア
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January 31, 2007

タイ入院生活

テーマ:(12)インド

「7時のニュースです」


テレビ画面に映ったアナウンサーの男が言った。日本語だった。目を覚ましたばかりでまだぼんやりとしていた僕はその言葉をなんとなく聞き流していたのだけれど、それからふと思い出したようにハッとした。


―そうだ、ここは日本じゃないんだ…


NHKの衛星放送チャンネルをつけっぱなしのまま眠っていた僕は、どうやら夢でも日本のことを見ていたようで、よけいに混乱した。入院したことさえ夢の出来事の一部だったんじゃないだろうか。でもここは日本ではないし、少し前にいたはずのインドでもない。実際に今、僕はベッドに横たわっている。確かインドから…。


その時、ドアがノックされ、二人の若いナースが入ってきた。


「さわでぃぃかぁ~」


一人が優しい笑顔で僕に挨拶した。この微笑み、鼻にかかった声。語尾を上げて、のばす独特の声調。あぁ、間違いない。僕はタイにいるのだ、と確信した。血圧測定のためにやってきたナースたちによって僕は現実に引き戻された。


いったい何をしに東南アジアまで戻ってきたんだろうか。ラオスの祭りには間に合わない、タイの街を歩くこともできない、タイ料理だって食べられないどころか食事は重湯のみだ。以前に入院した時 とまったく同じではないか。できることといえば「寝る」ことか「考える」ことだけ。もう二度とあんな目にあいたくないと思っていたけれど、何の因果か、僕は再びこうして点滴を打たれて鎖に繋がれた罪人のようになっている。少し前に「寝る」ことを終えてすっかり眠気が去ってしまった僕には「考える」ことしか選択肢がなかった。


さて、何を考えよう。まず思い浮かんだのは、この旅の一年という節目に体調を崩し、その結果今ここにいることに何か‘意味があるのではないか’ということだった。本来、この一連の出来事に意味なんてない。神がかり的なお告げでもなければ、インドの呪縛であろうはずもない。一年間溜まりに溜まった疲れが気の緩みから噴き出したものかもしれないし、食べ物の影響かもしれない。どんなに気をつけていても、旅をする人なら誰にでもありうることなのだ。


ただ、僕はこの出来事に何かしらの意味を持たせたかった。自分の一年間をここで一度ゆっくり振り返りなさい。どんな人たちに出会って、そこで何をして何を考え何を得たのか。そして駄目だったこと、足りなかったものは何なのか。これからどうすべきなのか、どうしたいのか。きっとそういう大事なことをないがしろにして前に進むだけ進もうとしている自分をたしなめるためにこの出来事が起こったのだ、と。そう前向きに考えることで旅に対するモチベーションを高めていきたかった。


僕は病院のベッドに横たわって初めてこの一年間を振り返った。思えば自分にしてはよくここまでたどり着いたと思う。僕は、旅慣れているわけじゃない。そもそも長期で海外へ、たった一人、さらに自転車まで持って旅をするなんてことは人生において初の経験だ。最初はチケット一枚を買うこと、異国の街の見知らぬ通りを歩くこと、現地の人々と話すこと、すべてのことにいちいちびくびくしていた。自転車に乗って旅をしているといったって、パンクの修理方法さえ知らなかった。「必要な物はすべて現地で手に入る」ということも実際に街や村を歩いてみて知った。生活用品をはじめ、僕はあらゆる物について予備という予備を相当な量を揃えて旅に出発した。でもそのほとんどは重くなるばかりで無駄だった。物にこだわりさえしなければ、どんな田舎に行ったってたいていの必要物は手に入るのだ。当たり前だった。そこにも自分と同じように生活している人がいるのだから。カメラの充電池や電化製品だって都市部なら今時どこでも手に入る。インターネットがこんなに各地に普及していることにも驚いた。


しかし、旅の期間が長くなるにつれてそうした発見は目新しさを失い、慣れてくるものでもあった。旅が長くなることによる弊害は少なからず生まれる。いつまでも旅に出発したばかりの頃の新鮮な気持ちを保っていたいとは思うけれど、それを維持し続けることはなかなか難しい。


出発したばかりの頃、チケット一枚を手にするために窓口で現地の人に話しかける、たったそれだけのことが大仕事だった。でもそれが二度目、三度目ともなればすんなりとできるようになり、そのうち当たり前になり、やがて面倒臭いことの一つにまでなったりする。初めての恋人との関係にも似ているんじゃないだろうか。出会ったばかりの頃はちょっと話ができることだけでも嬉しくて、手を繋いだりなんかしたら頭から火が噴き出しそうで。でもそのうちそんなことには慣れてきて一緒にいることが当たり前になり、付き合い始めた頃の新鮮さは多かれ少なかれ失われていく。じゃぁ、やがて面倒臭くなるのかと問われれば、そこに関してだけは僕は声を大にして「そ、そんなことないよ」と言い訳しておくけれど。。


どうでもいいことを考え始めたところで、二度目の血圧測定のため若いナースたちが病室へやってきた。さきほどとはまた違う二人。毎回毎回違うナースがやってくるのだが、全員が全員若くて綺麗だ。インドのむさくるしい男たちに比べれば、タイ人女性の薄いピンクのナース服は目の保養にもってこいである。ただ、どうにも気になってしまうことがあった。彼女たちは皆、必ずといっていいほどナース服のボタンの上二つを開けているのだ。なぜだ。その間からは何ともたわわな果実が見え隠れするわけだ。タイの気候によるものなのか、はたまた…はっきりと理由はわからないけれど、ナースが皆一様にそうした格好であるというのはどうしたものか。果たしてそこに‘意味はあるのだろうか’。とにかく、見るなと言われてもナース全員がそうとあっては嫌がおうにも視界に入ってしまうのは致し方ないのではなかろうか、と僕は思うのである。


―まぁ、ここにいるのも悪くない…かな


いつのまにか「意味」を求める方向がずれてしまい、別のことを考えるようになっていた。とはいえ、それでも僕はあくまで‘前向き’に、旅への復帰に向けてタイでの入院生活を送ったのであった。

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January 20, 2007

呪縛

テーマ:(12)インド


一月三十日(※2006年)、僕は自転車を置いて小さな荷物と航空券を片手に宿を出た。


サダルストリートを抜け、大通りに出たところで流しのタクシーを掴まえ、一路空港へと向かう。座席に腰を下ろしてしばらく経ってから、航空券の券面に表示された便名と行き先、フライト時刻をもう一度確認した。


ドゥルク・エアー 124便 
コルカタ発13:55 ― タイ・バンコク行


数ヶ月前、すでに僕が通り抜けてきたはずの東南アジア。世界地図上を西へ西へと向かうはずの進路は、進むどころか真逆の東(東南)へと向かっていた。まるで振った賽の目、止まったマス上に「タイへ戻る」とでも書いてあったかのように。ただ、そこには当然自分の意思が伴っていた。自ら望んで選んだ行き先。


僕はインドから逃げ出したのだ。


いささか大げさな言い方ではあるけれど、あながち嘘だとも言い切れない。タイからは陸路でラオス北部まで行くつもりでいた。僕の好きだった小さな村で祭りがある、というのが戻る一番の理由だったけれど、それだけではない。この時の僕にはコルカタから先、そのままインドを旅する気力というものはなかった。何もかもが悪循環で流れをうまく掴めなくなっていた。少しのあいだインドと距離をおきたい自分にとって今の東南アジアには絶好の条件が揃っていた。ラオスの村祭りはそれだけでも十分戻るに値するイベントだった。さらに、街を歩いていて見つけた格安航空券の存在は、僕の気持ちとこれからの進路をより決定的なものにした。


タイ、バンコクの空港へ到着して機内から外へ出ると、すぐにあの東南アジア独特のもわっとして絡みつくような熱気が僕の体を包み込んだ。何とも言えない懐かしささえ感じて僕はなんだかほっとした。とても遠くにやってきた気がした。それと同時に僕を引きずりこもうと地の底から伸びてきた何十、何百という手、あの忌忌しい魔の手から逃れることができた確かな解放感を感じていた。


僕が僕本来の調子を取り戻す、原点に帰るという点でラオスは今考えうる最良の場所だった。祭りのことを考えるだけでもわくわくする。さらに、汗ばむほどのタイの熱気はよりいっそう僕の気持ちをかきたてる。いつのまにかある種「熱」のようなものを体が帯びていることに気づき、やがてそれはじわじわと体全体に広がっていく。しばらく忘れていたそんな旅独特の感覚を僕は思い出していた。タイの若者たちや世界中の旅行者が溢れるカオサンロードの喧騒、トゥクトゥクのけたたましいエンジン音とあちらこちらから大音量で轟くあらゆるジャンルのミュージック、まばゆいネオン、すべてが心地良く体に染み入ってくる。


仕切り直しだ。今なら新たな一年を、もう一度あらためてここから始められそうな気がする。悪循環から抜け出したのだ。インドを飛び出してきて正解だった。選択は間違っていない。これで僕は僕本来の調子を取り戻すことができる。この勢いのまま明朝、バスに乗ってラオスへ向かおう。そう思った。僕の望むようにして何もかもが順調に良い方向へと動き始めていた。



少なくともその日の夜までは。



いったいその後に、まだ大どんでん返しが待っていようとは誰が想像できようか。


結局、駄目だったのだ。バンコクに到着したその日の夜、安心したのもつかの間、またしてもあの症状が再発したのだ。一度目よりも二度目、そして二度目よりも三度目、その苦しみはもはや筆舌に尽し難いものだった。三度目はもうどうにもならなかった。我慢できる限界を越えていた。ラオスの祭りどころではなかった。何もかもが終わった気がした。もう大丈夫、そう油断して気を緩め隙を見せたまさにその瞬間、まるで初めから狙いすましていたかのように苦しみは僕を襲った。


一月の乾季とはいえ、タイの夜はインドよりも湿気が多く蒸し暑い。Tシャツを脱いで上半身裸のままで過ごしていた僕は、痛みが始まってすぐにそのままベッドから転げ落ちた。それまでひんやりとしていたはずの床は、体から滲み出るねっとりとした油汗のせいですぐにぬるぬるになり、妙に生温くてひどく気持ちが悪い。それでもたった五十センチほどの高さのベッドに這い上がることさえできずに、汗で湿り気を含んだ埃やゴミの塊を体に付着させながらそれを払うことさえできず、僕はずっと床の上でのたうち回っていた。


―インドの呪縛からは逃れられない


闇の中で誰かがほくそ笑む姿とそんな言葉が幾重にもこだまして頭の中で響く。まるで「呪縛」という名の菌が、苦しみもがく僕の体内で際限なく増殖し続け、体を犯しているようだった。


安息の地を求めて、心機一転をはかるためにやってきたつもりの東南アジア。


しかし、そこで僕は完全に動けなくなった。


なす術もなく、僕はついにそのままタイ、バンコクの地で入院を余儀なくされることになった。


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January 10, 2007

荒んだ心

テーマ:(12)インド

インドで救いの手を差し伸べてくれたのは、一人のバングラデシュ人男性と、同じ宿に泊まっている日本人たちだった。


仕事でコルカタへやってきて翌日にはダッカへ帰るというバングラデシュ人ラハマンさん。日本でも働いていたことがあるという彼は、とても流暢に日本語を使いこなす。僕が二度目の病院から戻ってきた日の午後、ラハマンさんはロビーに設置されたソファーに腰かけて他の日本人宿泊者と和やかに談笑していた。そんな彼らに、ふとしたことから僕はその日あった一連の出来事を話すことになった。


「ほんと参りましたよ、インド人」


苦笑いしながら、僕はその一件を笑い話として流したつもりだった。大変だったね、と笑いながら皆も流してくれればそれでいい。でも僕の意図とは裏腹に、その話を聞いていたラハマンさんはほんのわずかたりとも笑うことはなかった。


「もらった処方箋をちょっと見せて」と彼は言った。「私がその薬を探してくるから」


僕は、自分のことだから大丈夫ですよ、とまた苦笑いをして手を振った。そう言ってくれたラハマンさんの好意だけで十分だし、そもそも救いの手が欲しくてそんな話をしたわけでもなかったから。でも彼は本気だった。相変わらず表情を緩めることはなく、真剣な顔つきのままソファーから立ち上がるとすぐに外へ出かける準備を始めた。さらに傍にいた他の日本人たちも同意して、コルカタの街を皆で手分けして薬を探すという話にまで発展してしまった。よりいっそう大きく手を振り、慌てて皆を止めようとした僕を逆に制したのはラハマンさんだった。


「あなたは部屋で安静にしていなさい」


そのきっぱりとした彼の口調に思わず口篭ってしまった僕に、他の日本人たちまでもが言う。


「遠慮しなくていいよ。苦しい時はお互い様だから」
「ほんとに気にしなくていいから、部屋で休んでて」


予想以上に真剣な皆の様子に圧倒され、僕は言われるがまま部屋へ戻った。にわかに自分に向けられた好意をすんなりと受けとることに何とも言えない歯がゆさのようなものを感じながら。一連の出来事にうんざりして薬を探すことなんてすっかり諦めていた上に、自力で直してやると開き直ってすぐのことでもあったからだ。どうにもそわそわして落ち着かず、ベッドの上で胡座をかき、足をゆすりながらじっと待機すること一時間ほど。そんな僕の元へ彼らが薬を見つけて戻ってきた時、僕は「ありがとう」の他に何と言っていいのかわからず、思わず感極まった。それと同時に、皆それぞれの貴重な時間が僕一人のために使われ、削られてしまったことが申し訳無くて仕方がなかった。


何度も頭を下げる僕に、ラハマンさんは財布から名刺を取り出して渡した。


「明日まではコルカタにいるから。困ったことがあったら遠慮なく言って」


そう言い残して部屋を出ていった。


一緒になって薬を探し回ってくれた日本人たちには、それ以後も(それまでもそうだったけれど)心苦しいほどいろいろとお世話になり、食事を共にしたり面白い話をたくさん聞かせてもらったりと、コルカタ滞在中の良き時間を共に過ごさせてもらった。コルカタではその他にも印象深い旅行者たちとの数々の出会いがあった。


現地で医療関係の仕事を探しているというタカさんは、コルカタの街が好きだと言い、それは普段街を歩いて露店の商人や近隣の住人たちと笑顔で挨拶を交わす姿を見ればそれだけで十分に伝わってきた。インドのヨーガに魅せられ、もうすぐ帰国が迫っているにも関わらずまた数ヵ月後には戻ってくるつもりだと話す弓子さんの表情ははつらつとして輝いていた。日本で一流のバーテンダーとして活躍していたユータは、持ち前のバイタリティと話術でしつこいインド人を軽く手玉にとるほどの余裕と寛大さを持ち、常に自分のペースで物事を楽しむことのできる男だった。インドをもう八年も旅し続けている人もいれば、シタール(北インドの弦楽器)を極めようとインド人の師のもとへ毎日通う人もいた。


皆それぞれのスタイル、人柄は千差万別だったけれど、彼らに一つ共通しているのはその誰もが「自然体」であったという点のような気がする。僕のようにどこかいつもぴりぴりとして張りつめたバリアのようなものは、彼らにはまったくといっていいほど感じられなかった。僕自身、それが体調の悪化によって始まったものとはいえ、すべてをあるがままに受け入れられるような自然体を取り戻すためにはそれ相当の時間が必要だった。


彼らと会って話す時間は楽しく、そして貴重なものだった。しかしそれとは別のところで、彼らと接すれば接するほど、僕は今の自分の荒んだ心を自覚せざるを得なかった。

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